Act.7 ―Caduceus “螺旋の蛇”―
“螺旋の蛇”は混沌とした隔離街に複数存在する組織の一つ。
構成員は全員“強力なマホウ遣い”。
その圧倒的な力と組織力、リーダー『モレク』の持つカリスマ性に惹かれた人間たちで作られている。
マホウの技術と精度、応用力についての教育も行っていると言う隔離街では異色の集団。
配給の主導や、過去の技術や遺産を提供していることから、名を知らないものは居ない。
その圧倒的統率力と能力と言うのは隔離街、M地区だけで無く、S地区の上層部も知るところであり、危険視されているともっぱらの噂だ。
カインは気がついた頃から『なぜか』“螺旋の蛇”に敵視されていた。襲われると言うことは無かったが、街ですれ違うだけで殺気を向けられるため、“螺旋の蛇”主導の配給には行った事が無いから、やはりこの男は一度も見たことが無い。
「で、“螺旋の蛇”の幹部様が俺に何のようだ?」
恐怖ではなく、何故か嫌悪感を放つエイダを背中に感じながらサムソンと名乗った男に殺気を向ける。
「そんな怖い顔すんなよ、カイン。」
「見ず知らずの人間に良い顔できる程、良い環境で生きてこれなかったんでね。」
サムソンは少し悲しげな顔をして大きく溜息をついた。
「はぁ……ホントに覚えちゃいないらしいな。」
カインの反応を見るが特に変化は無い。つまる所“赤の他人”と『思われているのだろう』。
「しかしなぁ、ほぅ。さすがリーダーのマホウだ。衰えを知らないのはマホウも一緒って訳か。」
関心と感心からサムソンはカインの周囲をグルグルと見る。サムソンの動きにあわせ、エイダを背にしながら身体を動かす。
三週もしたところでエイダが我慢できずに口を開く。
「あの!うちのカインに何か用件ですか!?」
「……うちのって。」
サムソンは一時停止でもしたかのように足を止め申し訳なさそうに頭を掻いた。
「お、おぉすまねぇな――えぇと……」
「エイダです。」
サムソンは歯をむき出しにしてニカッと笑い、「エイダちゃん、大切な用事なんだ。」と言ってカインに視線を合わせる。
「カイン、リーダーがお呼びだ。」
「『リーダー』……あの『不老のモレク』が?」
「あぁ、そうだ。訳がわからないだろうが、とりあえず着いてきてくれ。」
「嫌だと言ったら?」
「命令に違反しちまうが、首だけでも届けさせてもらうわい。」
笑みの質が変化し、体感温度が一気に下がる。そしてサムソンの視線はカインの背後へと注がれる。
汗が額に一筋の道を作る。
連れて行くにはどんな手段も選ばないのか……。抵抗は無駄、と言うわけか。
視線をサムソンから外して、エイダを見る。エイダはカインと眼を合わせて一度頷いた。
「一つ条件がある。」
「幾らでも聞いてやるぞ!さぁっ来い!!」
サムソンの勢いに若干気圧されながらカインはエイダを自分の隣に並ばせる。
「エイダが一緒でも構わないか?」
「!子供が成長するのは早いんだなぁ…俺も歳取るわけ――」
「構わないか?」
サムソンのペースに巻き込まれないように話の腰を折って再度聞く。
「もちろん!一緒の方が何かと都合が……いんにゃ何でもねぇ。内容は詳しくは話せねぇが、残念ながら筋トレじゃあ無いらしいぞ。」
嬉々として部屋を出ようとするサムソンに聞こえないようにエイダと小声で話す。
「……なぁ、色々と間違えた気がするんだが。」
「……うん。でも選択肢が無いんだから間違えようが無いよ。」
ハァと二人で溜息をついて、サムソンの背中を見る。どこまでがネタなのか計り知れないが、強者揃いの“螺旋の蛇”で幹部をやっていると言うことはやはり実力者なのだろう。
「どうしたぁ?二人とも、とっとと行くぞー。」
朝の時間がやって来て薄明かりが外から差し込む。
意識していなかった、というか忘れていたのだが、実力者であろう“螺旋の蛇”幹部が、何故流血するほどの怪我を負ったのかカインは今になって気になり始めた。
「そういえばアンタ……サムソン。」
「お!?どうしたカイン!何か思い出したか?」
「いや、何も思い出してはいないんだけど……なんで怪我したんだ?」
後ろで噴出す音とクツクツと笑いを堪える様な音が聞こえる。どうやらエイダは“瞬間”を目撃したらしいが……何故笑っているのかはわからない。
窓の淵に足をかけながらサムソンは空に眼をやり、気まずそうに口を開いた。
