特別な夏 4
姉の無言の押しのせいなのか、母の圧力のせいなのか、向かいの姫宮家夫妻のノリが良すぎるせいなのか、二家族の合同キャンプはあっさりと開催された。
夏の暑い日、張り切った母に夜中にたたき起こされ、車から何故か段々と明るくなる空を見ながらキャンプ場に向かった。夏樹と冬路、明日香の中学生チームは車に乗るなり再び瞼を閉じた。一応受験生という名目で姉と唯兄の二人はそれぞれに講習が終わってからの参加になったので今頃はまだ夢の中だ。
「朝の匂いがする。たまにはこんな時間のドライブも良いわね」
「だろ?これで昼前に到着出来るし、飯食って飲んで……とりあえず昼寝か!」
「贅沢だなー♪」
最初のドライバーである母が慣れた手付きで運転するワゴン車の助手席では姫宮家の母、雅美さんが無邪気にはしゃいでみせる。高校時代からの親友だという二人は小さく盛り上がるが、車の最後尾では父達が仲良く寝息を立てている。彼等の仕事は現地に着いてから休む間もなく始まる。楽しそうな母達のはしゃぐ声をバックに僕もそっと目を閉じた。
「愁―っ!起きろ皆起きてるぞ」
馬鹿でかい夏樹の声に目を覚ます。なるほど周りを見渡すとサンサンの太陽が照らす下で大人達は早くもビールを取りだし宴会モードで楽しげだし、冬路と明日香は仲良く釣りの真っ最中だった。つまり、遊び相手がいなくなったので起こしに来たわけか。
「一緒に釣りしてれば良かっただろう?」
あくびをしながら言うとむっとした顔で睨まれてしまった。
「何か、おかしいんだよあの二人」
「ケンカでもしたのか?」
「してない。けど、なんつーかあいつらの空気が変!」
ランニングで額の汗を拭う《特別》に気付き始めている弟は苛立たしげに僕を睨む。分りそうで掴めないものがもどかしいんだろう。
「夏樹、それがお前が言ってた特別だよ。よく見てみなよ。冬路を見る明日香を」
「それが分らねぇんだよ。他にヒントないの?」
短気な弟は焦ってすぐに解答を求める。だけどこればっかりは心で理解するものだ。
「じゃあ、もっと分り易いのは千春を見る唯兄の目だな」
いまいち納得がいかないのか首をひねりながらも冬路達の元へ向かう姿を見送った。
「夕方には着くって」
姉から返ってきたメールを父に見せながら大人の輪に入って夕食の準備でも手伝うことにした。案の定飲んだくれた母達は昼寝の時間だと来て早々立てたテントに二人で入り休憩中だった。
「俺も手伝うよ。千春達来る前には出来上がると思うけど」
「おっ!愁がいるなら心強いな♪じゃあ美味いもん作れる?」
ニコニコしながらほろ酔い気分のおじさんが肩に腕をまわして絡んでくる。とび職という職業柄がっつりした体格をしていて、なかなか解き辛い。
「今日のメニューバーベキューとカレーでしょう?その材料しかないからそれしか作れないよ」
「それだけ作れば充分だ!愁はいつでも嫁に行けるなぁ」
「嫁にはいかないから!」
「俺は愁なら歓迎だぞ」
おじさんが大きな手でバシバシ叩くので背中が痛くなった。父はその様子を相変わらずな笑みを浮かべて見ている。
「でもたっちゃんいいの?明日香ちゃんまだ中学生なのに愁に決めちゃって。明日香ちゃんは懐いてるみたいだけど」
「な!おぃ悠、俺は明日香を嫁にやろうなんざ一言もだなぁ!」
珍しく父の挑戦的な言葉に姫宮家の大黒柱達也さんは大慌てだ。父はそれが面白かったのか楽しそうに笑って続ける。
「たっちん、うちの愁で何か不満なのかい?家事は一通りこなすし、お兄ちゃんだから面倒見も良いよ」
「けど、明日香はまだ中学生なんだぞ?」
二人が楽しそうに争っている間に達也さんの腕から抜け出して準備を始めることにする。最初にカレーの材料を切ってしまう。ごはんを炊く仕事は頃合いを見て父達に任せることにした。
「明日香ちゃんもずっと傍で支えてくれる人が必要なんじゃないかな?」
「明日香には俺も雅美も唯もいるだろう!」
「家族に言い辛い悩みも出てくる頃じゃない?」
父達の争いは楽しくヒートアップしているようだ。本人達の意思は一切関係なく。こうしてきいていると姉、千春のポツポツ喋りながらも確実に相手を追い込んでいく口調はどうやら父譲りらしい。そう思うとおかしくなってふっと笑うと誰かに頭をポンと叩かれて上を見上げた。
「悪いな。すぐ手伝う」
「愁、唯君かね、ケーキ作ってきてくれたの」
ニコニコしながら微笑む千春と隣の唯兄は講習帰りなはずなのに、随分身軽だ。唯兄に関しては何故か千春のリュックを背負ってはいるのとケーキの箱を持っているが千春に関してはほぼ手ぶらだ。
「まーた唯兄に荷物持たしたんだろ?いい加減甘やかしたら駄目だよ。ちーはつけあがるの知ってるでしょう?」
いっきにまくし立てると唯兄はリュックを降ろしながらため息をつく。
「愁も知ってるだろう?荷物取り上げでもしないと、こいつ勝手にちょろちょろしてどこへでも行くんだぞ」
「あぁ……ごめんね。うちの姉ちゃんが」
自由奔放な姉を持つと苦労する。二人でため息をつくが肝心な千春は受けとったケーキの箱をテーブルに置き早速エプロンを着け始める。
「始めるか」
その様子を見ながら自分もとエプロンを掴む唯兄の表情はとても優しい。しかしその優しさだけは妹の明日香に向けられることはない。この《特別》を夏樹は見抜けるだろうか。
きっと本当は誰もが気付いていて、それでいて気付かないふりをしている特別を。千春でさえ充分に理解している特別を。
僕が切っていた野菜を引き継いで切っていく千春。それを唯兄がフライパンを取りだし炒めていく。ほんのりと香るような甘い空気に足元がふらついた。千春には同じ高校にちゃんと彼氏がいる。自分のものにならない千春をそれでも唯兄は優しく見つめる。たまにその姿にイライラして、吐き気がする。夏樹は、この気持ちを分ってくれるだろうか。
最後まで読んで頂きありがとうございました。