1 結婚式
朝からウィスターリの王都ロマンティエは華々しい雰囲気で盛り上がっている。
中央通りは人が溢れかえり、人々の熱気は冷めることを知らない。
今日は東の大国ウィスターリの第一王子と西の大国アマーリエの姫君の記念すべき結婚式が行われる。
長年ウィスターリとアマーリエは戦争をしていた。止まることを知らないその戦争は泥沼状態だった。表向きはその終止符を打つためにアマーリエは自らの姫君をウィスターリに嫁がせた。
やっと長かった戦争が終わると安心した両国の国民は今やお祭り騒ぎで盛り上がっている。
そして始まる。歴史に刻まれるであろう盛大な結婚式が。
◇◆◇
結婚式とはいえ、一般人にも見せびらかさなければいけないので午前からはパレードに似たものがロマンティエ城下中央通りで行われる。
ウィスターリ第一王子アーサー王子とアマーリエの唯一の姫君フェンリオネ姫、二人を載せた巨大な馬車が中央通りを凱旋するように通る。そうしてウィスターリ全土からやってきた人々が二人の姿をお目にかかれるわけである。
夜はロマンティエ城で貴族、王族が集まり、夜会が開かれ、煌びやかな結婚式があげられる。
そういう予定で今日1日が過ぎる。
◇◆◇
(私は今日、‘敵国’に嫁ぐ…)
アマーリエの姫君フェンリオネは終始笑顔を保ちながら、ロマンティエ民の呼びかける声に答えるよう手を軽く振りながら考えた。
婚約者による馬車パレードは既に始まり、巨大な馬車は二人を乗せて中央通りをまっすぐゆっくりと進む。王都に集まった民達はアーサー王子やフェンリオネ姫の名を呼ぶ。
ちらと隣に座るアーサーを見る。
太陽に反射されなお輝く金髪に深い森を思わせるような碧眼。誰もが一目見れば顔を思わず赤らめてしまいそうな整った顔立ち。
アーサーはフェンリオネと同じように民の声に答えるように手を振っている。
(私は成すべきことのためにこの国に嫁ぎにきた)
昨日ロマンティエ城に到着したばかりで、まだ形式上の挨拶しか交わしてない婚約者。だが
フェンリオネはそれ以上の関係を望もうなど少しも考えてはいなかった。
(私にはやるべきことがある。精々私に使われるといいわ婚約者さま)
歓声に包まれたままそのままパレードは進む。
◇◆◇
「まったく!退屈な夜会だった、そう思わない?グレイ」
フェンリオネは後ろに控える従者グレイにそう声をかけた。
ここはフェンリオネのために用意されたロマンティエ城内の部屋である。
時はもうすでに遅く、窓から見える外の景色は星が瞬いている。
アーサー王子とフェンリオネ姫の結婚式があげられ、貴族や王族たちのパーティーが開かれた。
フェンリオネにとって貴族たちのお喋りなど退屈でこの上ない。疲れたの理由をつけ、早々にパーティーから身を引いた。
「まったくフェンはウィスターリに来ようとも、変わらないな」そうグレイは諦めたような口振りで言う。
「それにまだ婚約者様とは一言も会話していないのだろう?」
「あんな男と会話するなんてごめんです」
「おいおい仮にも王子をあの男呼ばわりか」
「あら、グレイだって仮にも王子っていうじゃない」
そうフェンリオネはクスクスと笑う。
グレイは目を細め、そんなゆったりとベッドに腰掛けるフェンリオネを見つめる。
空のような青色の髪を長く伸ばし、どこまでも深い紺色の目を楽しそうに輝かせている。パーティー用のドレスは淡色のレースを多用した彼女の髪や目に合う青色。どこまでも美しい彼女に青はよく似合うとグレイは思った。その時、結婚式でのフェンリオネとアーサーとの誓いのキスの瞬間を思い出し、顔をしかめる。少し頭を冷やそうと思い、
「少し用を足してくる」といった。
(たかがキスぐらいで動揺するとは…な)
フェンリオネも手洗いにいくと察し、部屋から退出することを許可した。グレイはそのまま外でぶらついて空気にあたり頭を冷やすつもりだった。
その判断がフェンリオネもグレイも後に後悔するのだが。
◇◆◇
フェンリオネは一人になった部屋でじっと考えていた。
‘敵国’であるウィスターリで自分が為すべきことを。グレイのため、というと少し限定的すぎるかなと苦笑したがあながち間違ってはいないなと再認識する。
先程のパーティーのあのグレイへの貴族たちの目線。嘲笑、嫌悪、侮蔑、敵意―――(そうよ、私はコレを変えるためにここにきたの)
頬を両手で軽くパンパンと叩く。
すると部屋の扉がノックなしで突然開かれた。
ノックなしで入ってくるのはグレイぐらいなので、グレイが帰ってきたのだと思い、さっと扉のほうに顔を向けると、
そこにはアーサー王子が立っていた。
◇◆◇
「亜人を従者とするとは、まったくアマーリエ人の考えていることは分からないな」
それがアーサー王子の最初に発した言葉であった。
「……!」
フェンリオネは動揺も怒りもしなかった。頭は冴えていた。あらゆる感情も湧き上がってはこなかった。その一言でフェンリオネは察した。この男も所詮はウィスターリ王族なのだと。
「グレイは良い従者です」
