特別な夏 5
「ラッパ持ってこなかったたのか?」
「フルート!わざわざここまで持って来なくてもいいでしょ。毎日家では吹いてるし」
夏樹の問いに少し不機嫌に冬路が返す。珍しい様子に姫宮兄妹が揃って冬路を振り返る。
「自然の中で吹くときっと一味違って気持ちいぞ」
しかし夏樹はそれを気にとめた様子もなく続ける。どうやら冬路は本格的に不機嫌らしく、イライラした口調で会話を切る。
「いいよ。荷物になるし、自然の中ではフルートなんかより遊びたいし」
「そうか。じゃあ明日は大自然で走り回ろう。全員揃ったし朝から騒げるぞ」
めげないのが夏樹の良い所だ。内心ハラハラして様子を見守っていた唯兄に構わずニコニコしながらカレーをかき込む姿を見ていると世界が少しだけ平和に見える気がして笑った。
「明日香は釣り、楽しかった?」
「うん、今度もっと本格的にやりたい♪」
話題を変えようと明日香に振ってみると達也さんが睨みをきかせてこちらを見るが、雅美さんにバシッと頭をはたかれて終わる。
「釣りもいいなぁ。愁もするか?」
「やる!上手くいけば食費が浮くかもしれないしね」
「じゃあ私明日マグロが食べたい♪」
無邪気に微笑んでみせる姉に母と達也さんが豪快に笑いだす。
「そりゃあいいよちーちゃん!やっぱ釣りといやぁこの辺の小さな川魚で満足してるようじゃ駄目だ。もっと沖へ行って鮪くらいのでかい魚一本釣りしなけりゃあ!」
「あんたは唯と愁どこまで行かせようとしてんの。全くすごい無茶ぶりするんだから」
「いいじゃねぇか。杏ちゃん、女はそのくらいでなきゃ!どうだちーちゃん、唯と一緒になってうちに来るか?」
達也さんが千春の肩を抱いて力強く引き寄せるが、肝心の千春は紙皿を抱えて食べることに夢中だ。父がショックで箸を落とし、純情な唯兄が見事に赤面したが元々の自黒のせいと夕方の景色でよく見えなかった。
「たっちゃん、唯君は確かに良い子だけど、千春の意思を尊重して欲しいな」
「ちーちゃん、うちの唯を嫌いじゃないだろう?」
すかさず腕の中にいる千春に問いかけると千春は達也さんを見て微笑む。
「好きよ。唯君も達也さんも明日香ちゃんも雅美さんも、うちの家族も皆好きで、皆特別大事♪女の子は欲張りなの」
達也さんが手を叩いて喜ぶ。大人達もいっせいに笑いだす。女って怖いもんだなぁ。千春の言葉に夏樹だけがまじめな顔をして姉を見つめていた。
「いいなぁちーちゃん、マジで欲しい!」
「あんたはもう、ちーちゃんは物じゃないんだから!」
雅美さんのチョップがきれいに決まった所でようやく千春が解放される。ふと周りを見ると明日香と冬路が昼間釣ってきた魚を食べていた。さっきまで不機嫌だった冬路はニコニコしながら魚にかぶりついていた。
「美味い!」
「でしょう?自分で釣った魚だからかな」
「そうかも。普段はそんな好きじゃないんだけど、すごい美味い!」
冬路はそれが末っ子の特性なのか実に周りをよく見ている。不器用ながら明日香に達也さん達大人の声を聞かせないようにしている。明日香は普段意地っ張りな上強がりだけど、冬路は明日香が女の子だとちゃんと解かっていて聞かせないようにしている。冬路は昔から明日香にとても優しい接し方をする。唯兄の千春に対する態度とはまた別の意味で。
「明日はきっともっと上手くなってるよ。いっぱい釣ろう」
「……冬路、フルートは持って来なくて良かったの?」
「ここにてる間は部活の事考えたくなくて。ちょっと煮詰まったのかも」
「そっか、じゃあ明日は思う存分遊ぼう!」
夏樹に聞かれて不機嫌になることも、明日香には話してみせる。
「な、明日俺も釣りしたい!」
「夏樹には無理だよ。魚が食いつくまでジーっと大人しく待ってなきゃないんだぞ」
割り込んできた夏樹に明日香が意地悪な笑顔を見せる。夏樹が入るとその場がいっきににぎやかになった。
「それくらい知ってるよ。お前達と違って俺上手いからじっとしてる間もなく魚が食いつくかもしれないし」
「ない。絶対警戒されるから!」
二人がふざけあってもめる様子を冬路が笑って見守る。夏樹と明日香は昔からよくこうしてじゃれ合っているから珍しい光景ではない。夏樹は明日香と冬路への接し方に違いはない。夏樹にとって二人はどちらも兄弟で仲間という認識なんだろう。女の子という枠はないが、全部に平等で特別だ。明日香が相手だろうが本気でケンカもするし、言いたいことを言う。それでも、やっぱり明日香の弱い所に気付いてる。だから話に混ざりに来た。うちの弟達は、本当に優しい。
「愁、特別って何だ?」
微笑ましい光景を眺めていると親達からなんとか逃げてきた唯兄が隣に腰を下ろした。中学生チームの様子を見ながら唯兄は兄の顔で三人を瞳に写す。
「夏樹にさ、「唯にいの特別は明日香とちー姉のどっち?」って聞かれたんだけど。愁の入れ知恵らしいじゃないか」
そうか。「唯兄を見ていれば分る」と言ったのに直接聞きに行ったのか。しかも一ミリも違わない直球ストレートで。
「夏樹は俺に何を選ばせようとしてるんだ?恐ろしい決断を迫られたぞ」
肩を使って大きくため息をつく唯兄に同情しながら好奇心に逆らえず、言葉が出た。
「唯兄にとっては、本当はどっちが特別?」
「愁?」
「千春には彼氏いるし、それなのに唯兄がいくら静かに思ってても……寂しいし」
ポロっと出てきた言葉に唯兄は一瞬驚いた顔をしたが起こる様子もなく苦笑しその横顔は千春さえ見たことのない男の顔だった。
「あれは最初っから誰かのものになんかならないだろう」
「それを夏樹に言ったの?」
「いや。夏樹も冬路も愁も大事だけど一番は選べないって言った」
「悩んでたでしょう?」
「俺らが教えてやっちゃいけないからなぁ。あいつがあんなに悩んでるなんて珍しいかから、つい口出したくなるけどな」
我が家、高村家二男の夏樹は呆れる位純真で真っ直ぐだ。その大きな瞳に見つめられ、たまに見透かされそうな気がして目を反らしてしまうが、夏樹はいつでも真っ直ぐに暖かく優しく歩いていく。我が家のかわいいムードメーカーだ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。