「そのー、何だ。ベランダが軟弱な奴だったんだ。俺のグレイトフルボディに――」
「要約すると。」
「壊れて、落ちた。」
「……おい、まさか。」
カインは窓際に走りより、経緯を悟った。あの激しい衝撃と音はサムソンの着地した時に、ベランダが壊された衝撃と音。10階から落下しての流血沙汰。
元々巣への入り口であったベランダがあったところには僅かばかりの名残しか無かった。
こめかみを押さえ、サムソンに何か言ってやろうと視線を向けると、サムソンの姿は既に無く、下に逃げた後のようだった。
「ったく、バカバカしい。」
「サムソンさんが来たときの慌てっぷりの事?」
エイダは隣に並んで意地悪く微笑んだ。
「あぁ、そうだよ!っとついて行かないと首だけになっちまう。ほら、行くぞ。」
「えっ、ちょっと待っ――」
からかわれた仕返しにとエイダの腕を引っ張り、2秒ほどの自由落下を始める。着地の瞬間にマホウを展開して衝撃を殺す。
無事着地をした後、乱れた髪を手ですきながら、エイダはその顔に怒りを表していた。
「もう、いきなりはやめてよ!」
「あぁ、善処するさ。」
カインは笑いながら、むくれるエイダの頭を撫で、サムソンの巨体を捜す。あの巨体、見失うはずが無いと思ったが…。
「カイン、笑顔が増えたなぁ。ええこっちゃ、ええこっちゃ。」
声が聞こえる方向へ首を巡らすと、地面から生えている茶色い半球。サムソンが鼻から上を覗かせてニヤニヤと笑っているのを見つける。
「ほらー、お前ら行くぞー。」
声を響かせながら手を振り始めたため、二人は「シーッ」と唇に人差し指を当て周囲に気を配りながらサムソンの元へと駆け寄る。
サムソンが居たのは直径2メートルほど、深さは上から確認する限り4メートル強。
風が抜けているところを見ると横穴が繋がっているのだろう。
巣のすぐ近くにあったというのに、サムソンが来なければ気がつかなかった大きな入り口。
「すごいな。コレもマホウか。」
穴から這い出してくるサムソンに声をかける。
「あぁ、否定はしねぇよ。こいつのお陰で本部は天使とは無縁だ。」
今の所、な。と続けるサムソンの行動と言葉から考えると、万能ではないにしろ、認識をずらす作用があるのか、それとも迷彩か…カインの思考はどこからか――だが確かに近い距離から響いてくる爆発音でさえぎられた。
「カイン、サムソンさん、急がないと。」
エイダの表情に焦りの色が浮かぶ。笑みを浮かべていたが、険しい表情へと変化したサムソンと一瞬視線を交わし、「先に入りな。ほら、エイダちゃんも。」という声を聞き、縦穴に飛び込んだ。
案の定、縦穴からは横穴が延びていて、等間隔で電球のようなものが光っている。横穴は高さが2.5メートルほど。
観察と確認を一瞬で済ませ横穴に身を入れるとエイダが降りてくる。
サムソンが降りてきたところで縦穴から落ちてきていた外の明かりが途絶える。入り口が閉じられたのだろう。
「ささ、明かりはあるし一本道だから道なりに進みな。一応足元には気をつけてな。」
一般のトンネルのように半円状ではなく、チューブ状の通路。それは蛇の腹の中をイメージさせた。材質はゴムかリノリウムのようなもの。慣れたコンクリートやアスファルトとは違う滑らかな材質にどことなく不快を感じる。
「サムソンさん、この明かりもマホウ?」
「半分正解だ、エイダちゃん。正確に言えば発電機を動かしているのがマホウなんさ。俺はサイクルマシンでの発電を提案したんだが相手にされなかったな。」
「当たり前だろ…それよりそんな話しても大丈夫なのか?機密とかじゃ。」
後ろで大きな鼻息が一つ聞こえた後「コレくらい話したところでどうにかなるような組織じゃないわい」と誇らしげな声が聞こえた。
トンネルを作ったのもマホウ、それを隠すのもマホウ、そして維持するのもマホウを使っていると言う。
強力なマホウに加えて応用力を鍛えているというのは侮れないものだとカインは感じた。
20分ほど歩いただろうか、通路の先に強い光が見える。外の明かりとも若干質が違う光。
「サムソン、あの光が出口か?」
「おぅ、そうだ。“螺旋の蛇”の本部で、秘密基地だぞ。」
薄暗かったトンネルから出ると、光に目が焼かれる。明順応するのに一瞬の間を要した。
