Act.6 ―Fragment “悪夢と記憶”―
警戒心はそのままに身体の緊張を解くと膝から力が抜け座り込んでしまう。
安堵は感じているが、先程まで身を包んでいた恐怖から未だに呼吸は浅いまま。
(俺は何に恐怖していた?)
命をやり取りする“戦場”には慣れているつもりだったが、護るというのはこんなにも重いのか――。
貧乏ゆすりのように震える足は感じたことの無い喪失感が与えたもの。あの瞬間、“図書館”に導かれなければ今頃は……。
「……かっこわりぃな。」
ベランダにいるエイダに聞こえないように小さく呟く。既にふさがりつつある脚の傷に落としていた視線を上げ、エイダに顔を向けた。
エイダはカインの視線を感じて俯いた顔を上げてカインと眼を合わせて、恐怖と安堵が同居した表情から力が抜けたように涙を瞳に湛えながら口元に笑顔を浮かべる。
「腰が抜けちゃった。」
「だろうな。」
つられるようにカインも口元に笑みを浮かべて、膝に手を当てながら立ち上がりエイダに近づく。
「大丈夫か?」
「怪我とかはしてないよ……ちょっと立てないだけで。」
「そうか。でも、いつまでもベランダにいるのも良くないな。」
背中と膝裏に手を回し、エイダの上げる小さな悲鳴を無視していわゆるお姫様抱っこで抱え上げる。
「えっと……重くない?」
「あぁ、思っていたほどじゃない。」
「そこは嘘でも『羽根の様に軽いよ』って言うとこ――キャッ」
モノが落ちる音と同時に再びエイダの小さな悲鳴。エイダが言い切る前に呆れた顔をしてカインは両の手を離していた。
「なんで落としますたか!?」
「(……すた?)スマン。急に腕が取れるかと思うくらい重くなった。」
ニヤリと笑いながら「もう大丈夫だろ?さて、寝床を作るのを手伝って欲しいんだが。」と言うカインに頬を膨らませながら「わかりました!お手伝いさせてもらいます!!」と立ち上がるエイダ。
部屋の真ん中に“箱”が鎮座しているから必然的に部屋の隅で寝ることになってしまう。
箱が落ちてきた時に舞った欠片や、天井の穴、アルケーとの戦いの跡を片付け、“取り合えず”寝られる場所を作る。
“綾取り”で天井の破片を払い、“飯事”で破片に意思を持たせ誘導させながら「そういえば」とエイダに声をかける。
「お前、やっぱりマホウ“みたいなもの”使えてるよ。」
「みたいなものってどういうことネ?」
「いい加減機嫌直せよ。キャラがぶれまくってるぞ。」
苦笑しながらため息をついて流れを元に戻す。
「“何”を“どう”形成してるのかわからないから“みたいなもの”。」
マホウは魂に刻まれた“罪”を形作るもの。常時発現型のように、一回発動してしまえば常に具現化されているものもあったり、“児戯”の様に発動条件が複数ある特殊発現型などもあるが、何らかの形を成すといった点では例外は無い。
「でも、俺の“本当のマホウ”を“視た”のは事実だからな。」
「やっぱり、カインのマホウは“児戯”だったのね。」
「あぁ、そうだ。」
「……だったら私は本当に何をどう形成してるんだろう?」
「とにかく『人の魂を視る』とかそれに近いマホウなんだろうな。……そういえば、最初に会ったとき他にも何か言いかけてなかったか?」
「ん?……あぁ!うん。カインの魂って鎖で縛られてるんだけど、その中に厳重に縛られた“何か”が二つあったの。」
二つ……鎖で縛られたと言うと“児戯”の本も鎖で縛られていたが、それは解放された。なら、もう一つは何だ?
