Act.5 ―Kinderspiel “護る為の力”―
間近で見ると機械であることがよく分かる。身の丈はほとんど差が無いが、肩と骨盤がせり出し、腕と脚、腹部は細い。
色は白く、関節は球体で出来ている。首や、肩部にコードが走っているのが機械である確かな証拠だろう。
広場で見た“アンゲロス”とは若干違う形の頭には赤い単眼が走る。
“アンゲロス”と比べ大きく違うのはその手足と翼。
手には指が無く、代わりに肘部分から一直線で先は鋭利に尖っている。足も同様に膝部分から一直線。正面から見るとちょうど爪先立ちのような格好になる。
翼は三対ついており、内二対は骨組みのみで出来上がっている。残りの一対は移動の補助をするものだろうか、カウリングの中にスラスターの様な物が見えていた。
“アルケー”は俯かせていた頭部を上げ、赤い光を放つ単眼でカインを見据える。
観察しているのか、どう殺してやろうか考えているのか――しかし、どちらでも構わないこと。なぜなら――
「ここは俺の巣。準備は万端……さぁ動いてみろ、一瞬で縛り上げてバラバラにしてやる。」
アルケーが動きをはじめた。しかし、その動きは箱から出たところで停止する。カインは自らのマホウにアルケーが引っかかったことを一瞬確認し、両手十指を動かしてマホウを操る。
両の指は神速で動き、瞬く間にアルケーを縛り上げていく。
糸の強度は十分装甲を破壊できるレベルだということを確信して、大きく腕を開く。指先についた糸を引くことで締め壊そうと考えた。
――だが、その思惑はもろくも崩れ去る。
引っ張った瞬間、糸の張りが失われた。
原因はアルケーの“両手足”。
全力で引いていたことで、力が行き場を失い、カインはバランスを崩し後ろに倒れかける。
踏みとどまり、一瞬外れた視線をアルケーに戻すと、その両手足をすばやく動かし、箱の周囲に張ってあった“不可視”の糸を断ち切るアルケーの姿があった。
「あの腕と脚、剣になっているのか!」
“アルケー”と“アンゲロス”の大きな違い、それは翼の枚数と、“両手足が剣になっていることだった”。
どうやら、天使の位階というのは装備にも現れるようだ。
上位の天使を見てみないことには分からないが、“殺傷能力”が高い武器を装備している天使ほど位階が高いのではないのだろうか。
純粋な殺傷能力といった点では、アルケーの装備はアンゲロスの比ではない。
スペック自体も大きく違いそうだ、とカインは思いながら、新たに糸を繰り出す。
“可視”、“不可視”を織り交ぜながら、糸はアルケーへと走る。
だが、フェイントなどに臆することも無く、アルケーはすばやい動きで糸を断つとカウルで覆われた一対の翼を開き、姿勢を低くした所で視界から消える。
数歩先で金属がコンクリートを削る不快な音が聞こえると同時に、アルケーを視界に捕らえる。
間は一瞬で詰められていた。
「なっ……!」
動きを眼で追えなかった。一歩半程の距離に突如アルケーが出現したようにも見えるほどスピードは速い。
アルケーの右腕は既に攻撃を始めている。攻撃は不可能、避ける事は出来ない。なら、せめて防御を――
時を止めるほどの高速思考の中で唯一の答えを導き出し、反射にも近いスピードで自らの身をマホウの糸で覆う。
あの斬撃を直接身で受けてしまうとマホウ遣いの回復力でも追いつかないだろう。
アルケーの右腕はカインのマホウを断ち切りながら一閃する。
十重、二十重に編み上げた糸の八割を断つが、カインの身を裂くまでには至らない。
斬撃は防ぐことが出来たが、衝撃を殺すまでには至らず、カインの身体は壁を破壊し隣の部屋まで吹き飛ばされる。
「ちぃっ!」
ダメージを気にしている暇は無い。再びマホウを展開するとアルケーへと放つ。が、甲高い音と共に向かっていった糸は全て断たれた。
そして再びアルケーの翼が起動をし視界から消える。だが、カインはアルケーの動きが分かっていた。
攻撃の為に展開したマホウとは別に、探知の為にもマホウを展開していたからだ。
移動の勢いをそのままに振り下ろされる右腕を掻い潜りながら右肩の関節部に糸を巻きつけながらアルケーの背後へと移動する。
巣にカイン、隣室にアルケーという先程とは逆の立ち位置。