慣れた目に飛び込んできたのはどこかのビルのエントランスのような所。そしてトンネルの脇に一人、見張り役の人間だろうか。時々こちらに視線を向けながらサムソンに話しかけている。正面には二箇所変わった装飾が施してあり、見回すとカイン達が出てきたようなトンネルが複数存在する。それぞれのトンネルに一人人間が立っていた。
全てが先程通ってきたのと似たような通路なら、隔離街のどこからでも突然現れることが可能になる。
窓が無い所を見ると、どうやらまだ地下なのだろう。
話を終えたサムソンが辺りを見回している二人に声をかける。
「悪いな、二人とも。ちょっと野暮用が出来ちまったから、ここでお別れだ。案内役が来るからちっと待っててくれや。」
カインとエイダが頷いたのを確認するとサムソンはニカッと笑った。
「まぁ、ひょろっこい奴だが頭は切れるから問題ねぇ。カイン、エイダちゃん、また後でな。」
サムソンが左手をひらひら振りながら正面右側の装飾に向かって歩いていくと、装飾が左右に真っ二つに割れる。どうやら自動ドアだったようだ。チラリと見えた限り、小奇麗な廊下が真っ直ぐ伸びていた。
装飾が元に戻りサムソンの背中が見えなくなったところでエイダが口を開く。
「なんだか凄い人だったね。いろんな意味で。」
「あぁ、そうだな。」
一息ついて、見張りの少年に話しかけようとした所で、装飾が開く音がする。サムソンが出て行ったのとは逆の左側の装飾が割れ、人影が見えた。どうやら正面の装飾は左右共に自動ドアらしい。
扉の向こうからは、細身の体躯でカインと同じくらいの身長、そしてメガネをかけた青年が現れた。年齢はカインの少し上だろうか。
青年が現れた瞬間、見張りの少年達が一斉に敬礼をする。青年が手を振り、敬礼を解かせる。
エイダは統率された動きを見るのは初めてなのか、感心したように周囲を見回していた。
カインも実際に見るのは初めてだった。一瞬言い表し様の無いプレッシャーを感じた。
まっすぐこちらを見据えて歩いてくると言う事は、彼がサムソンの言っていた“案内役”なのだろう。
「久しぶりだねぇ、カイン!あの泣き虫が女連れとは良いご身分じゃないか…と言っても覚えていないのか。はじめまして二人とも。僕は“螺旋の蛇”の参謀役『イサク』だ。」
「あ、あの私エイダと言います。関係ないのに着いてきちゃってすみません。」
「君がエイダか。うん、情報は入ってるから何の問題もないよ。」
カインの方を見て少し安心したかのようにメガネの奥で眼を細めるイサク。
親しい友人に送るような眼差しに軽く動揺しながら、カインは疑問を口にする。
「アンタも俺のことを知ってるのか?」
「随分他人行儀な呼び方するね。そうだな、敬意を込めてイサク様で良いよ。」
“螺旋の蛇”には変わり者しか居ないのかとカインは溜息をつく。
「……イサクも俺のことを知ってるのか?」
「んーまぁいいか。その辺りの詳しい事は、僕の口から話す事じゃないんだ。二人とも、とりあえずリーダーに会ってもらうよ。積もる話はその後。」
「『不老のモレク』に聞け、と言う事か。」
「端的に言えばそうなるね。」
ならば、これ以上言う事はない。疑問もそこで全て明らかになるのだろう。
「私が着いて行っても大丈夫なんですか。」
「もちろん。エイダも一緒に来てくれ。それにその方がこちらとしても“都合がいい”しね。」
イサクは二人の顔を見て、他に質問がないことを確認して「じゃあ、こっちだ。着いてきて。」と先程でてきたドアに向かって歩き始めた。
右側のドアと違い、左側のドアの向こうはすぐに行き止まりだった。イサクが突き当たりの壁についているコンソールを触ると、ドアが閉まり浮遊感を感じる。
コレはエレベーターだったようだ。動き始めて感じた浮遊感から下りていっているのがわかる。
地下二階を過ぎたところでイサクが振り返って話を始めた。
「この施設は地下7階まであるんだ。地上は2階で、さっきいたのが地下1階。これからリーダーのいる5階まで降りるよ。」
「やっぱり、リーダーは動かないんだな。」
「それが“組織”と言うものだよ。カイン。」
「あの、“螺旋の蛇”ってどれくらいの歴史があるんです?」
「話を聞く限り、100年は確実だよ。リーダーの口を割らせれば――」
「――詳しく聞けるかもね。さぁ、到着だ。」
