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「係長、本気ですか?」
新田がたまらず口を挟んだ。
「事件からもう一ヶ月ですよ。一通りの検査や裏付けが終わって、ウロボロスが最終的に『事件性なし』と断定したから、監査室に回ってきたんです。それを今更ひっくり返すなんて……」
「だからどうした」
「だから! 僕らが署内で『蛇足屋』なんて馬鹿にされるのは、こういう所ですよ。完成した書類に、余計な事するなって」
「言わせておけ。蛇足で結構。足があったほうが踏ん張りが効くってもんだ」
郷田は新田の抗議を一蹴し、久我に向き直った。
「甥の御子柴健には、一ヶ月前の犯行時刻、会員制クラブにいたという鉄壁のアリバイがある。ウロボロスのログ上は完璧だ」
「ログの誤魔化しなんてのは、いくらでも方法があるもんだ」
久我は吸殻を空き缶に押し付けた。
「当時の生身の奴がどうだったか、目撃証言を洗う必要があるな。……デジタルの履歴じゃなく、人の記憶に残ってるノイズを探すんだ」
「今夜、健が同じクラブに来るわ。会員枠は確保した」
ミズキが素っ気なく言い、立ち上がって奥の更衣室へと向かう。
「聞き込みに行くわ。……で、誰がついて来るの?」
「あ、僕が……」
新田が背筋を伸ばして立候補するが、ミズキは冷めた目で見下ろした。
「却下。社会科見学の引率なんて御免よ」
「えっ」
「鏡見てみなさい。全身から『公務員』が滲み出てる。そんなガチガチの笑顔じゃ、入り口で門前払いよ」
新田が言葉を詰まらせて撃沈する。
全員の視線が、薄汚れた作務衣姿の久我に向いた。
「……チッ、面倒くせえ」
◇ ◆ ◇
港区、南青山。
会員制クラブ『VELVET』のエントランスには、煌びやかなドレスを纏ったセレブたちが吸い込まれていく。
少し離れた場所に停めた捜査車両の中で、新田はモニターを監視していた。
「来ましたよ」
エントランスに一台のハイヤーが滑り込む。
ドアが開き、最初に降り立ったのは男だった。
「……嘘だろ」
髭を剃り、オールバックに整えた髪。仕立ての良いタキシードを着こなし、けだるげな色気を漂わせる紳士。
久我だ。作務衣姿の世捨て人は、夜の街に溶け込む捕食者へと変貌していた。
久我はスマートに身をこなすと、車内に向かって恭しく手を差し伸べる。
その手を取って、一人の女性が滑り出てきた。
洗練されたダークネイビーのドレス。派手な露出はないが、その身体のラインと立ち居振る舞いは、圧倒的な「高嶺の花」感を醸し出している。冷ややかな眼差しは、倉庫でポテチを食っていた干物女とは別生物だ。
「あれがミズキさん……? 化けるにしても限度がありますよ」
新田がモニター越しに見惚れて頬を染める中、二人は腕を組み、自然な様子でエントランスへと消えていく。完璧なカップルだ。
「見惚れてんじゃねえぞ。……俺たちもクラブの周辺を洗うぞ」
郷田に背中を叩かれ、新田は我に返って車を降りた。
◇ ◆ ◇
クラブのフロアは、腹に響く重低音と、高価な香水の入り混じった匂いで満ちていた。
ミズキと久我は、自然に腕を組んでフロアに溶け込むと、目配せだけで二手に分かれた。
久我はバーカウンターを通り過ぎ、忙しなく動くボーイを捕まえた。
手品のように折り畳んだ紙幣を、ボーイの胸ポケットに滑り込ませる。
「……少し、頼みがある」
「お客様、何でしょう?」
「面倒な知り合いが来ていてね。顔を合わせたくない。……誰にも見られずに外の空気を吸える『裏口』はあるか?」
ボーイは胸元のチップの厚みを確認すると、心得たように声を潜めた。
「厨房の奥に搬入用の通用口がございます。鍵は内側からサムターンで開きますので、こっそりとどうぞ」
「助かる」
久我は言われた方角へ向かい、人目のつかない通路の奥にある鉄扉を確認した。
鍵は簡易的なものだ。これなら、タキシードから着替えて抜け出し、また戻ってくることも容易い。ルートは確保できた。
一方、ミズキはラウンジの奥、古株らしいホステスの隣に滑り込んだ。
グラスを傾けながら、世間話のように切り出す。
「健さん、最近羽振りがいいみたいね。でも、先月のパーティの時……彼、何か妙じゃなかった?」
「ああ、先月の12日ね。よく覚えてるわよ」
ホステスは微かに顔をしかめた。
「嫌そうな顔。……何か粗相でもされた?」
「違うの。ただ……臭いが凄かったんだもの」
「臭い?」
「ええ。30分くらい席を外して戻ってきた時、キツめの香水の匂いが充満してて。普段はあんな安っぽい付け方しないのに、まるでシャワーでも浴びてきたみたいだったわ」
重要な証言だ。ミズキはあくまで興味本位を装って尋ねる。
「へえ……。それ、警察には話したの?」
「まさか」
ホステスは肩をすくめた。
「警察は『あの日、彼は店にいたか』としか聞かなかったもの。それに、VIPがトイレに長居する理由なんて、相場が決まってるでしょ? 『悪いお薬』をキメてたか、気に入った娘を個室で『味見』してたか。 ……わざわざ警察に言って、お店にガサ入れされたら迷惑だもの」
ミズキの目が鋭く光った。
警察の捜査は、あくまで「公的」なものだ。店側も、余計なトラブルを招くような証言は極力避ける。
形式通りの聞き込みでは、この「夜の街の不文律」という壁は越えられなかったのだ。
空白の30分は、確実に存在する。
ミズキはグラスの縁を指でなぞりながら、この「穴」を埋める証拠を掴むべく、静かに次の手を考え始めた。




