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04

「係長、本気ですか?」


 新田がたまらず口を挟んだ。


「事件からもう一ヶ月ですよ。一通りの検査や裏付けが終わって、ウロボロスが最終的に『事件性なし』と断定したから、監査室に回ってきたんです。それを今更ひっくり返すなんて……」

「だからどうした」

「だから! 僕らが署内で『蛇足屋だそくや』なんて馬鹿にされるのは、こういう所ですよ。完成した書類に、余計な事するなって」

「言わせておけ。蛇足で結構。足があったほうが踏ん張りが効くってもんだ」


 郷田は新田の抗議を一蹴し、久我に向き直った。


「甥の御子柴健には、一ヶ月前の犯行時刻、会員制クラブにいたという鉄壁のアリバイがある。ウロボロスのログ上は完璧だ」

「ログの誤魔化しなんてのは、いくらでも方法があるもんだ」


 久我は吸殻を空き缶に押し付けた。


「当時の生身の奴がどうだったか、目撃証言を洗う必要があるな。……デジタルの履歴じゃなく、人の記憶に残ってるノイズを探すんだ」

「今夜、健が同じクラブに来るわ。会員枠は確保した」


 ミズキが素っ気なく言い、立ち上がって奥の更衣室へと向かう。


「聞き込みに行くわ。……で、誰がついて来るの?」

「あ、僕が……」


 新田が背筋を伸ばして立候補するが、ミズキは冷めた目で見下ろした。


「却下。社会科見学の引率なんて御免よ」

「えっ」

「鏡見てみなさい。全身から『公務員』が滲み出てる。そんなガチガチの笑顔じゃ、入り口で門前払いよ」


 新田が言葉を詰まらせて撃沈する。

 全員の視線が、薄汚れた作務衣姿の久我に向いた。


「……チッ、面倒くせえ」



 ◇ ◆ ◇



 港区、南青山。

 会員制クラブ『VELVET』のエントランスには、煌びやかなドレスを纏ったセレブたちが吸い込まれていく。

 少し離れた場所に停めた捜査車両の中で、新田はモニターを監視していた。


「来ましたよ」


 エントランスに一台のハイヤーが滑り込む。

 ドアが開き、最初に降り立ったのは男だった。


「……嘘だろ」


 髭を剃り、オールバックに整えた髪。仕立ての良いタキシードを着こなし、けだるげな色気を漂わせる紳士。

 久我だ。作務衣姿の世捨て人は、夜の街に溶け込む捕食者へと変貌していた。


 久我はスマートに身をこなすと、車内に向かって恭しく手を差し伸べる。

 その手を取って、一人の女性が滑り出てきた。


 洗練されたダークネイビーのドレス。派手な露出はないが、その身体のラインと立ち居振る舞いは、圧倒的な「高嶺の花」感を醸し出している。冷ややかな眼差しは、倉庫でポテチを食っていた干物女とは別生物だ。


「あれがミズキさん……? 化けるにしても限度がありますよ」


 新田がモニター越しに見惚れて頬を染める中、二人は腕を組み、自然な様子でエントランスへと消えていく。完璧なカップルだ。


「見惚れてんじゃねえぞ。……俺たちもクラブの周辺を洗うぞ」


 郷田に背中を叩かれ、新田は我に返って車を降りた。



 ◇ ◆ ◇



 クラブのフロアは、腹に響く重低音と、高価な香水の入り混じった匂いで満ちていた。

 ミズキと久我は、自然に腕を組んでフロアに溶け込むと、目配せだけで二手に分かれた。


 久我はバーカウンターを通り過ぎ、忙しなく動くボーイを捕まえた。

 手品のように折り畳んだ紙幣を、ボーイの胸ポケットに滑り込ませる。


「……少し、頼みがある」

「お客様、何でしょう?」

「面倒な知り合いが来ていてね。顔を合わせたくない。……誰にも見られずに外の空気を吸える『裏口』はあるか?」


 ボーイは胸元のチップの厚みを確認すると、心得たように声を潜めた。


「厨房の奥に搬入用の通用口がございます。鍵は内側からサムターンで開きますので、こっそりとどうぞ」

「助かる」


 久我は言われた方角へ向かい、人目のつかない通路の奥にある鉄扉を確認した。

 鍵は簡易的なものだ。これなら、タキシードから着替えて抜け出し、また戻ってくることも容易い。ルートは確保できた。


 一方、ミズキはラウンジの奥、古株らしいホステスの隣に滑り込んだ。

 グラスを傾けながら、世間話のように切り出す。


「健さん、最近羽振りがいいみたいね。でも、先月のパーティの時……彼、何か妙じゃなかった?」

「ああ、先月の12日ね。よく覚えてるわよ」


 ホステスは微かに顔をしかめた。


「嫌そうな顔。……何か粗相そそうでもされた?」

「違うの。ただ……臭いが凄かったんだもの」

「臭い?」

「ええ。30分くらい席を外して戻ってきた時、キツめの香水の匂いが充満してて。普段はあんな安っぽい付け方しないのに、まるでシャワーでも浴びてきたみたいだったわ」


 重要な証言だ。ミズキはあくまで興味本位を装って尋ねる。


「へえ……。それ、警察には話したの?」

「まさか」


 ホステスは肩をすくめた。


「警察は『あの日、彼は店にいたか』としか聞かなかったもの。それに、VIPがトイレに長居する理由なんて、相場が決まってるでしょ? 『悪いお薬』をキメてたか、気に入ったを個室で『味見』してたか。 ……わざわざ警察に言って、お店にガサ入れされたら迷惑だもの」


 ミズキの目が鋭く光った。

 警察の捜査は、あくまで「公的」なものだ。店側も、余計なトラブルを招くような証言は極力避ける。

 形式通りの聞き込みでは、この「夜の街の不文律」という壁は越えられなかったのだ。


 空白の30分は、確実に存在する。

 ミズキはグラスの縁を指でなぞりながら、この「穴」を埋める証拠を掴むべく、静かに次の手を考え始めた。

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