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「係長、考えすぎですよ。ウロボロスは感情を持ちませんから、事実だけを淡々と……」
「事実だあ? じゃあこいつはどうだ」
郷田はメインモニターに、御子柴蔵人の検死データと現場写真を並べて表示させた。
「バイタルデータを見ろ。死亡直前、心拍数が150bpmまで跳ね上がってる。72歳の爺さんがだぞ? 100メートル全力疾走した直後にくたばったようなもんだ」
新田はデータを覗き込み、冷静に答える。
「ええ。重度の心疾患リスクがありましたからね。就寝中に強烈な発作が起きて、心拍が跳ね上がった。そのまま心停止に至った、というのがウロボロスの見解です」
「発作で苦しかったはずだよな? ……じゃあ、なんでホトケさんはこんなにいい顔をしてる?」
郷田は遺体の顔写真を指で弾く。
高級ベッドに沈む老人は、皺ひとつないシーツの上で、まるで聖人のように穏やかに眠っている。
「心臓が破裂しそうな発作だぞ? 胸を搔きむしることも、シーツを握りしめることもせず、こんなに綺麗に死ねるかよ」
「ああ、それならウロボロスが回答を出しています。『サイレント・デス』ですね」
新田は推論ログを読み上げた。
「発作と同時に脳への血流が急激に低下し、瞬間的に意識を消失したため、苦痛を感じる間もなく死に至った……という推論です。レアケースですが、医学的な矛盾はありません」
郷田は鼻で笑った。
「『サイレント・デス』だあ? ……よく出来た作文だ。つじつま合わせには持ってこいだな」
「作文だなんて。信頼度99.8%ですよ?」
「現場の匂いがしねえんだよ。データが整いすぎてる。まるで、最初からそうなるように盛り付けられたフランス料理だ」
郷田の中の、長年眠っていた「古い感覚」が、ざわざわと騒ぎ始めていた。AIが支配する清潔な世界で、久しぶりに嗅いだ「腐臭」だった。
◇ ◆ ◇
「検死資料の画像、もっと拡大しろ。腹だ」
「はあ……」
新田が操作すると、無数の注射痕が表示された。糖尿病のインスリン注射だ。
郷田はその中の一つ、へその横にある新しい痕を睨みつけた。
「……これだ」
他の痕とは、微妙に位置がズレている。痣の色も、どこか不自然だ。
「毎日自分で打ってる人間が、こんな所に針を刺すか?」
「手の震えとか、誤差の範囲でしょう。ウロボロスもスルーしています」
「ウロボロスはスルーしたが、俺は気に入らねえ。……こいつは『臭う』ぞ」
「臭う? またそんな抽象的な……」
穏やかすぎる死に顔。激しすぎる心拍数。不自然な注射痕。そして、甥の冷笑。
証拠はない。論理的に繋げれば、ウロボロスの出した『病死』という答えも納得がいく。
だが、俺の勘が警鐘を鳴らしている。
この完璧に整えられた死の舞台裏には、ドブ川のような悪意が流れている気がしてならない。
ウロボロスが見ているのは「データ」だ。
だが俺が見ているのは「人間」だ。
システムには映らない、人間の業の臭いを、俺だけは逃がさねえ。
◇ ◆ ◇
郷田はタブレットを操作した。
『承認』ボタンではなく、その横のメニューを開く。ステータスを「承認」から「保留」へ書き換えたのだ。
警告音が鳴り、画面の文字が赤く反転する。
「係長、まさか」
「新田、予算申請だ」
郷田は入力を始めた。
「申請コード:『外部専門家監修費』。上限まで切れ」
「ちょ、ちょっと本気ですか!? 信頼度99.8%ですよ!?」
新田が素っ頓狂な声を上げる。
この予算コードは、本来、高度な技術的解析が必要な場合に使用するものだ。だが、郷田にとっては別の意味を持つ。
「係長、いい加減にしてください。また署内で『蛇足屋』って馬鹿にされますよ?」
新田は呆れ果てたように言った。
AI監査室。普段はウロボロスの判定にハンコを押すだけの「ハンコ屋」だ。
だが、郷田がこうして余計な再調査(足)を付け加える時だけ、署内の人間は陰口を叩く。完璧なAIの結論に、無意味な足を書き足す無駄な部署だと。
「上等じゃねえか」
郷田は椅子の背もたれに掛けてあった、くたびれたコートを掴んで立ち上がった。
その背中は、ここ数年見せていた「窓際族の枯れた中年」のものではなかった。かつて現場で恐れられた「鬼刑事」の気配が、微かに蘇っていた。
「蛇に足が生えてりゃ、地べた這いつくばるより、もっと速く獲物を追い詰められるってもんだ」
郷田はニヤリと笑い、地下室の重い鉄扉を押し開けた。
「行くぞ、新田。車を出せ。……ウロボロス様が切り捨てた『0.2%のゴミ』を拾いに行く」