「さて、まずは右腕!」
巻きつけた糸を引くことで関節を締め壊す。肩を潰されたことで、アルケーの右腕は力なくぶら下がるが、アルケー自身の動きは止まることは無かった。
片足を軸にして、コンクリートを脚の剣で削りながらアルケーは反転し、攻勢へと移ろうとする。
さすがというか、やはり機械か……痛みは感じてないみたいだな。と分析しながら、探知の為のマホウを展開する。
同じ手には二度かからないだろうが、視覚が頼りに出来ない分、こうでもしておかないと一方的に殺されてしまう。
接近を感じて、次はよけることに専念する。アルケーに対し、この防御方法は意味を成さない。
右から左への横一閃から、右足のハイキック。左手を地面に突き刺し、コマの様に脚を回転させたところをしゃがんで避けると、翼の推力で姿勢を戻すアルケー。
バックステップで距離をとると、背中に壁の気配を感じる。
部屋の中央にアルケー、カインは壁を背に立っている状況。地の利と言った面では若干不利か。
探知用の糸を張りながらの戦闘。放っている糸に全神経を集中させる。
三度同じ初動、相手が機械であるという事がここで始めて有利に働く。
アルケーが振りかぶるのは遺された左手。右肩に近いところからこっちの首を狙うかのごとく横一閃に放たれる。
(甘いんだよ!)
壁に背を預けしゃがんだ瞬間に斬檄の音と風圧を頭上に感じる。
数本切られた髪が地面に落ちるより早くカインはアルケーの両股関節に糸を巻きつける。
だが、股関節を破壊する前にアルケーの右足が上がり、カインの左脚を突き刺す。
「ぐっ!……は…っ。」
痛みから思わず息を漏らす。
床が削れる音が小さく部屋に響いた。
操ろうとした糸は力を失って垂れ下がる。
いつまでも痛みに集中してるわけにもいかず、右足でアルケーの身体を蹴り飛ばすことで左の足に刺さっていた剣を抜くと同時に痛みに耐えながらアルケーの側面へと跳躍する。
体勢を整えたところでカインは大きな失敗に気がついた。
「なんで、気がつかなかったんだっ!」
敵に集中していたというのは言い訳にしかならない。
元々護りの戦いであることを忘れていたと言うのは事実。
さっきまで背中を預けていたのは壁ではなく“自分で編んだ糸”。
左の一閃でそれは一文字に裂かれた今、この部屋からは薄い光に彩られた夜の時間になった外が見える。
月光を模した光を浴びてエイダが立っているのが“部屋の中から確認できる”。
機械に例外は無い。
例え今日の夕方にM地区に訪れた人間であっても、対象であることは間違いない。
赤く光るアルケーの眼は既に“エイダを捉えていた”。
先の負傷を見ても声をあげまいとしていたのか口を手で押さえ、驚きと絶望を顔に浮かべる。
機械の駆動音と同時にアルケーが動き出す。
今までのアルケーの動きを見る限り、エイダが死ぬまでは一瞬。
「どうすれば助けられる。」
カインは左足の痛みに耐えながら、身体能力、思考速度を最大まで使いながらエイダの元へ走る。
絶望的な距離。
カインは手段を探すのを止めない。
引き伸ばされる体感時間。
だが、距離は埋まらない。
思わず眼を瞑る。
助けられない。
俺はまた――。
『諦めるにはちと早いんじゃないのか?カイン。』
場違いな声に眼を開けると、そこは“巣”ではなかった。
◆
木製の小さな椅子に腰掛けている。
目の前には終わりが見えない一本の廊下。
両脇にあるのは天辺が霞がかって見えない高さの書架。
本の数を確認するだけでも膨大な時間がかかるであろうおかしな構造の“図書館”らしき場所にカインはいた。
瞬きをすると目の前に革張りの赤い椅子に座っている“シルエット”と対峙していた。
ぽっかりと空間に穴があいてしまったような質量を持った“影”。
目鼻などはついていないが、眼が合っていることだけは解った。
『よぉ、カイン。ようこそ、俺達の領域へ。』
「…お前は――。」
『聞きたいことは解ってるぜ。そうだな…まず俺は“無意識”“影”“魂”“罪”“マホウ”そして“世界”だ。』
「それは、“俺の”か?」
