06
郷田の運転する捜査車両は、久我が想定したルートをゆっくりと進んだ。
それは、近代化された東京の「盲点」を突くルートだった。
再開発から取り残された雑居ビルの隙間、高架下の暗がり、工事現場の仮囲いの裏。
新田はタブレットの地図と、実際の風景を見比べて息を呑んだ。
「すごい……。ウロボロスのマップ上では、ここは『通行不能領域』か『認識外』になっています」
「AIは『人間は歩道を歩くもの』と定義してるからな。フェンスを乗り越え、ドブ板の上を走るルートなんざ計算に入れねえ」
郷田がハンドルを切りながら言った。
「健はここをトレーニングコースにしてたんだろう。カメラの位置、人通りの途切れる時間、すべて身体に叩き込んでいたはずだ」
◇ ◆ ◇
ルートの終着点。現場である高級マンション『バベル青山』の隣に建つ、古びた5階建ての雑居ビル。
その屋上に立った3人は、吹き抜ける風の中で眼前の光景を見つめた。
「……行き止まりですね」
新田がフェンス越しに下を覗き込み、顔をしかめる。
雑居ビルの屋上と、マンションの非常階段。その間には、約3メートルの空間が口を開けている。下はコンクリートの路地だ。落ちれば即死。
「ウロボロスもここを『壁』つまりは行き止まりと定義しています。物理的に侵入不可能です。ここからマンションへは渡れません」
久我は無言でフェンスに近づき、錆びついた手すりをじっと観察した。
「……ここを見ろ」
郷田と新田が覗き込む。
塗装の剥げた鉄製の手すりに、黒い汚れがこびり付いていた。
「……ゴムの擦過痕か」
「ああ。ランニングシューズのソールが、強く擦れた跡だ。ここで踏み切ったんだな」
◇ ◆ ◇
「ここを飛んだって言うんですか!?」
新田が声を上げた。
「正気じゃない。3メートルですよ? 助走も十分に取れないし、失敗したら死ぬんですよ? 金目当ての犯行にしてはリスクが高すぎます」
「普通ならな。だが、奴はただの金目当てじゃねえ」
久我はフェンスに足をかけ、マンションの方角を睨んだ。
「承認欲求の塊みたいな、アスリートかぶれのナルシストだ」
「ナルシスト?」
「奴にとって、ここは『壁』じゃねえ。『ステージ』だ」
久我は手すりを握りしめた。
「凡人が足すくませるような場所を、軽々と飛び越える自分。AIのセキュリティさえも、己の肉体一つで凌駕する自分。……このジャンプこそが、奴にとっての『最高の快楽』だったんだろうよ」
新田はタブレットを見る。画面上の地図では、このビルとマンションの間には、越えられない黒い線が引かれている。
「AIはこのルートを『移動不可能』と定義していましたよ」
郷田はゴム痕を指でこすり、指先に付いた黒い粉を新田に見せた。
「ウロボロスは地図を見るが、俺たちは地面を見るんだよ」
郷田はニヤリと笑った。
「地図に載ってなくても、獣が通った跡は残る。……これでルートは繋がったな」
◇ ◆ ◇
神楽探偵事務所に戻る頃には、冷たい雨が降り出していた。
トタン屋根を叩く雨音が、倉庫内の静寂を際立たせている。
事務所の中は薄暗く、ミズキの操るトリプルモニターの青白い光だけが、男たちの顔を不気味に照らし出していた。
「ルートは繋がりました」
新田が濡れた髪を拭きながら言った。
「パルクールを使えば、往復30分での移動は可能です。ですが……」
「ああ。『移動できた』ってだけじゃ、ウロボロスを説得する材料にゃならねえ」
郷田がパイプ椅子にドカリと腰を下ろした。
「肝心なのは『部屋の中で何をしたか』だ。だが、現場はセキュリティの塊だ。令状なしで突っ込むのは難しいし、ウロボロスがシロって判定してるからな。逆立ちしたって令状なんざ取れやしねえ」
郷田はシーフードヌードルの残り汁を飲み干し、忌々しげにカップを握り潰した。
「それに、物理的な証拠なんざ期待できねえよ。相手は賢しい御子柴の甥だ。注射器だの薬品だの、ヤバいブツはとっくに処分済みだろうさ」
部屋に入れない。入ったところで、めぼしい物は残っていない。
完全な手詰まりに見えた、その時だ。
「物理的な痕跡は消せても、消せないものがあるわ」
ミズキがキーボードを叩く手を止めずに言った。メガネの奥で、瞳が獲物を狙うように細められている。
「体が入れないなら、データで入ればいいじゃない。電気は嘘をつかないわ」




