24-2 天下と天下(前編)
捕虜となっている織田の上級将官たちの敵意の眼差しの中で、頼朝は率直に言葉を投げる。頼朝は自らの敵を“覇権の野心”と位置付け、守るために戦うという。しかし、近江を攻め取られ、過去に織田信長が守ろうとしたものに牙を向けられた、忌まわしい記憶が残る織田の家臣達の心に、頼朝の言葉は容易には届かない。
■お市の言葉
――信長が目指す天下と、頼朝が目指す天下とは、何が異なるのか――
近江の戦いで捕虜となった織田軍の将、信長の妹・お市の方の鋭い問いであった。頼朝は静かに立ち上がり、深く息を吐く。
頼朝「お市殿、であったな。縄は話が終わり次第解くゆえ、失礼の段はお許し願いたい。
…実を申せば、わしの方こそ貴殿の兄君・信長殿が本当は何を目指しておるのか知りたいと、そう思っておったところよ。
古き鎌倉にいた頃のわしは、確かに『武家による日ノ本の一統』を強く願い、突き進んでおった。貴殿の兄君・信長殿とは言葉を交わしたことはないが、かつてのわしと、どこか通じるものを感じておる」
頼朝は、言葉を切った。お市は微動だにせず、頼朝の言葉に耳を傾け、揺るぎなく見据える眼差しを頼朝に向けている。お市が信長について語る意向は全く感じられず、先に投げた質問に頼朝が答えるまでは、決して口は開かれないであろう。
頼朝「だが……今のわしは違う。
この時代に参ったのは幸いであった。かけがえのない家族、家臣、そして友軍を得て……わしは、ただ彼らを『守りたい』、と、そう願うようになった。
もはや、自らが手中にする天下に価値は無い。
信長殿が、今為していること……わしの目には、信長殿が考える『新しき世』『新しき秩序』という大義のため、ただひたすらに『既存』の武家を『滅ぼす』、そのようにしか見えぬ。
だが……いかなる『大義』があろうとも、信長殿に武田家や我らの友軍を滅ぼさせるわけにはいかぬ。武田だけでは無い。何の罪もない武家を、覇権のために滅ぼさせるわけにはいかぬ。
わしは、できうる限り今の武家たち、そして我が家族・家臣・領民達を『守りたい』のだ。そして、『守るための天下静謐』を目指す。それは自らが天下を取る、とは少し異なる」
ここで頼朝は一息つき、少し悲し気な表情をみせながら言葉を続けた。
頼朝「聞けば、わしがもう少し鎌倉におれば、自らの弟の命を引き換えに力で日ノ本を一統し、鎌倉で幕府を開いたらしいな。だが、その幕府も結局は滅び去った、わしの子供たちも皆殺された、と聞いた。
わしが生きていた鎌倉の時分から、どれほどの時が流れたのかは詳しくは知らぬ。しかし、過去の源頼朝は大義のため天下を一統したとしても、今を見よ。この時代のさらなる争いの有様を目にすると、わしが多くを犠牲にして、不必要な血を流してまで突き進んだ“日ノ本の静謐”、いったいどれほどの価値が今日あろうか。
まことに、無念な話ぞ」
頼朝は少し言葉を選びながら、再び口を開いた。
頼朝「お市殿が申される通り、天下は、決して甘いものではない。だが、未来永劫続く天下なども、ありはしない。
古きものを滅ぼした後に現れる、新しきものもまた、結局は滅びる運命にある。
お市殿、人の世がそうなのであらば、いったい何のための『天下静謐』ぞ。いずれ乱れ、滅びる天下であるならば、『滅ぼした後に滅ぶ』のではなく、『守った後に滅ぶ』方が、まだ良い。守った後に滅ぶならば、その滅びには意味がある」
■頼朝の敵
今度は頼朝が、お市の方の目を深く見つめ返した。
頼朝「お市殿、今の我が軍団は、覇権を目指して他を滅ぼそうとする、その『野心』そのものを敵として全力で戦う」
ふとまわりを見渡すと、織田家の面々は様々な眼差しを頼朝に向けていた。相変わらず敵意に満ちた眼差しもあれば、困惑して考え込んでいるものもいた。
その中で、終始不敵な笑いを浮かべている武人が一人。可児才蔵であった。
才蔵「ほう。そんな家族を大切にされる頼朝様が、守ると申されながら、他人の領土を踏み荒らすのは矛盾ではござらぬか。守ると言いながら攻め入る。結局は“綺麗な仮面をかぶった覇道”に過ぎぬのではないか。
捕虜を殺さぬことで、せめてもの罪滅ぼしとでも思うたか」
才蔵の口の端は上がっているものの、眼の底には敵意があふれていた。その場にいた織田の将兵の胸中にも同じ疑念や敵意が渦巻いていたが、それを声にしたのはただ一人――可児才蔵であった。
頼朝はその敵意を感じ取りながらも、淡々と言葉を続ける。
頼朝「そうじゃの……。
ひとつは疲れるからかの――我らのような小国が、常にそなたらのような大軍に押し寄せられては、茶を飲む時間すらいただけぬのじゃよ。
だが、本当のところは、武家たちを『守る』ための強き力を、手に入れねばならぬ。天下がいらぬとは申せ、上洛はせねばなるまい。
それが我らが目指す『天下静謐』。
……しかし、『守る』と言いながら、すでに多くの将兵たちの尊い命を犠牲にしてしまっておる……
まことに、本末転倒であるの」
頼朝は、自嘲気味に笑った。
頼朝「信長殿とこのわしとの違い。
わしの答えはただ一つ――『守る天下』か『滅ぼす天下』かの違い。
わしは、甘きことを考え、信長殿は、厳しき現実に立ち向かわれいてる、そう思われるかな、お市殿」
頼朝の率直な言葉に耳を傾けていたお市の方が、ようやく口を開いた。
お市「伝説の鎌倉の征夷大将軍とは、失礼ながら、随分と甘い御方であらせられたのですね。
我が兄・信長は、確かに、これまで多くを滅ぼしてまいりました。ですが、その兄も、はじめは足利幕府の再興、将軍を守るために戦っていたのでございます。
しかし、その足利将軍に裏切られ、周囲の多くの武家に寄ってたかって滅ぼされそうになったのは、むしろ、兄の方でございました。
『守ろうとしたもの』に裏切られ、そして、『滅ぼされる』という恐怖。己が滅されるのであれば、先に滅ぼすしかない。
…それこそが、この、非情なる戦国の世の、習いなのではございませぬか」
お市の方は相変わらず厳しい眼差しを頼朝に向けていた。しかし、頼朝はお市の方の言葉が、心地よく響いていたのである。
頼朝「はっはっは! 流石は、信長殿の妹君よ!」
頼朝は、苦みを含んだように笑った。
お読みいただきありがとうございました!
互いに信じる大義を異にして、命をかけた争いを繰り広げてきた頼朝軍と織田軍。
しかしお市の語る“裏切られる恐怖”こそが、ここまで頼朝を苦しめてきた根源でもあった。
次章、お市の見てきた真実と頼朝が見てきた真実がぶつかります。
そして、本来の時の流れでは“本能寺の変”によって織田家が滅びゆく運命を知ることは、この場にいる織田の家臣誰一人として無かったのです。
正解の無い大義と真実のぶつかり合い、引き続きお読みいただけたら嬉しいです!




