1話
爪が割れた。
「はぁ〜…」
なぜいつもこうなるのだろう。もう一度割れた爪を見ながら今日の昼、振られた事を思い出す。
講義でよく一緒になる加瀬くん。優しい人だと思っていたのにいざ告白すると半笑いで、気持ち悪いと言い放って走り去っていった。今の自分の心のように深く、線の入って割れたそれを整えようと爪切りを取る。
俺は割れた左手の薬指を見つめる。
「どうしていつも、ここなんだ」
呟きながら爪をヤスリで磨いていく。
「どうせ割れるなら告白する前に割れてくれよ…」
整え終わった爪をさする。まだ爪には稲妻のような線が少し残っている。
「加瀬くんに言いふらされてたら、明日大学で皆にいじられんのかなー」
その不安で頭が支配され失恋の痛みは皮肉にも少し和らぐ。何も言われないことを切に願いながら眠った。
「おす田中源馬君。インターンとかもう決めた?」
「アホか、俺らな大学 2年だぞ。決めるわけない」
「ッスよねー」
友人の峰がでしょうねと言う顔で隣の席に座る。峰雪斗は高校からの友人で、とても良い奴だがそれと同じくらいテキトーな男でもある。
「筆記用具ないわ、そいえば。貸してー」
にっこり笑顔で俺の前に両手を出してくる。
「筆記用具持ってこないって何?」
と彼のいつものテキトーさに少し笑いつつも渋々予備のシャーペンと消しゴムを取り出し渡そうとした。その瞬間、俺は峰に左手をギュッと掴まれた。
「おっ前…爪割れてんじゃん!」
峰の大声に俺はサッと左手を振り切り爪を隠す。
峰がいやいやいや、と言いながら続ける。
「加瀬くんに告白したんだ」
俺はバツの悪そうな顔で頷く。
「で振られたんだ…」
と可哀想ですねにも、でしょうねにも取れるような腹の立つ顔をしながら峰も無言で頷いていた。
俺は昨日の苦い出来事を簡単に彼に説明した。
「あーだから源馬今日ちょっと挙動不審なのか。加瀬くんだし言いふらすとか無さそうだけど昨日の反応聞くとちょっとびみょいね」
峰は俺が渡したシャーペンを指で回しながら続ける。
「まあ高校の時よりは源馬にいちいち何か言ってくるやつ少ないんじゃない」
そうだといいけど…と弱い声で左手の薬指に目を落とし、いじいじと触りながら答えた。
「峰はさ、失恋したら爪が割れるのなんでだと思う?」
峰はペン回しをやめ、何も考えてなさそうな顔で両手を頭の後ろに回す。
「本当に好きじゃなかったから、とか?知らんけど」
「は?」
俺があまりに真顔で答えたせいで峰が少しビクリとする。
「いや、まじでテキトーなんで…」
そう言ってまたシャーペンを回し始めた。
一瞬1人の人間が俺の頭を支配したが、すぐに拭い去る。
「じゃあ本当の恋、見つけるしかないよねハム⚪︎郎!」
元気に峰の肩に手を乗せると目にも留まらぬ速さで俺の手は剥ぎ払われた。
「はぁ〜……疲れた」
俺は身体を伸ばしながら講義が全て終わったことを噛み締めていた。
「加瀬くんのこと何事も無かったし飯でも行くか」
と峰が言うので両手を上げてフゥー!と盛り上がる。
その時、近くの集団からの視線に気がついた。
「あいつじゃね?加瀬に告ったやつ」
「おわー、確かに女みたいな顔してるわ」
久しぶりのこの感覚。俺がどこを見ながら歩けば良いのかわからなくなっていた時、峰が少し心配そうにこちらを見ていることに気付いた。急いで笑顔を作る。
「飯行こ!」
精一杯出した声を合図に2人で足早に去っていると加瀬くんが周囲の人達と同じ目をしているのを見つけてしまった。足が勝手に早くなる。視線が背中に刺さる気がして、息が浅くなった。昨日割れた左手の薬指を見ながら後悔をしていると後ろでひとつの低く落ち着いた声が聞こえた。
「加瀬が振ったのさっきの奴なんだ。勿体無いね」
びっくりして後ろを振り向くと、加瀬くんのそばにいた声の主と目が合った。俺は驚き急いで前を向いて峰を引っ張り走って行った。
足早に大学を後にした2人は行きつけのラーメン屋で羽を休めることにした。
「悪いな、ちょっと走らせて」
少し赤くなった顔を手で仰ぎながら席に着く。峰がメニュー表を開くやいなや、
「結局、加瀬くんもキモかったと」
と言い放った。
「いや告白するまでは皆良い人なんだよ」
「どこがだよ」