『いや、定義できる物じゃない。お前自身は自分のことを真に理解しているかい?何一つ理解できてはいないだろう。容姿や声、性格などお前自身を確立している物はこの世界と同じように酷く曖昧な物。一個人の考え方で簡単に変化していく物。定義したところで他者の考え方で簡単に揺さぶられてしまう。だから、コレと定義してしまえるものはこの世には存在していない。俺はその代表格と言ったところかな。』
「クオリアというわけか。」
『さてね、定義できないと言っているだろう。そしてココは全てがある場所。時代、時空を超えて記録、保管されている。そうだな、色々な呼び方をされてきたが“図書館”で問題ないだろう。なんたって、この場所は俺達の為の場所なんだからな。』
「で、その図書館に俺が来た理由ってのは何なんだ。」
『呼び出されたと言わない辺り感心したよ。』
「無駄な話はいい、本題を早くしてくれ。幾ら加速しているからとは言え――」
『時間は完全に停止しているから全く問題はない。お前がココに来た理由、それは求めたからだよ。』
影は鎖でがんじがらめにされた一冊の本をどこからともなくカインに差し出す。
『この“図書館”で今のカインが読める本はその一冊だけだ。他には触れることすら叶わない。』
カインが受け取った瞬間、金属音が響き、鎖が解かれると同時に本は消えうせる。
「結局読めないんだが…。」
『カイン、君は“識った”はずだ。さっきの本に書かれていた全ての事象を。“彼女を護る方法を”。』
「だが、あの距離では無理だ…無理なんだ!」
『半端モノの似非マホウ遣いが何言ってるんだ。何もかも使い切れちゃいないんだよ。』
「な――俺は、糸繰りの――。」
言葉を出そうとした時、急に記憶が呼び起こされる。
エイダの言葉。
“――“児戯”。子供の遊びかー。何か似合わないね。”
「まさか。」
『スイッチ入ったか?そろそろ綾取りにも飽きただろう。』
そう、“子供の遊び”が俺のマホウだった。
気がつくと今までやってきたことが全て子供の遊びのように思えてくる。
一側面しか見ていなかったのか――。
『遣い方なんかは気がついた時に“理解”してるだろ?それとも、しっくり来てないか?』
「いや、確かに“児戯”が俺のマホウだ。何で今まで……。」
『その話は今ココですることじゃないさ。さて、お帰りは後ろだ。』
振り返ると両開きの扉が薄く開いていた。
『守りたい物があるんだろう?』
「あぁ。」
『今の俺なら助けられるんだろう?“児戯のマホウ遣い”。』
「当たり前だ。」
カインは扉の向こうへと走り始める。
護りたいものを護る力を身に宿して。
『さぁ!“ルール”と“遊び”は“俺”の“記憶次第”!誤魔化しは効かないが、“天使”と“遊んで”やれ!』
振り返ることなく走るカインは扉の向こうへと消え、両開きの扉も閉ざされ、跡形無く消える。
影は一冊の本を手に取り背表紙を撫でる。
その本は古く、開けばバラバラになってしまうであろう程に痛んでいた。
かすれた表紙には“Ain Soph Aur”とある。
顔はないが影は確かに微笑してカインが座っていた椅子を見た。
『“今回”はイレギュラーだらけだ。なぁ、エイダ。』
◆
そしてカインは現実へと意識を戻す。
だが時の流れは依然止まったまま。
カインが真価を発揮してさらに加速しているのに加え、あの異世界の力が若干ながら作用しているのだろうか。
しゃがんで頭を抱えているエイダの前に立ち、左手を振り上げ静止しているアルケー。
カインは右手を伸ばしながらアルケーに近づき、身体に「トン」と当てた。手の平に金属特有の冷たさを感じる。
そして、ごく自然にカインの口からマホウを発動させる言葉が紡がれる。
「“Yetzirah”Kinderspiel・Fangenspiel――“形成”児戯・鬼事」
“鬼”であるカインは“子”であるアルケーに触れている。
本当の児戯なら次はアルケーが鬼になるが、これは“攻撃型のマホウ”
文言が響くと同時に時間は再び動き出す。
しかし、アルケーは動きを止めたまま。
身体に無数の亀裂が入っていき、金属を落としたときのように甲高い音を立てながら崩れていった。
金属片になったアルケーを見下ろし、大きく息を吐く。
「つかまれば子は鬼に食われて死ぬ――これがルールだ。」