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春夏秋冬  作者: 日和
19/21

冬にはそっと優しさを 5



 「それマジでいってるの?」




 リビングダイニングの扉のノブに手をかけた瞬間、怒りを含んだ静かな愁の声がはっき

 りと頭に響いた。ただいま所か部屋に入るタイミングも逃してしまった俺達は悪だくみを始める子供のように揃って息を潜めて事の次第を見守ることにした。



 「マジよ。お父さんとお母さんにはもう話してあるの」

 「俺は何も聞いてない。何の相談もなしに決めたのかよ」

 「今こうして話してるでしょ。相談に乗ってほしいときはちゃんと話す」




 段々と熱を帯びていく愁に千春がいつもの感情の無い淡々とした口調で答える。それなのに、その口調からは迷いがまるで感じられない。それが「今ここで自分が何を言っても無駄だ」という気がして、それできっと愁は更に空回りして熱くなる。




 「千春はいつだって全部決めてからしか話さないだろう」

 「まだ私が東京に行けるかは分らないのよ?」




 千春が、春から家を出るらしい。それは別に家で何かあったのではもちろんなくて、千春が希望する大学が東京にあるかららしい。それは愁なら大騒ぎだろうととうとう出て行くタイミングを見失いかけていると隣が動いた気配がしたかと思うと俺と同じ声が二人を止めた。






 「それってさ、唯兄と一緒に住むの?」




 末っ子はどうしてこんなにフリーダムなんだろう。無言のまま固まる二人の視線を浴びていつものように力なく微笑み「ただいま」と律儀に挨拶する冬路に脱力して仕方なく部屋に入ることにした。




 「なんでいきなり唯兄が出てくるんだよ?」

 「だって、明日香が「唯が春から東京に行っちゃうから寂しい」って言ってたし」




 しれっと答えるその情報を少なくとも俺と愁は今まで知らなかった。さっきより明らかに増した怒りをいっきにぶつけようと千春を見る愁はもう鬼の形相だ。



 「そんなわけないでしょう。同じ大学に行きたいわけじゃないし、大体唯君と一緒に住む理由がない」




 しかしこの身も蓋もない言葉に怒りはかなり納められたらしい。唯兄には悪いが、これで良い。




 「東京って危ないんでしょう?一緒にいたら防犯になるじゃん」



 冬路はどうしてか唯兄を便利屋扱いしがちだ。どうして誰か「二人は付き合ってるんじゃないの」と一言いうことが出来ないのだろう。



 「本当にそこに入れたら、忙しくてお互い自分のことでしばらく手一杯だと思うけど」

 「じゃあ唯兄いた方がなおさら便利じゃない?喜んで家事してくれるし」




 ……だからどうして。



 「私も家事くらい出来るから大丈夫」

 「心配なんだよ、ちー姉女の子だし。せめて近くにいて貰ってよ」



  姉を気遣う余りの発言なならまぁ、いざ仕方ない。そのために唯兄は散々な扱いだが


 「だから、皆で今から大騒ぎしなくてもまだ決まった話しじゃないの」



 よく見れば弟三人を立たせておきながら自分はちゃっかり椅子に座りお茶まで飲み始める。一番上は容量が悪いはずなのに、本当千春は昔からこうだ。それを誰にも不思議に思わせない姉はやはり、俺達兄弟の上に君臨する女王だ。




 「じゃあ、とりあえずご飯にしよう♪俺お母さん起こしてくる」



 張りつめた空気の中お構いなしにニコニコ微笑む冬路が軽やかに部屋を出て階段を駆け上がる音が聞こえる。茫然と立ち尽くしていた愁がその音を聞いて我に帰った顔になり、ふと力が抜けたように笑った。冬路はすごい奴だ。そっと穏やかにフワリと優しい風を運ぶ。





 「一卵性でもそこは似なかったのか」



 腕組みして納得する仕草をしながら佐々木翔太が嫌みたらしく何度も頷いてみせる。「冬路が出来るなら」と悪ふざけで手に取ったフルートはただ重いだけで、いくら息を吹き込もうとも機嫌を損ねたみたいにうんともすんとも言わなかった。音楽室の掃除は他の掃除箇所より誘惑が多いのでつい遊び過ぎてしまう。 




 「夏樹は少しも器用じゃねぇしな」




 箒を持ったままの祐太が翔太に続くので意地になって力いっぱい息を吹き込んでみたが相変わらずフルートは無音のままだった。諦めて掃除に取りかかろうとロッカーに箒を取りに行こうと椅子から腰を上げると流れるように穏やかな音が聞こえて思わず顔を上げた。




 「勝手にいじったのばれたら怒られるよ?」

 「お前はいいのかよ?」



 さっきまでは機嫌を損ねたみたいにうんともすんとも言わなかったフルートが春の川を流れる葉を撫でる風のごとく優しい音色を奏でた。俺が放り投げたフルートを拾った冬路はフルートの音色と同じ顔して目の前に立っていた。



 「またフルートが吹いてみたくなったらいつでも来いって先生が言ってくれたから」

 「やっぱり下の子は容量が良いって言うよな」

 「いや、俺も下ですけど」

 「確かにそうだ」



 冬路の後ろからひょっこり顔を出した明日香が白い歯を見せて笑った。



 「掃除続ける?吹いてても良い?」

 「俺も聞きたーい♪」




 はしゃいでみせる翔太が早速掃除用具をしまいその場にニコニコと体育座りをするので祐太と揃ってそれに習うと隣に腰を下ろした明日香が嬉しそうに微笑んだ。なんとなく、明日香がフルートが聞きたいと言い出したんだろうと思った。退部から一カ月もたっていない冬路が自分からフルートに向かうとは考えられない。けれど、明日香が聞きたいと言うのならそれがたとえ退部翌日であってもなんのためらいもなくフルートを手に取る。冬路はつまり、そーゆー奴だ。




 そしてその相手は明日香に限定されている訳じゃない。それを知ってるから明日香の横顔は晴れやかだけど、初めて見る静かな女の顔をしていた。どうかそれに、優しい冬路が気付かないように。

 特別を知ってから、初めて感じた痛みは胸の奥でそれを忘れさせまいと針をさしたみたいにチリリと痛んだ。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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