薄ら笑いをしながら俺の目を見てくる。少し居た堪れない気持ちになりメニュー表に視線を落とす。
「いいよもう、早く頼も」
2人でメニューを物色し、早速決めて注文する。醤油ラーメンを2つ受けた店員さんがパタパタと厨房へ去って行った。
そういやさぁ、と峰が飲んでいた水を机に置き話し始めた。
「源馬勿体無い発言してたの、あれ最上だったよな」
「源馬勿体無い発言て…まぁ、そうだね」
水を取り飲み始める。それを横目に見ながら彼は続けた。
「告白しちゃえば?」
「ブーーー!!!」
あまりの突拍子の無さに俺は飲んでいた水を全部峰にかけてしまった。きったねぇなあ、と峰はおしぼりで顔を拭きながら言った。
「やっぱ好きなんだ」
「は、はぁ!?」
俺は動揺し大声で叫びながら立ち上がった。
最上とは、俺の幼馴染である。確かに、艶のある綺麗な黒髪に立体的な造形をした美形と言われる容姿を持つ彼とずっと一緒に居た俺は淡い初恋を抱いていた。だがそんなことも中学3年の時まで。そこからは俺が意外と惚れっぽい事が判明し、他の人をちゃんと好きになって苦くも儚い恋をたくさんしてきたのだ。それが今更俺があいつを好きだって?冗談じゃない。
お待たせしました、と頼んだ醤油ラーメンが机に並ぶのを見てハッとし俺は席に着く。割り箸を割り一度ズルズルッと啜ると会話を再開させた。
「峰、わかってる?最上だよ?俺とあいつが仲良かった事なんてあった?」
啜る手を止め、ハフハフ言いながら水に手を伸ばし一度飲むと峰はもう一度割り箸を持ち俺の顔に突き立てた。
「お前ら高校の時両想いだったよな?」
いや、まず俺は高校の時は他に好きな人がいたんだけど。でもそれよりも、それがなぜ告白すれば?という答えに行き着くんだ?俺があまりに不思議そうな顔をしていたからか峰は、まぁまぁと得意げにし始めた。
「俺はね、ある仮説を立てたんだ…告白が成功さえすれば爪は割れないってことさ…」
そりゃそうだろう……。俺は意味がわからず黙りこくってしまい、静かな時が少しの間流れた。
「いやあの、だからね?要は…」
少しバツが悪そうに続ける。
「OKさえ貰えれば、とりあえず気持ちは関係ないんじゃないかってこと」
違うかな…と小さな声で後を追う。
「でも最上が俺にOKするとは……」
「あの態度はワンチャンあんじゃねって話!しかもあいつ彼女取っ替え引っ替えしてるしさ。藁にも縋っとけよ」
最上とは高校くらいから距離ができているし、彼女を取っ替え引っ替えしてると言ってもあくまで『彼女』だから峰の言い分に気軽には頷けない。でも、爪が割れるのは痛いし、自分が罰せられている様な気がして、とてもじゃないが長く付き合いきれるものではない。藁にも縋りたいのは本当の事だ。
「うーん……」
「まああれだったら最上に要らんことされた時は俺がしばいてやるよ」
彼は、加瀬くんも全然やりますよ、と続けた。
「……もう次のやつかよって気持ち悪がられないかな?」
視線を落とし、髪に触れながら俺が尋ねると、峰は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔で俺を見てきた。
「何ずっと悩んでんのかと思ったらお前……いっつも振られたら即次のやついってたじゃん、今更?」
次は俺が先程の峰と同じ様な顔でたじろぐ。
「た、たしかに…なんでだろ…」
「全然好きじゃんお前……」
「好きじゃない!」
ジト目で俺を見つめるとため息をつきながら峰が席を立った。
「まぁ別に最上じゃなくてもいいしさ。仮説だしそんな考え込まんでも。そりゃ両想いが1番いいんだろうけど」
「あぁ、うん…そうだね」
俺たちはラーメン屋を後にし、峰は見たいテレビがあると言ってそそくさと帰って行った。
俺も帰路に着きベッドの上で改めて左手の薬指を見つめる。もし、最上に告白をして成功したとしても俺達の間に気持ちが無ければそれは振られている事と変わりないんじゃないか?付き合ったとしてもそんなすぐにでも別れそうな関係は爪が割れる体質という根本的な解決には至らないのでは?答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
――本当に、あいつに好きって言うのか?