「今はどうだ?」
「ちょっと待ってね。」
エイダはカインの胸の辺りをじっと見て一つ頷く。
「やっぱり二つあるよ。」
「“児戯”とは別に?」
「うん。児戯と同じ――多分罪の形のもの。中身が見えない罪が一つと、よく分からないけどもう一つ。」
「つまり、俺の魂には罪が二つと鎖に縛られて訳のわからない何かがもう一つあるって事だな。」
その一部を除いてほぼ全てが何らかの制限を受けていると言うことか。
「児戯がはみ出てる部分以外は鎖がグルグルだから、形がチョット見えるくらいだけどね。」
「はみ出てるってどんな形だよ。」
「デス・●ターの凹みが凸版見たいな感じ。」
「そんな前時代の名作よく知ってるな。」
つまり球体である魂から児戯が飛び出していて、その部分は鎖で覆われていない。他の部分は鎖の隙間から薄っすら中身が見えている状態なのだと言う。
「なるほどな……全容はその鎖が阻んでるって事か。」
「鎖って言うか、もしかしたらコレ――」
眉をひそめて小さく呟くエイダ。
「ん?どうした。」
頭を振って「ううん。よく分からないから良いや。」と返す言葉を聞いて、「そうか」と言いながらカインはある程度片付いた床に腰を下ろした。
身に纏っていたコートを床に広げ、「少し休もう。エイダはコートの上な。」と告げながら、感知・トラップ用の“綾取り”を室内に張る。
返事を聞くことなくコートの袖を枕にして横になりもう休むことを自ら示し、遠慮がちにコートの上に横になるエイダの気配を背中に感じながら深い闇の中に意識を落としていく。
今まで感じたことの無い緊張感から解放された反動と、久しく感じていなかった“敵ではない人間”の気配に安堵のせいか、夢を見る程に深く落ちるのに時間はかからなかった。
◆
俺は元々S地区に住んでいた。
古い記憶の為か、その詳細は酷く曖昧で、おぼろげな輪郭と微かなディテールで構成されていた。
両親と弟がいたこと、仲の良かった友達がいたことだけは確かに記憶に残っている。
“学院”と呼ばれる一般教養とマホウの遣い方を教える施設に通っていたのも間違いない。
初めてマホウが遣える様になったのもその頃。
教育機関に行っていたのだから、遣える様になって然るべきとも言えるか。
20歳までに確実に開花するマホウを早く会得し、正しく遣える様に訓練する為の機関。確か、そんな感じ。
その実態は闇の研究機関だった、なんてことは無く、至って平凡な学校。マホウ発現・実践という授業が無ければ塔暦以前、旧時代の学校となんら変わりない。
陰謀的な部分を無理矢理探し出すとすれば、『有能な人間は年齢に関わらず教会六部隊にヘッドハンティングされる』といった所か。
カースト的にも、治安的にも最上位のレベルにあるS地区に住んでいた俺。そんな俺が何故隔離街にいるかというと、その辺りを思い出そうとすると急におぼろげな輪郭すら失ってしまう。
つまるところ“記憶から抜け落ちている”という事。
さぞかし辛かったのだろう。
トラウマで記憶を封じてしまったのだろう。
まぁ考えられる要因は幾らでもあるけれど、ハッキリした理由という物は思い出さないわけには解るわけが無い。
S地区にいたであろうエイダと出会ってしまったせいだろうか、自ら封じてしまっているのかもしれない記憶の一片を手繰り寄せようとしている自分がいることに驚く。
そんなことをしようものなら、汗まみれで眼が覚めるというのは経験で解りきっているというのに。
だけど、夢というのは意図の有無に関わらず再生されていく。
「カイン!君の“マホウ”は―――。」
「なんてことだ!塔が―――。」
「――を捕まえろ!」
「カイン!カイン!ねぇ、あの子が何したって言うのよ!」
「あの少年はクラスA以上の攻撃特化マホウを有しています。S地区にいるべきではない存在、」
――危険分子なんですよ。――
「M地区へ連行しろ!」
「お母さん!お父さん!」
あぁ、やっぱりこのシーンか。
起きたら忘れているけど、見ると何度も見ていたことを思い出す夢。
そしてこの後はいつも脈絡の無い続き。
本でしか見たことの無い“夜空”と“星”が視界を覆う。
横に視界が移動していき、倒れ臥す人影に焦点が合う。
「……――。」
人影は微かに笑い、その身体から命を零す。
自らの身体に力を入れることは出来ず、近づく事は出来ない。
自分の身体からも命が失われるのを感じながら、俺は泣く。
声をあげることも出来ず、ただ涙を流す。
そうして、喪失感と虚無感に支配されたまま、眼が覚めるまで夢は延々と繰り返される。
俺が記憶を失っている事を責め立てるように。
この夢に救いは無い。
――俺は、何を忘れてしまって、何から逃げ続けているんだ。
自らの夢の中で問いかけても、解を与えてくれる者は居ない。
