16-3 上杉景勝(後編) ―頼朝の使命―
戦乱に秩序を――。
上杉景勝と直江兼続が那加城に持ち込んだのは、一つの“願い”であった。
信長の「天下布武」に代わる新たな理――
それは頼朝の中にあるべきか否か。
今、頼朝が目を背けていた天下を問う声が、上杉より彼の胸に届く。
■上杉景勝からの難題
坂田金時を婿として正式に認めた上杉景勝の言葉に、予定外の対面の儀は柔らかな空気に包まれていた。
だが、兼続はまもなく真顔に戻り、正座のまま静かに頼朝の方へ身を乗り出した。
兼続「頼朝様。無礼を承知の上で、どうしてもこの場で、お願い申し上げたい儀がございます」
頼朝「ほう。拙者にできることであれば、何なりと申されよ」
兼続「はっ。上杉家は、室町幕府より関東管領を拝命し、その重責を担ってまいりました。それは我らにとって、関東の安寧と秩序を護るべき誇りであり、責務でございました。しかし……」
兼続は、言葉を一度切り、深く息を吸い込んでから、力を込めて続けた。
兼続「その室町幕府も織田信長によって滅ぼされ、我らが支えていた秩序は崩壊いたしました。
今この日ノ本は、信長が掲げる『天下布武』のもと、力とによって支配されようとしております。民は怯え、武家たちは、己の存亡を賭けた戦に明け暮れております」
景勝が、兼続の隣で静かに頷いた。
景勝「頼朝様。願わくば、この乱れた世にこそ幕府を。頼朝様に新たなる秩序と理をもたらしていただきたく、切にお願い申し上げます」
頼朝「……」
頼朝は短く息を呑み、しばし言葉を失った。
頼朝「……上杉殿、兼続殿。そなたたちが、この頼朝に期待を寄せてくださること、誠にありがたく、身に余る思いである。しかし……」
頼朝は、静かに首を振った。
頼朝「拙者は、もはや将軍の位を望んではおらぬ。かつて鎌倉で、力によって日ノ本を統べようとしたその道が、いかに多くの者を犠牲にし、己をも蝕んだか……それを、痛いほど思い知っておる」
景勝「……」
景勝は言葉を発せず、頼朝に眼差しを向けたまま微動だにしなかった。
頼朝「我が軍団は、日ノ本を滅ぼすための軍ではない。信じるもの、守るべき者のために立ち上がった集まりに過ぎぬ。もし、この先、また信長の軍が、武田を、北条を、上杉を、あるいは我が民を脅かすというのであれば……我らは剣を取ろう。だが、それは“統べるため”ではない。“滅ぼさぬため”である」
ここで上杉景勝が、口を開いた。
景勝「頼朝様。我ら上杉家は、義に生き、義に殉ずる者。
そして、頼朝様。貴殿が、己の欲のためではなく、民を、家臣を、そして友軍との共存のために剣を取ると申された……それこそが、我らが真に求めていた、新しき将軍の姿でござる」
兼続も続けた。
兼続「頼朝様。武家が互いを尊び合い、共に生きられる世を築く。それを成し得るお方――頼朝様をおいて、他にございませぬ」
頼朝はもはや返す言葉を失っていた。
景勝は、静かに、しかし、確信を込めて語る。
景勝「我が上杉軍も、決して弱兵ではないと自負しておりまする。
しかし…飯田より、ここまでご一緒し、頼朝様の軍を拝見しました。
大軍が、あの峠道を寸分の乱れもなく、見事な行軍。武装も、他家の追随を許さぬ。優れた家臣たちが、日々、鍛錬と整備に努めておられるのであろう」
景勝は、頼朝に鋭い視線を向けた。
景勝「頼朝様さえその気とならば、安土の信長を追い払い、京を掌中に収めることも、決して夢ではありませぬ。
しかし、かの信長も、着々勢力を広げ、力をつけております。時が経てば経つほど、信長を打ち破ることは難しくなりましょう。
今すぐにとは申しませぬ。ただ、今宵の我らの言葉を、どうか胸に留めていただきたく、心よりお願い申し上げる……!
お心が定まりましたらば、この上杉も全力で頼朝様にお力添えをいたします」
上杉景勝が言葉を結ぶと、評定の間には、一瞬、張り詰めた沈黙が落ちた。
頼朝は、静かに息をついてから答える。
頼朝「……ありがたき申し出ではあるが……。今の、この頼朝にとっては、あまりにも難しき問いを、頂戴いたしたな……」
頼朝は、正直な気持ちを吐露するしかなかった。
景勝「まことに、恐縮の極みにございまする!」
景勝は、深々と頭を下げた。
景勝「何はともあれ、両家が晴れて親族となれましたことは、この景勝、この上ない喜び。重ねて、此度の数々の失礼の段は、平にお許しいただきたい」
頼朝「景勝殿。今のお言葉、しかと、この頼朝、受け取り申した」
頼朝は、頷いた。
■上杉軍帰還
頼朝「ところで……この後、ささやかながら、歓迎の宴を用意したく存ずるが、いかがであろうか」
景勝「ありがたきお申し出なれど、これより一刻も早く、越後へ戻らねばなりませぬゆえ、これにて失礼いたす」
景勝は、丁重に断った。
景勝「どうか、娘・弓のこと、くれぐれも、よしなにお願い申し上げる」
頼朝「そうか……。しかしやむを得まい。国元へ戻られるが、よろしかろう。上杉家も、大変な状況の中、遠路、この美濃までお越しいただき、まことに感謝申し上げる」
上杉弓の警護として、はるばる越後より同行してきた上杉景勝直下の精鋭部隊は、こうして、那加城に到着するや否や、慌ただしく、再び越後への帰路についていった。
頼朝は上杉景勝の揺るぎない決意を秘めた眼差しが頭から離れなかった。ふと、景勝一行を見送る上杉弓が目に入った。
頼朝「弓殿、そなたの眼差しは、父とよく似ておる……」
上杉弓もまた、自ら歩む新たな道筋を、真っすぐに見据えていた。
景勝の「義」、兼続の「理」、そして頼朝の「迷い」。
それぞれの信念が静かに交差するこの一夜が、
やがて大きな歴史の転換点となる。
次章、武家たちの誓いがひとつずつ、形を帯びはじめる。




