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健の表情が凍りついた。逃れようのない物理的な結合。
だが、彼はすぐに気を取り直し、口元を歪めて笑った。
「……それがどうした。いつ付いたかなんて証明できない」
彼はテーブルを叩いた。
「風で飛んできたのかもしれない。昔、近くを通った時についたのかもしれない。……そんな不確実な『ゴミ』一つで、僕を有罪にできると思ってるのか?」
「……」
「ウロボロスは99.8%シロだと言った! 警察はそれを承認するだけの機関だろ!? さっさとハンコを押せよ!」
郷田はゆっくりと立ち上がり、自分のデスクにあるタッチパネルに手を置いた。
そこには『承認』と『否認』のボタンが表示されている。
「ああ、そうだ。俺の仕事はウロボロス様のお墨付きを与えることだ。……だがな」
郷田の指が、赤いボタンの上で止まる。
「ウロボロスの推論に『重大な矛盾』が見つかった場合、俺にはそれを差し戻す権限がある」
「な……」
「お前の言う通り、今の法律じゃ、これっぽっちの証拠じゃお前を逮捕しきれないかもしれん。……だが、『ウロボロスにミスを認めさせる』には十分だ」
郷田は迷わず、『否認』の赤いボタンを叩いた。
◇ ◆ ◇
ブォォォォン……!
監査室の空気が震えた。
壁一面のサーバーラックが一斉に唸りを上げ、冷却ファンが最高回転数で回り始めたのだ。
照明が赤く明滅し、大型モニターに警告が表示される。
[エラー検知:判定プロセスに重大な矛盾]
[ステータス更新:再捜査対象(優先度:最重要)]
「お前はウロボロスを騙し通したつもりだったろうが、今、『病死』の判定は取り消された」
轟音の中で、郷田が告げる。
「再捜査のステータスになったウロボロスは、予算も法的制限も度外視で、徹底的に真実を掘り起こす」
新田が冷徹に続ける。
「ウロボロスはこれから、あなたの過去10年分の全ライフログ、購入履歴、GPS誤差、微細な生体反応の揺らぎ……全てを『殺人犯』という前提で再計算します」
「数ヶ月後、お前は確実に終わる。……完璧だったはずの自分の人生が、データという名の瓦礫に埋もれていく様を、特等席で見届けるんだな」
◇ ◆ ◇
耳をつんざくような冷却ファンの唸りに包まれ、健は立ち上がった。
その顔色は青ざめ、指先は微かに震えている。だが、彼はまだ自身の敗北を認めようとはしなかった。
「……不愉快だ」
健は震える手でジャケットのボタンを留めようとするが、うまくいかない。
「気分が悪い。帰らせてもらう」
「ああ、帰っていいぞ。今はまだな」
郷田は出口を指差した。
「だが、ウロボロスは眠らねえ。お前が寝ている間も、飯を食ってる間も、お前の罪を調べ続ける」
健は何か言い返そうとしたが、喉が引きつって声が出ない。
彼は逃げるように背を向け、足早に鉄扉を出て行った。その背中は、入室した時の傲慢さとは程遠く、見えない巨人に追われる者の怯えに満ちていた。
「AIは『答え』を探すのは得意だが、『問い』を立てられるのは人間だけだ。……震えて眠れ」
閉ざされた扉に向かって、郷田は静かに告げた。