だが、目覚めという名の一時的な救いはもたらされた。
『自然に』ではなく、『やや強引に』。
◆
エイダは横になり眼を瞑ったものの、眠りには落ちていなかった。
緊張や心配から来た疲労はあるものの、考えることと不安が多すぎて眠りにつけないという典型的な不眠。
カインを一目見たときに感じた安心感をはじめとした不思議な感覚のこと。
そもそも、自分があんな箱に何故入っていたのか。
今、M地区を襲う天使と呼ばれるロボットのこと。
そして、自分の記憶の事。
不思議なくらいに“過去”というものが綺麗に抜け落ちている。
一番不安なのは『自分は本当に自分なのか』という事。
過去がないということは自分を構成している物の9割が無いということになる。
知識やそこから連なる発想というのは“今”の自分を構成するには心許無い物。
最も重要な“過程”がないというのは自分の存在を酷く曖昧なものにしてしまうのに十分だった。
寝返りを打つように身体を動かし、カインの背中へ視線を向ける。
身体の動きはほとんど無い
(まるで死んでいるみたい。)とエイダは思い、少し不安になる。
微かに上下する肩と、時折口から漏れる声から不安は解消されるが、夢見が悪いのかもしれないと次は心配をしてしまう。
なぜ、こんなにも彼の事が気になるんだろう。
何の得にもならないのに「護る」と言ってくれた彼。
その背中へ手を伸ばし――触れる直前に気配を感じてベランダへ視線を移す。
視界に入るのは月光が射す夜の闇を切り取った四角い窓と、アルケーの残骸。
そして数瞬の後に気配の原因だろう、月光を背に浴びた黒い影がベランダに舞い降りる――かと思ったら、着地の衝撃でベランダが壊れる。
「ッ!」
「っ!」
エイダの声を殺した悲鳴と同時に息を呑む音が聞こえたのは気のせいではないはず。
轟音とベランダだった部分、そして野太く長い悲鳴を引き連れ黒い影は視界から下方へと消える。
エイダの脳裏には不安や心配の代わりに、落ちて行く影――ガタイの良い男が浮かべる哀しそうな表情が焼きついていた。
深い眠りに落ちていたのに眼が覚めるほどの轟音が響く。綾取りに動きを感知させる必要などないほどの衝撃が目覚ましになった。
カインが眼を開くと起こそうと身構えるエイダが視界に入る。
「どうした!何があった!?」
尋常じゃないほどの轟音。さっき天使の箱が落ちてきた時と同じくらい酷い。
「…まさか、もう一つ天使の箱が――。」
「イヤ、ソレハナイヨ。」
エイダは苦い顔をしながら、やや食い気味に否定した。
「……どうして言い切れるんだ?」
「とりあえず綾取り解いて。下見れば分かるから。私はオススメしないけど。」
カインの心配をよそにエイダは呆れた声で指示をする。疑問は尽きないが、真相を知っているのはエイダだけ。形成を解除して、腰を上げる。
「ふっ、このベランダが!軟弱な奴め!!」と言う声が窓の下から響く。これは、間違いなく人間だ。だとしても安全を確認しなければならない。隔離街には敵しか居ない。
寝床からベランダに向かって一歩足を踏み出した瞬間――赤い模様が入った茶色い球体が窓の淵から覗く。位置的にベランダの床部分から生えている計算になるのだが…。
「フハハハハ!!確認するまでもないぞ!久しぶりだなカイン!ちゃんとプロテイン飲んでるか!?」
頭から血を流している大男が窓から現れた。
そして時間が完全に止まる。カインとエイダは声が作った残響が消える頃にようやく現状を把握した。
この部屋にはカイン、エイダ、箱、スクラップ、そして謎の男。
……………お前誰だー!!
と叫びたくなるのをなんとか堪えた。
しかし男の台詞に一番の違和感を覚え、カインはエイダを背に隠しながら思案をつづける。
「久しぶり?って、カインの知り合い?」
エイダも同じ事を疑問に思ったのか考えていたことを尋ねてくる。
褐色の肌に巨大な身体。身長は2m近くあるだろう。左手はエイダの腰ほどもある。右手は機械化義手で、手のひらに当たる部分には何故か拡声器がついていた。この寒さの中Tシャツを着ている。足元はだぼっとしたズボン。
そしてそのTシャツはワンサイズ小さいのか、鍛え上げられた胸筋だけでなく、腹筋までもがしっかりと形を浮かべている。
こんな知り合いがいたら忘れたくても忘れられない。
「ん?覚えちゃ……おぉ!そういえば自己紹介からだな。俺の名前は『サムソン』。“螺旋の蛇”で採掘班と配給班のリーダーやってるんさ。お?嬢ちゃん細っこいなぁ。ちゃんとプロテインのんでるか?」
近づかれてもいないのに、エイダは一歩身を引く。目の前には血を頭から流しながら、プロテインの事を話す男。
普通に生きてきたなら、絶対に出会わない・出会いたくない人間だとエイダは思っていた。