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「……なるほど。これがウロボロスの盲点ですか」
新田が納得したように頷く。
「東電の総量メーターしか見ていなければ、豪邸の電力消費の波に揉まれて、たった50Wの変動なんて『誤差』にしか見えませんからね」
「そう。ウロボロスは効率化を優先して『外側』しか見なかった。だから『内側』に潜んでいた一番原始的な『ただの熱』に足をすくわれたのよ」
ミズキはモニターの光を反射するメガネの奥で、AIへの勝利を確信していた。
郷田が立ち上がり、ジャケットを羽織り直した。
「ルートは繋がった。時間のトリックも暴いた。……あとは、あの野郎が『その時そこにいた』という証拠だけだ」
「ああ」
久我がソファから身を起こした。
「アナログなトリックには、アナログな証拠でトドメを刺すしかないな」
◇ ◆ ◇
会員制高級ジム『OLYMPIA』。
空調の効いたフロアには、静かな電子音と、ウェイトがぶつかる金属音だけが響いている。
御子柴健は、最新鋭のトレッドミルの上で激しく足を回転させていた。流れるようなフォーム。隆起した筋肉が、汗で濡れて照明を弾いている。彼は己の肉体に陶酔していた。
その左右の空きマシンに、郷田と久我が無言で立った。
「……いい走りだ。フォームに無駄がねえ」
郷田が独り言のように呟く。
健がイヤホンを外し、怪訝な顔で横を見た。
「……誰だ、あんた達。会員じゃないな?」
「ああ。ちょっと聞きたいことがあってな」
郷田は懐から警察手帳を取り出し、黒い表紙を開いて健の目の前に掲げた。
「警視庁、AI監査室だ」
「AI監査室……?」
健が眉をひそめる。
「一ヶ月前のあの夜も、そうやって走ったのか?」
「……は? 何の話だ」
「クラブの裏から、叔父さんのマンションまで。往復4キロのナイトランだ」
久我が低い声で畳み掛ける。
「アスリート並みの脚力と、道なき道を行く度胸があれば、不可能じゃねえ距離だ」
健の足が一瞬乱れ、ベルトコンベアの縁を踏みそうになった。だが、彼はすぐに体勢を立て直し、ペースを取り戻した。
「……妄想も大概にしろよ。僕はずっとパーティにいた。AIも、防犯カメラも、全てのデータがそう証明している」
◇ ◆ ◇
健はマシンの緊急停止ボタンを押し、首にタオルを巻いて降りてきた。
彼は郷田の手帳と顔を交互に見比べ、鼻で笑った。
「ああ、噂に聞いたことがあるよ。AI監査室……署内じゃ『蛇足屋』って呼ばれてる鼻つまみ者だろ?」
健はスポーツドリンクを飲みながら、勝ち誇ったように見下ろした。
「AIが出した完璧な答えに、難癖つけて点数稼ぎか? 惨めな仕事だな」
「AIは完璧かもしれんが、人間はそうじゃねえ。お前の叔父さんの死に顔、ありゃあ随分と『整えられた顔』だったぞ」
健の表情がピクリと強張る。だが、彼はすぐに営業用の薄っぺらい笑みを張り付け、バッグから弁護士の名刺を取り出した。
「証拠はあるのか? ルート上の防犯カメラ映像、目撃証言、GPSログ……何一つないはずだ。なぜなら、僕はやってないからな」
彼は名刺を郷田の胸ポケットにねじ込んだ。
「これ以上付きまとうなら、弁護士を通してもらう。……失せろ」
健はそれだけ言い捨てると、シャワールームへと消えていった。
取り残された郷田たちの耳に、新田の声がインカム越しに届く。
『……どうでした?』
「あいつ、動揺してたな」
久我が健の背中を見送りながら言った。
「『やってない』じゃなくて、『証拠がない』ことを強調してやがった」
「ああ。だが、奴の言う通りだ。今のままじゃ手錠はかけられねえ」
◇ ◆ ◇
昼下がりの商店街。
久我が割り出した「パルクールルート」の周辺を、三人は歩いていた。
ビルの隙間、路地裏、アーケードの屋根の上。郷田たちは上を見上げ、新田はタブレットの地図を見る。
「……ダメです。このルート上の固定カメラはゼロ。Nシステムも死角です。健が自信満々なのも頷けます」
新田が溜息をつく。
「固定カメラがないなら、『動くカメラ』を探せ」
「動くカメラ?」
久我が言った言葉に、郷田が反応した。
「当日のこの時間、ここに『居た』車両だ。タクシー、宅配トラック、あるいは……」
郷田の視線が、路肩に立つ『配送用停車スペース』の看板に止まった。
「ここは夜8時まで荷捌きOKだ。一ヶ月前の19時台、ここに停まっていた車がいねえか?」
新田が慌ててタブレットを操作し、過去の道路交通ログを照会する。
「……あります! 大手運送会社の自動配送トラックが、19:15から19:45まで停車して荷降ろしをしていた記録があります」
「ビルの真下だな」
久我がニヤリと笑った。
「そいつのドライブレコーダーなら、何か映ってるかもしれん」




