Act.2 ―Der Engel tanzte.“天使舞う日”―
カインは背中に水がたっぷり入った大きなカメを背負いながら大通りを『巣』へと向かって歩いていた。
巣が近くなったところで我慢できずに悪態をつく。
「こんなっ!量のっ!水だとっ!マホウ使いでもっ!息がっ!切れるんだなっ!……っと。」
30メートルは超えるビルの十階へと身長より大きなカメを背負いながら跳躍する。
この巣において階段を使用すると言う選択肢は存在しない。
エレベーターは機能しているはずも無く、肝心の階段は崩落している。だからこそ巣として機能しているとカインは考えている。
ベランダへと軽やかに着地し、部屋の隅へ背中に背負っている荷物を降ろす。
「容器自体の重さはほとんど無いのに、何で水はこんなにも重いんだろうな……歩いた距離もたかだか15km程なのに。」
背中に背負ったカメは自分のマホウで作り上げたもの。体の一部だからほとんど重さは感じていない。
となると、やはり重いのは“中身”か――。
マホウで器を作り出し、水を掬い一気に飲み干す。
闘い終わった後すぐには飲まなかったからなと思いながら、喉を通る潤いが全身に行き渡るのを感じる。
「これが生きてるって事だよな…仏さんには感謝だ。手は合わせないけど。」
一息ついたところで、壁に背を預け、ちょうど手の届く所にあった年代物の紙媒体の本「東京ウォーカー2011年版」を手に取りパラパラと捲る
「500年以上前の旧都の事を知る必要はないよな…この辺りのページから見たこと無い食べ物まで載ってるし。」
最近は栄養剤の入ったアンプルか、錠剤、レーションくらいしか選択肢が無いもんな…。固形食糧でも味がついているだけマシだったんだ。と思いながらページを捲る。
ここ数年まともなものを口にしていないせいか、味の想像すら出来ない。
「環境の変化ってのは想像力も奪うのか。」
外界が存在していた頃の紙媒体の書物を読むのは唯一趣味と呼べるものだった。と言っても同じ本を何度も読むことは無い。内容を覚えてしまうからだ。これもマホウ遣いの基本スペックなのだろう。
幼い頃から『想像』するのが好きだった様に思う。想像の中には実在しないものが存在し、他者の価値観に左右されないものが形を持つ。
ルールに彩られた世界が嫌いなわけじゃなく、むしろ楽な生き方をしたい俺としては大切にしてきたものだった。ルールがあればそれに従えば良い。無いのなら自分の中に暫定的に作り出して生きてきた。
全く別のもの、別の世界として存在している概念、「現実」と「想像」、「規律」に縛られた「自由」が今の自分を作りあげているのだろうと思う。
「部屋は自分を映す鏡か……。」と手元にある本とは関係ない所に飛ばしていた思考を現実へと戻し、4年間を過ごした『巣』を見る。
伽藍とした12畳ほどの部屋には未読と既読の本が積まれた二つの紙の山と、既読の本を燃やした燃え滓、水の入った瓶が在る。
窓もドアも存在していない部屋を冷たい風が吹きぬけた。
意図してるのかしていないのかは分からないが、隔離街は日中の気温が10℃前後で固定されている。
太陽の代わりとされている日照照明が消灯される『夜』の時間には5℃前後で安定しており、風があるということは最低限空調システムか風を起こすマホウは機能しているらしい。
日照照明が弱くなる『夕刻』に関わらず、騒がしくなってきたのを感じた。燃料用に積み上げてある“既読”の本の山に放り投げ、ベランダから大通りを見ると、まばらに人が歩いているのが見える。
「そうか、食糧配給の時間だったか。もうちょっと我慢が効けばあのおっさんも死ぬ事は無かったのな。」
普段は量が少ないから必要な時に奪う事を繰り返していたが、3km先の人が集まっている所を見ると大型のトレーラーが二台。積荷を連結させており、計四個のコンテナがカインの目には見えていた。
自らの罪を自覚し、『形成』、使役する人間を『マホウ遣い』と呼ぶ。
マホウ遣いの普通の人間と違う点は『マホウが使える事』ともう一つ。
『身体能力』である。
視力、聴力、筋力、思考速度、あらゆる点が優れている『人間』を軽く凌駕している。
魂という自らの基礎、罪と言う魂の根源にアクセスできるため、“人間本来”の能力を使用することができる。