フェンリオネはなんの感情も込めず、静かに言い放った。
ウィスターリとアマーリエには根本的に違う考えがある。
―――亜人だ。
亜人とは人の形をしているが、少しだけ獣の形が体のどこかに生えているという存在だ。例えば犬の耳が頭についていたり尻尾が生えていたり。
グレイもその内の一人であり、黒い尖った犬の耳と普段は服の中に隠れている垂れた少し短めの尻尾が生えている。
亜人は普通の人間と形が少し違うだけでウィスターリの王族は毛嫌いしていた。亜人を奴隷扱いし、酷い扱いをしてきた。アマーリエはそれとは違い、亜人と共に過ごし、平和的な関係を築いてきた。
だから双方気にくわない。
フェンリオネはウィスターリに嫁ぐときからずっと考えていたのだ。
必ずウィスターリの亜人差別を変える、と。
ただそれだけのためだ。それだけのために私は敵国ウィスターリに嫁ぎにきた。そう深く胸に刻んで。
「……その口、その声で俺以外の男の名を呼ぶな」
アーサーはなにやら不機嫌そうに顔をしかめ、ゆっくりとフェンリオネに近づく。
「それは困ります。グレイは私の従者ですので」
内心フェンリオネは今この王子のいった言葉の真意がわかりかねた。
(何をいうのかしら、グレイ以外にもほかにも大切な客人が男性だったりするときはどうするのよ)
そう言おうと口を開いたとき、なにかに口を塞がれた。
アーサーの口だ。
「やっ………!」
いつの間にかベッドに近づいていたアーサー。
結婚式のあの形式的な誓いのキスとは違う、深い口づけ。
抵抗しようと手を動かそうとするも、アーサーに手をやすやすと動けないように掴まれ、そのままベッドの上に倒れこんだ。その衝動で必死に閉じていた歯が開いてしまい、口の中に生温かいなにかが侵入してきた。
「ふぁっ……んっ…!!」
頭が真っ白になった。
舌によって口内全体をなぶられ、舌と舌が絡み合い、唾液を吸われ、また注がれる。
呼吸が苦しい。空気がほしい。体の力が段々抜けてきたのが分かる。ダメだ。抗わくちゃ。だが力が入らない。口づけが深ければ深いほど力が抜けていくような気がして―――
やっと口を離された、いつの間にか閉じていたらしい目をゆっくりと開く。アーサーが口と口の間にできた銀糸を艶めかしい赤い舌で舐めとるのが見えた。
呼吸がつらい。体が熱い。思考がままならない。
「今日からお前は俺の物だ」
ゆっくりとアーサーは口を開く。
「フェンリオネ」
両手はまだ捕まれているが、なかなか力が入らない。
そしてゆっくりとアーサーは手をフェンリオネのドレスに手をかける。
リボンをゆっくり解かす。ドレスが崩れる。
その時、大きな音をたてて、部屋の扉が開いた。
グレイがそこに立っていた。
◇◆◇
(……しまった)
グレイはきた道を足早く戻っていく。
(今日は結婚式……婚約者との初夜じゃないか。どうしてそんなことを忘れたのか)
あの青髪を、違う男に触られてほしくない。あの唇を誰かに奪われたくない。
(あの姫さんは俺が守る。たとえ夫だろうがフェンリオネに自分以外の男と……………)
フェンリオネは母親を生まれてすぐ亡くした。もとから病弱な人であった。父親――現国王は大層フェンリオネを愛した。アマーリエにはこの二人しか王族がいない。現国王はもう一人子供をつくろうだなんてまったく考えてない。
そんなフェンリオネは思いやりのある優しい子に育った。国民を大切にした。国民もフェンリオネを愛した。
フェンリオネは生まれてすぐグレイが従者として身近に仕えた。だから彼女がどんな女性なのかも知っている。意志がとても強く、凛々しい美しさがある反面、不純な行為など、ほとんど耐性がないまさに聖女のような脆く淡い存在。犯されることを知らず、誰かに自分の全てを支配されることも知らない。
(あいつは俺が……!)
ようやく部屋につき、ノックもせず、扉を開いた。
見ると、アーサー王子が弱々しく頬を赤く染めたフェンリオネをベッドに倒していた。
静かな部屋でフェンリオネの荒々しい呼吸だけが響き渡る。
目の前の光景で一瞬頭が真っ白になった。
もう遅かったか?
いや、まだ大丈夫だ。
すぐにいつもの自分を取り戻す。
「……亜人、すぐにこの部屋から去れ」
アーサーはこちらに見向きもせず、じっとフェンリオネを見つめたまま低く唸るように言った。
「俺の主はフェンリオネ様であってあなたではないので命令には従えません」
「…………」
その言葉を聞いたアーサーはゆっくりとこちらを見た。
フェンリオネも若干潤んだ目をこちらに向けきた。
フェンリオネの唇が音を出さず、グレイと動いたのを見て、軽く微笑みかける。
「……ふん、まぁいい、今夜はお前のせいで萎えてしまったな」
ゆっくりとベッドから降りる。
そしてゆっくりとまたフェンリオネの耳元に顔を近づけて、
「お前は俺の物だ。今夜みたいなことはいつでもできる。お前がなにを考えていようとな…覚えておけ」と囁いた。
フェンリオネの体がびくりと震えた。
そしてそのまま部屋をでていった。