冬にはそっと優しさを 3
「千春、聞きたいことあんだけど」
外はひどく冷えていて、小さな体にモコモコした服を着込んだうえに湯飲みからお茶を飲んでいた千春は大きなビー玉の瞳で静かに俺を見上げた。
「何?」
「千春は唯兄を好き?それは特別?」
リビングのソファーに座ったまま千春はふと姉らしい顔をして微笑んだ。その横顔が一瞬唯兄のそれと似てきた気がして驚いた。キッチンで夕飯の準備をしていた冬路が鍋でも落としたらしく大きな音が響いた。
「そうね」
一瞬目だけでキッチンにいる冬路を気遣ったが、湯飲みを手放さないままで答えた声はとても穏やかで優しい顔をしていた。
「夏樹のまっすぐな所、私は凄く好きよ。唯君にも同じこと聞く気なんでしょ?」
「そうだけど?」
穏やかに笑う姉に頷くと楽しそうな顔をする。もはや片付け所ではないらしい冬路がキッチンからこちらへ来た。
「俺も、夏樹のそ~ゆ~所好きだよ。カッコいいと思う。もうすぐ、分りそうなんだね?」
「多分分る」
二人に見送られて感傷に浸る間もなく向かいの家に上がりこむ。ドタドタと階段を上がるとノックもしないで唯兄の部屋の扉を開けた。
「ちー、ノックもしないで開けるなって言ったはずだぞ。それからこんな時間に来るなんて…意味分ってるのか」
机に向ったまま振り向きもしないで喋る唯兄言葉を聞き終えてからゆっくり深呼吸する。
「どんな意味があるの?」
声に驚いたのか慌てて振り向いた唯兄はギョッとした顔をして、振り向いた反動でかけていたメガネがずれた。
「夏樹だったのか」
「唯兄目ぇ悪くなったの?」
「最近少しな。勉強するときだけかけてるんだ」
「あのさぁ、こんな時間に来る意味って、何?」
勝手知ったる部屋のベットに腰かけながら訪ねると、唯兄はしばらく視線を泳がせてから、なんとか言葉を探す。
「……もう、寒いからなぁ。こんな時間に来たら風邪ひくだろう?」
机のライトを切ってメガネを外し、唯兄はイスをクルリと回転させ俺に向き直る。ゆっくりと微笑んでいつもの優しい顔になる。
「それで、夏樹は何かあったのか?」
「唯兄は千春を好き?それは特別?夏に聞いた時は「選べない」って言ったけど、唯兄の特別は千春なんだろ?」
一気に言ってから肩で息を吐いた。勢いに押された唯兄は一瞬ぽかんとした顔をしたが、やがて少し頬を染めながら考える仕草をしたのち、今度は大きくため息をついてまっすぐに俺を見た。
「よく分ったな」
「唯兄を見てれば分るって言われて、それからずっと見てた」
答えると唯兄は笑って「それは誤魔化せないな」と小さく呟いた。
「夏樹の言う通りだ。俺の特別は昔から、多分これからずっと千春なんだ」
諦めたみたいにため息をついて出た言葉は優しくて、迷ってた心にストンと落ちてきた。唯兄が千春を呼ぶ声はいつもとびきり優しい。
「俺もそれがいいと思う」
俺に笑った唯兄は「今のちーには絶対に言うな」と釘を刺して返された。いつもなら気になる所だけれど、ずっと分らなかった問題が解けた俺は嬉しくてそんなことは気にならなかった。
手袋をした手でハンドルを握る。冷たい空気が頬に痛かった。向かいの家から出てきた明日香が驚いた顔をして俺を見るが、後ろから出てきた唯兄が明日香の背中をそつと押した。
「気をつけて行ってこいよ」
「ほら明日香、早く乗れよ」
冬の早朝、いつも通り後ろに明日香を乗せると自転車のペダルを勢い良く漕ぎだした。後ろにまたがりながら困惑している様子の明日香に少し声を張り上げてみる。
「俺さ、多分分ったんだ。お前の特別」
「はぁ?」
「明日香が俺に言ったんだろう。「特別の好き」だったら俺はそれをちゃんと分んなきゃ駄目だ」
背中越しに明日香が白い息を吐くのが分った。もう十年以上の付き合いだ。振り返らなくたって、どんな顔してるかくらい分る。まだ幼さが残るその優しい表情は最近唯兄に似てきた。顔はさっぱり似てないのに。
「特別の好きって、きっとすごく優しくて強いんだ。相手のことで辛いことがあっても、それでぶつかったとしても好きでいられるんだもんな」
千春をずっと好きでいる唯兄は、今まで千春が彼氏を何度も作ろうと黙ってそれを見てきた。悔しかったり辛かったりしただろうけれど、それでもとても優しい瞳で千春を見てた。そうやって唯兄はずっと千春を見守ってきた。
同級生を好きになった冬路はただ彼女に近づくために興味も無いフルートを懸命に覚えた。彼女との距離を縮めるためだけに毎日フルートを吹いた。冬路はこっそりと気付かれないように優しくするから、冬路に好かれた奴はきっと幸せだと思う。
「夏樹に好かれた子は、きっと幸せ者だね」
後ろから突然降ってきた声に驚きつつ笑った。
「心配すんな。俺は皆好きだ♪」
「じゃあ皆幸せだな♪」
二人しておかしくなってバカみたいに笑いながら自転車を走らせた。冷えた空気がほてった体に妙に心地良かった。
「なぁ明日香、だから心配すんな。唯兄が千春を好きなのは今に始まったことじゃないから、今更明日香が可愛くなくなるわけないし。愁兄は彼女が出来たって千春に執着するくらいだから明日香を手放すはずがないし。それに、冬路が明日香を好きじゃなくなるはずないだろう?」
風を切って走ると体が少し温まってきた。明日香が俺の背に体を預けているから、背中は冷えてないけれど。重みが増したことを感じながら白い息を吐いてペダルを漕いだ。
「知ってるよ」
拗ねた声で呟く声が照れ隠しだって俺は知ってるから、それで良いと思った。
「明日香、今日三人で帰ろう」
「はぁ?」
「いいだろう。久々だし♪」
「だって夏樹部活あるし……」
「たまにさぼったくらいじゃ俺鈍らないし!」
今日、学校に着いたら早速呆れるほど傍にいた俺の片割れの冬路を捕まえよう。そうして来た早々帰りの話をする。冬路は力のない顔でゆっくりと笑いながら頷いてくれる。一卵性だし、ずっと一緒にいるから、それくらいは分るし!
最後まで読んで頂きありがとうございました。




