23-1 消えぬ炎
頼朝軍は武田梓の部隊を残し、退却、軍の再編を決断する。
しかし、織田軍は引き続き北近江、琵琶湖に布陣しながら退却する頼朝軍をけん制する。
覚悟を決める武田梓のほか、琵琶湖の織田軍に鋭く視線を向けるものがいた。
赤井輝子の心の炎が消えることはなかった。
■くすぶる戦いの火種
近江の織田軍の拠点を攻略するのは、頼朝上洛への最大の足掛かりであった。それをことごとく攻略した頼朝軍であったが、その代償は決して小さなものではなかった。
北条早雲や頼光の軍は長浜・番場で大きな痛手を受け、赤井輝子は安土で壊滅的打撃。頼朝直属隊も義経隊も戦闘継続が困難となり――頼朝軍は、唯一ほぼ無傷の武田梓隊を安土に駐屯させ、それ以外の傷ついた全ての部隊を後方に下げ、再編成を図る事とした。
ただし、安土からは退却した織田信長本隊、それに合流したであろう越前の織田の軍勢が、今なお北近江に集結している。
頼朝軍主力部隊の美濃・尾張への退却は、琵琶湖の対岸に布陣する織田信長軍の動きを最大限に警戒しながら、慎重に進められた。
まず、最も損耗の激しいトモミク隊、そして頼朝隊から、順次撤退を開始。
続いて、義経隊、里見伏隊も、殿を務めながら、ゆっくりと退却を始める。
安土に駐屯を続ける武田梓は、攻略したばかりの安土天守から琵琶湖の織田軍を見据え、副将の弥助、副将格として参陣してくれている前田利家の考えを聞いた。
梓「利家殿も弥助殿も、信長公を良くご存じでいらっしゃいます。目前の織田軍の動きをどう思われますか?」
利家も退却する頼朝軍の隊列と、琵琶湖畔の織田軍船を眺めながら口を開く。
利家「北近江に集結している越前の織田軍、そして信長様の部隊も、上杉景勝との戦での傷跡が色濃く見られます。その上で我らとの断続的な激戦も重なり、すぐに大規模な軍勢を差し向けるだけの余力はないように見えます」
梓「利家様、感謝いたします。
弥助殿はどう思われますか」
弥助も大柄な体を微動だにさせず、琵琶湖畔に目線を落としたままであった。
弥助「拙者が知る信長殿は、即断即決。攻める気がなければ、攻めませぬ。攻めるつもりであれば、とっくに退却するわが軍の隊列に攻撃を加えているでしょう。
ただし、わが主力が全て退却した後にどう出るか、未だ分かりませぬ」
梓は頷く。
梓「ありがとうございます。
引き続きわが部隊は臨戦態勢を維持しましょう……」
頼朝軍の退却の動きに合わせるかのように、織田信長は琵琶湖上の残存する水軍戦力をさらに押し出す。頼朝軍の背後を威嚇するかのように、牽制していた。
■長浜城からの眼差し
その琵琶湖上を遊弋する織田軍の船団を、長浜城天守から忌々しげに眺めている者がいた。
安土城で麾下の部隊をほぼ失い、修繕中の長浜城にて後方待機を命じられていた、赤井輝子であった。
輝子は傍らに控える副将・大祝鶴に、静かに話しかけた。
輝子「……鶴姫。そなたは、水軍を率いておったな」
鶴「はい。瀬戸内の、小さな島の水軍ではございましたが」
鶴は、静かに答えた。
輝子「……瀬戸内の海も、この琵琶湖も――船で戦うということにおいて、何か違いはあるのか」
鶴「いいえ、輝子様」
鶴は、きっぱりと首を振った。
鶴「船いくさにおいて、戦う場所はさしたる問題ではございません。その時々の波と風を読み、用いる船の特性によっておのずと戦い方が変わってくる、それだけでございます」
輝子「波と風、か……」
輝子は、それだけを呟くと再び口を固く閉ざし、奥歯を強く噛み締めたまま琵琶湖上の織田船団を凝視し、動かなくなった。
先の安土城での生涯初めての、あまりにも屈辱的な敗北、数えきれない兵たちの叫び……。輝子はまぶたを閉じても、あの叫びが耳を塞いで離れない。
大祝鶴は、太田牛一とそっと視線を交わす。二人で何事か小さく頷き合うと、鶴がおもむろに口を開いた。
鶴「輝子様。目障りな船団は、追い払ってしまいましょう。ご覧ください」
鶴は湖上の織田の船を指さして言葉を続ける。
鶴「織田の船、急遽徴発された漁船や輸送船を改造しただけの、寄せ集め。本格的な軍船と呼べるような代物ではございません。
それに、輝子様。湖上の布陣を見る限り、水軍の指揮に長けた将が率いているようにも見受けられませぬ」
大祝鶴には、輝子の胸の内が痛いほど伝わっていた。
輝子「……やれるか、鶴姫」
輝子が、低い声で尋ねる。
鶴「はい。容易きことでございます」
鶴は、静かな微笑みと自信に満ちた表情で答えた。
■副将の覚悟
近江出兵の当初の目標でもあり、死力を尽くして攻略した長浜城。頼朝軍がさらに近江の奥へと進み、佐和山城、安土城を攻略している間、新たな募兵、他の領国からの兵の補給が行われ、まとまった数の兵が長浜城に駐屯していた。
しかし赤井輝子は譜代衆という高官に任命されているとはいえ、あくまでも清州城代。当然一時的に長浜城に待機している輝子に、長浜城の兵たちを指揮する権限は無い。
主君からの軍令もなく指揮権を持たぬ兵を勝手に動かす、明らかな軍令違反であり、厳罰に処せられることは免れない。
当然副将の大祝鶴も、太田牛一も、自らの発言の意味することを重々承知していた。しかし業火に燃やされているかのような上官の苦しみを、ただ黙って見過ごすことはできなかった。血の涙を流しながら屈辱に耐え、太田牛一に抱きかかえられながら戦場から離脱、あの時の赤井輝子の姿は、二人の脳裏に鮮明に焼き付いていた。
大祝鶴と太田牛一、それぞれの胸にも安土城で無念を抱え絶命した仲間たちへの想いが、突き刺さっていた。たとえ軍令違反となろうとも、今は黙って輝子に寄り添い続ける——。だが、表情には出さずとも、心の奥底の業火に燃やされているのは彼らであった。
太田牛一も、鶴に続いて、力強く進言する。
牛一「輝子様。わが軍は再編せねばなりませぬ。後顧の憂いを断つためにも湖上の船団を我らで駆逐して、頼朝様には安心してわが軍を立て直していただきましょう」
輝子「……鶴姫、太田殿……感謝いたす」
輝子は、二人の副将の顔を、交互に見つめた。
■義経の驚き
義経隊が佐和山城を過ぎたあたり、突如として長浜城の方角から所属不明な味方の軍が義経の目に飛び込んできた。
(? 長浜城は城代不在のはず……
あの軍勢は……もしや、輝子殿か!?)
義経は、眉を顰めた。
(何をしているのだ、輝子殿。これでは軍令違反。しかし、これほどまでに心を燃やしているのか……)
お読みいただきありがとうございました!
軍令違反を犯し、出撃した赤井輝子。
それを目にした義経は何を思うのか。
次回、頼朝軍の絆が試されます。
お楽しみに!




