03
大井ふ頭、湾岸倉庫街。
錆びついたトタン屋根の倉庫が連なるその一角に、『神楽探偵事務所』の看板を掲げた建物がある。
郷田と新田が重い鉄扉を押し開けると、湿ったカビの臭いと、電子機器特有の焦げたような排熱臭が鼻を突いた。
「うわ、なんですかここ……」
新田が顔をしかめてハンカチで口元を覆う。
「こんなゴミ屋敷みたいな所に、本当に専門家が居るんですか?」
「面構えと場所は汚いが、腕は確かだ。……おい、起きてるか」
郷田が土足のままズカズカと中へ入っていく。
倉庫内はカオスだった。巨大なサーバーラックが唸りを上げ、極太のケーブルがスパゲッティのように床を這い回っている。その隙間に、一人の女が埋もれていた。
ミズキだ。ボサボサの髪にジャージ姿、牛乳瓶の底のような分厚いメガネ。彼女はサーバーの排熱に当たりながら、箸でポテチをつまみ、トリプルモニターを凝視していた。
「あ、どうも。警視庁の新田です」
新田が挨拶するが、ミズキはチラリと一瞥しただけで、無言で視線を画面に戻した。
「……感じ悪いな」
「気にすんな。あいつはディスプレイの外には興味がねえんだ」
郷田は部屋の中央にある破れたソファに向かった。そこには、ヨレヨレの作務衣を着た男が、死んだように眠っていた。
久我響。元公安の潜入捜査官であり、今はここを根城にする探偵だ。
郷田は懐から茶封筒を取り出すと、久我の腹の上に無造作に放り投げた。
バサッ、という音で、久我が片目だけを開ける。
「……よお、郷田。厄介事は持ち込むなと言ったはずだぞ。俺たちは日陰者だ」
「なに。どうせろくに仕事もしねえで腐ってるだろうと思って、飯の種を持ってきてやったんだよ。感謝してほしいくらいだ」
「お前、昔から人の寝床を土足で荒らすのが得意だったな。……公安時代から変わってねえ」 「ほめ言葉として受け取っとく」
久我は億劫そうに上半身を起こし、封筒の中身を確認すると、懐に入れた。
「……で? どんな事件だ」
◇ ◆ ◇
ミズキが無言のままキーボードを叩き、郷田が持ち込んだデータをメインモニターに展開した。
画面に映し出されたのは、御子柴蔵人の穏やかな死に顔と、死亡直前の心拍グラフだ。150bpmの数値が赤く点滅している。
久我はタバコに火をつけ、紫煙を吐き出しながら写真を眺めた。
「……綺麗だな」
しばらくの沈黙の後、久我が呟く。
「だろ? 俺もそう思った。だが、ウロボロスはこの『不自然な自然さ』をスルーしやがった」
「スルーした? あの完璧なウロボロス様がか?」
久我は意外そうに眉をひそめた。
「心拍150でこの死に顔はありえねえ。筋肉ひとつ強張ってねえなんて嘘だ。普通ならエラーを吐く案件だぞ」
「ああ。だがウロボロスは『サイレント・デス』なんていうレアケースを引っ張り出してきて、無理やり整合させやがった」
それを聞いていたミズキが、ポテチを齧りながらボソッと言った。
「……合理的すぎるのよ」
新田が怪訝な顔で振り返る。
「合理的? エラーを見逃すことがですか?」
「ええ。あなたたち、ウロボロスの『評価基準』を何だと思ってるの?」
ミズキは眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細めた。
「冤罪ほぼゼロ。検挙率は限りなく一〇〇パーセント。そして、それらを実現するための最小リソース。……ウロボロスはその『総合評価』を最大化するためだけに動くプログラムよ」
「スコアの最大化……?」
「そう。もし、九九パーセントの病死をひっくり返すために膨大なリソースを食い、その結果として全体の処理効率が下がるなら? ウロボロスは『見なかったこと』にする可能性があるの」
ミズキはモニターに映る「病死」の判定結果を指先で弾いた。
「真実なんてどうでもいい。ウロボロスにとっては、自分の通信簿を綺麗に保つことが『最適解』なのよ。ブラックボックスの中身は……案外と欠陥だらけかもね」