脳の9割が稼働していないというのはよく聞く話だろう。その9割はリミッターがかけられているため稼働していないだけなのだ。
リミッターは“安全域”を守るモノ。人間が人間として過ごすのにかけられた制限。
だが、マホウ遣い達は自らを構成している魂を本能的に理解している。情報の塊である魂には“リミッターをはずした状態での限界”が刻まれていた。
よって、100%とは言わないが本来人間が持つ80%以上の力を使用することができる。
“罪”によっては身体能力を強化したり、感覚の倍加などもできるため、120%の力を使うことができるマホウ使いも存在していると言われている。
カインは3km離れた個人の顔を認識することができていた。
「あの量なら多めに配給されていそうだな…」
と次々に出てくる他の人間を見ながらカインはコートを翻し巣のベランダから下へと飛び降りた。
No.3の最低の区画M地区“隔離街”は最低なりに生活はできる場所だった。
必要最低限、生きるか死ぬかギリギリの量の食料と水は、中区に位置し生産区に当たる“D地区”から“塔を”通る中央エレベーターから不定期に送られて来ていた。
勿論ギリギリの量だからまともに生きようと思えば奪うしかない。奪い、奪われ、生きて、死ぬ。隔離街の人間を苦しめ、死に至らせるにはちょうど良い量。
徐々に人口が減っていっても良いものだが、配給の量が変わっていなかったと言うことは人口が横ばいなのか、元々そういう政策なのか。
そんな場所では配給一つ取っても混乱が起こることは必至のはずだが、力を持つものが配給を仕切れば混乱も起きない。
力を持つもの、危険分子が集まる隔離街の中でも強力なマホウ遣いの集団が現在の隔離街を仕切っていた。
名を“螺旋の蛇”という。
いつの間にか“螺旋の蛇”と確執が生まれていたカインは配給のたびに一触即発の雰囲気になってしまう。
「まぁ、あれだけでかけりゃ穏便に済ませられるだろうな。」
いつも気まずいのは雰囲気だけで、交戦に至るまでは無かったわけだし、とカインは配給車へと歩を進める。
普段配給車は小さなワンボックスの車。“螺旋の蛇”達が目を光らせているため、滅多なことはできない。
だが、今回の配給車は大型のトレーラー。しかも連結式が二台も。
これだけ大規模な配給だと言うのに、配給のたびに目にする“螺旋の蛇”のメンバーは一人もいなかった。
「上からの連絡が無かったか、それとも……。」
カインは僅かばかりの疑問と違和感を抱きながら大通りを進み、配給車へ群がる人垣の一番外側で様子を見ることにした。
違和感は徐々に明確な形を取る。
ピーンポーンパーンポーン
間抜けな放送開始の音がトレーラーから流れる。普段は各所につけられているスピーカーから流れるのだが――。
【ただ今より、『M地区天使特例法』を開始します。】
いつもの配給放送のように、機械的な音声が告げる。
群がる人に疑問符が浮かんだ。
【これは民意で選別された議員8割の賛同を得て可決された法案であり、――】
配給ではないことが分かると「どういうことだよ!」「さっさと飯よこせ!」と怒号が飛ぶ。
普段なら野次を飛ばしている人間を冷ややかに見ても良い所なのだが、今のカインは『法案』と言うワードが耳について離れない。
――これは異常だ。
【――『M地区天使特例法』とはM地区の区画整理となっております。No.3において重犯罪者並びに予備軍を囲えるだけのキャパシティは無くなりしました。】
特例法
区画整理
キャパシティが無くなった
つまり――、
「――おい、まさか。」
誰に言うわけでも無くカインは呟く。
【あなた方は『天使』に『浄化』されることとなります。――最後の旅路に幸多からん事を。】
トレーラーのコンテナが両側面をあげる。
そう、今にも羽ばたこうとしているかの様に。
コンテナの中身は食料では無く、ちょうど人が一人入れそうな箱が小さな機械類を赤く光らせながら並んでいた。
材質や色が違えば棺桶だと知識のある人間は思うだろう。
先ほどの放送を理解していない、聞いていなかった人間は多かった。その内の一人だろう。男がコンテナに上がり、箱の一つを蹴る。
「マジで食料じゃねぇのかよ!」
人が入っていたなら目の位置に当たるか、さっきまで赤く光っていた電飾が緑に変化する。