乗り込んだ時とは違い、イサクの正面の壁が二つに割れる。エイダは感心したように『入口』と『出口』を交互に見ていた。
『出口』の先には少しばかりのスペースと無骨な鉄の扉が一つ。他はコンクリートの壁と床、天井しかなく、“リーダー”が扉の先にいるのは明らかだった。
イサクはカインとエイダに振り返って一つ頷くと、扉をノックした。
「イサクです。サムソンに代わり、対象を連れてきました。」
【鍵は開いてるぞ。】
マイクを通した声が響く。どこかにスピーカーが埋め込まれているのだろう。
「失礼します。」とイサクが扉を開けた後、そのまま身を扉に寄せ「さぁ、入れ」と手招きをする。
カインが先に部屋へと入り、エイダが入った後で扉は閉められた。広い部屋の中には机とソファが一組、そして本棚が一つある。広さの割りに調度品はごく少ない。机の向こうには30代位の男が座っていた。
「そんな所に突っ立ってたら話しづらいだろ。」
椅子に座っていた男が立ち上がり、部屋の中央においてあるソファに腰掛ける。身長は180cmほど。ポンチョを身に纏っているから体型は分からない。ゆるくウェーブがかかった銀髪は肩にかかるほどの長さ。男は対面のソファを指差しながら、藍色の瞳でカインとエイダを見た。
「二人ともそこに座れ。イサクは…私の隣に座るか?」
「いえ、僕は立ってます。」
「そうか」と男は一言言って、イサクに向けた視線を二人に戻す。
「久しぶりだな、カイン。…いや、『はじめまして』か。話は聞いているぞカイン、そしてエイダ。」
カインとエイダは顔を見合わせる。また“久しぶり”だ。
「私は“螺旋の蛇”のリーダー『モレク』だ。こう見えて年齢は300を越えている。」
詳しい年齢を言えないのは200を越えた時に数えるのをやめたからだとモレクは笑う。
30代、もしくは20代後半だと思っていた、リーダー・モレクの年齢は予想の遥か上だった。
「『不老のモレク』……ね。」
どう考えても人間の年齢ではない。二人は黙ってモレクの話に耳を傾ける。
「今回、お前らを呼んだのは“カインに”仲間になって欲しいから。そして――。」
そして一つ頷くと小さな悲鳴が隣から聞こえた。カインは首を巡らすとイサクがエイダを拘束していた。
「お前っ、何を!」
「そして、カイン。お前の秘められた力をを開花させる為だ。」
「……秘められた……力?」
カインがモレクに視線を戻すと、モレクが口を開いた。
「そう、それは形成の先。それは魂に刻まれた罪ではなく、今生の個人の力。さて、下準備その二だ。私が“封じた”記憶よ、再生を始めろ。」
モレクが指を一つ鳴らすと、“今まで思い出せなかった記憶”が一気に流れ込む。
「っ!」
記憶の奔流に抗いながらカインはモレクを見据える。
「…あんた。」
「思い出せたか?なら、現状とエイダについて説明は不要だな。」
全て思い出した。そして、こいつらは何のためらいもなくエイダを殺せる。
結果の為なら手段を選ばない。俺はそう“教えられた”。
思案の末、足元に視線を落とすとモレクの影が足元まで伸びている。
――ならば…まずは、モレクを拘束してやる。
「“Yetzirah”Kinderspiel・Das Spiel des Schattens――“形成”児戯・影踏み」
文言が部屋に響くが、カインのマホウは“発動しなかった。”
この部屋ではカインの文言と重なるようにもう一つの文言が響いていた。
それはモレクの文言。
モレクはソファに身を埋めた状態で腕だけを上げカインを指差して文言を口にした。
「“Yetzirah”Kette・Karma――“形成”封・マホウ “封”が罪の私を封じようだなんて甘い考えだ。一撃必殺が多いとは言え、“児戯”の欠点は詠唱が長い所だな。」
モレクのマホウは“封じる鎖”。カインのマホウはモレクが“鎖”を解くまで使う事ができない。
「解っているだろう?『戦わなければ、エイダを殺す』。しかし、お前の牙は“封”じられた。」
口の端をニヤリと歪めモレクは言い放つ。
「二人死ぬか、一人死ぬか、それとも隠されし爪で私とイサクを殺しにかかるか…さぁ選べカイン!」
カインは拘束されているエイダを見、エイダの両腕を掴んでいるイサクに視線を移し、歯噛みしながらモレクを見据える。
「そんなもの決まっているさ。――“親父”と“兄貴”だろうが、俺は容赦しない。」