見つめていた指が少し震えているのを見て視線をずらす。でもこれでもし、峰の仮説が合っていれば。俺も、もうこんな意味不明なことで悩まされたくない。
「…よし!」
少し強く拳を握り、爪の痛みが一時的にでも収まることを信じて眠りについた。
カーテン越しに漏れる朝日を煩わしく思いながらスマホを開き、峰と書かれているトーク画面を押す。
「峰、信じてるからな」
すると、すぐ返信が返ってきた。
「は?」
今日俺は爪を取り戻す!決意を胸に大学に乗り込みあいつを探す。姿はない。あいつの交友関係なんて知らないぞ。すると、教室の机周辺にこの間の集団を見つけることに成功した。
ズン、ズン、ズン……バン!!
机を思いっきり叩き大声で尋ねる。
「加瀬くん!最上修成はどこ!?」
全員ギョッとした顔でこちらを見ている。だが、今の俺にはそんなことは意に介さない。加瀬くんが驚きながらも口を開く。
「B棟に行くって言ってたけど…」
「そ!ありがと!」
俺は足早に教室を出てB棟へ続く廊下を歩いていく。告白は勢いだぞ、俺!だが、B棟へ着いても簡単に見つけられるはずもなく、行く先々であいつの姿を聞きながら探す。どこなんだよまじで!すると肩をトントンと誰かに叩かれ振り向く。
「何か俺のこと探してるって聞いたんだけど」
「……最上」
ガッと最上の腕を掴むと俺は人気の少ない所へ引っ張って行った。
「こっち来て!」
「な、何…?」
珍しく困った様な不思議そうな顔をしながら俺に引っ張られて行く。
「ここなら良いかな」
俺は辺りをキョロキョロ見渡すと、最上の腕を離し顔を見合わせる。
「まじでどうしたんだよ」
俺が掴んでいた服のシワを直しながら困惑した表情で聞く。
「話があって……」
「話?」
ふぅ……少し息を整え自分の心臓に手を当てた。
「俺……お前の事が好き!付き合ってください!」
目を瞑りながら勢いのまま大声で伝えた。
「……」
小鳥のさえずりが響き渡る。な、なんだ?屍か……?そう思い少し目を開くと真っ直ぐ目が合い一瞬ビクッとなる。そして最上は優しく微笑んだ。
「お前とは付き合えない」
「……っ」
思いの外ショックを受け、声を出す事もできない。まぁでもそうだよな。あーあ、今回も爪を守る事はできなかったか。下を向き、無意識に左の薬指に触れる。一昨年出来た爪の凹凸はもう綺麗に無くなっていた。
――綺麗に無くなっていた!!!???
俺は即座に爪に目をやる。困惑し、体が震えてくる。俺は半泣き状態で彼に尋ねた。
「お、俺、お前に振られたんだよな……?」
最上は後ろで手を組み笑顔で答える。
「うん!」