最初に蹴った男を皮切りに、次々と人が登っていき箱の中身を見てやろうと手をかける。
違和感と決定的な言葉を聞き逃さなかったカインは冷静に観察していた。
言葉の真意に気づき、この場を離れた人間も若干いるにもかかわらず、カインは『法』で起こることを目に焼き付ける為に少しでも多くの情報を得ようとした。
箱にはギリシャ語で『No.9アンゲロス』と書いてある。『使いの者』と言う意味。
英語表記は――『Angel』“天使”
箱を持ち上げ、トレーラーから箱を落とそうとしている者がいた。
力づくでも開かなかったから壊してしまおうと言うことだろう。
だがそれは叶わない。
男の背中から“白い装甲を纏った腕が突き出ていた。”
腕だと分かったのは先に指が五本あったから。
その指が手に持った男の心臓を握りつぶしたから。
男から腕が引き抜かれ、腕が箱の中に消えるとそれを合図にしたかのように全ての箱のドアが開く。
薄いドライアイスで作られたスモークがコンテナから溢れる。
中にいたのは白い人型の機械だった。
顔は装甲でできており、頭部の中央にある隙間を単眼が忙しなく走っている。
機械だと称したのはその体躯のせい。
腕や身体、脚はそれぞれ細く、骨組みのみで形作られている様に見えた。
骨盤に当たる位置と肩はせり出していて、装甲に覆われている。
手は人間のそれと大きさはさして変わらないが、指が長く、指先は鋭い。
背中には機械で出来た一対の翼がついている。――確かに、姿は神話上の天使だ。
各コンテナに6体、計24体の天使は別の方向へと跳躍する。
降り立った所に舞うのは天使の羽ではなく、血飛沫だった。
カインは起こった事、そしてこれから起こるであろう事を考え、巣へと駆け出す。あの数では地の利を得なければ一方的に殺される。
相手の情報がまったく無い状態で戦うのは勇敢ではなく無謀。しかも相手は24体。
走るカインの背中越しに「“Yetzirah”!」と声が響く。力で生きてきた人間が集まる所だ。力には力、だが『協力』なんて器用な事ができるはずも無い。
「天使に殺される前にマホウにやられそうだ。」
だが、天使が脅威なのも事実。
「一対一なら余裕だろうけど、とにかく態勢を――」
上空から機械的な音が響く。
過去聴いたことがある。これはプロペラの音か。
一度足を止めて音源を確認する。
「中央の輸送機!?おいおい、どうなってんだ。」
プロペラを四基積んだ大型輸送機が二機宙を舞う。配備されているのは上区であるS地区と中区のD地区の一部のはず。
輸送機を凝視すると尾翼下に位置するカーゴドアが開き、“箱”を落とす。
箱はパラシュートなどを使わず自由落下していく。
「投下されているのが爆弾なら逃げ切れるんだけど……あの箱も天使入りなのかね。」
カインは空から意識を切って巣に向かって再度走り始めた。
大通りを中心に箱は落とされているのか。
あのように次々と天使が降りてくるのであれば戦わずにすむことなんて無いのだろう。
真上を輸送機が通る。――このままだと早い間に遭遇してしまう。
人間じゃない奴を壊すのは難しい。構造が分からないことには急所も分からない。
これから確実に当たるなら誰かが壊した瞬間位見ておくんだった……。
大通りを避け、路地に入り込んだ瞬間、轟音と共に視界が砂煙でかき消される。
「くっ!」
踵を返し大通りに戻ろうと考えたが、カインは気づく。
ココは狭い路地。
相手は一体。
俺のマホウは地の利を得ている。
「――良い機会じゃないか。」
砂煙が薄くなり“天使の箱”が鎮座しているのが明らかになる。
扉部分にはギリシャ語で『N0.8アルヒアンゲロス』。『卓越した使者』。『Archangel』――大天使。
「“Yetzirah”Die Wiege von Katze!」
路地全体に糸を張り巡らせる。
「……さぁ、来い!」
ライトがグリーンに点灯し、空気が抜ける音が響く。
先制攻撃を仕掛けるため、息を殺して箱を見つめる。
箱が開ききった時、急に力が抜けてしまった。
一つ安心のため息をつくが、意識しなおし形成は維持する。
「おい…どうなってるんだ。コレが大天使なのかよ。」
箱の中身は白い装甲も、翼も無く、一人の女の子が入っていた。