16-2 上杉景勝(前編) ―義と誓いの地―
越後から南信濃へ、そして美濃の那加城へ――。
上杉家の誇りと未来を背負い、弓姫は嫁いできた。
だが、その姫を守る二人の影――上杉景勝と直江兼続の登場は、ただの婚姻を“誓い”へと昇華させる。
義と信を重んじる景勝の真意とは。そして、震える坂田金時は、何を得るのか――。
■上杉景勝、頼朝対面
弓姫の警護と称して南信濃より弓姫のもとを離れずに脇をかためた二人の武者は、他でもない、上杉家当主・上杉景勝と、筆頭家老・樋口兼続(後の直江兼続)その人だったのである。
頼朝は驚愕しつつも、すぐに姿勢を正して前へ出た。
頼朝「飯田城より共にお越しであったとは……この頼朝、甚だしくご無礼をいたしました。改て、某が源頼朝にございます」
景勝は静かに一礼し、応じる。
景勝「上杉景勝にござる。そして、ここに控えるは我が家老・樋口兼続。
こちらの方こそ、事前にご連絡差し上げること叶わず、このような形で参上いたしました非礼、何卒ご容赦いただきたい」
兼続も一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
兼続「頼朝様、家老・兼続にございます。こうして、直接お目通り叶いましたこと、主君・景勝並びにこの兼続にとりましても、何よりの栄誉にございます」
兼続は目を細め、柔らかく語り続けた。
兼続「無粋な振る舞いとは承知の上ながら、飯田城には景虎殿の消息があるやもしれぬと事前に伺っておりましたため、我らの名が余計な混乱を招くことの無きよう、あえて素性を伏しての同行とさせていただいた次第……まことに恐れ入ります」
頼朝は微笑を浮かべ、静かに応じた。
頼朝「驚いておるが、むしろ、このようにお越しいただけたこと、感謝いたす。上杉家の大切な姫君・弓姫殿を我が家へお送りいただいたご厚情、この頼朝、心より御礼申し上げる」
景勝はその言葉を受けて、静かに、だが力強く言葉を返した。
景勝「いえ、頼朝様。これは、我が上杉家の念願でもあります。かつて鎌倉に幕府を開き、武士の世の礎を築かれた頼朝公。その頼朝様のご一門と誼を結べること、これ以上の名誉はございませぬ」
頼朝は視線を落とし、口元にわずかな苦笑を浮かべた。
頼朝「……景勝殿。あいにく、貴殿が今ここに見るこの頼朝は、伝え聞く征夷大将軍とは異なる。わしは、坂東の一武将として生き、そしてある日、気づけばこの時代にいたに過ぎぬ男。貴殿のご期待に添えるか、心許ないが……」
その言葉を遮るように、兼続が穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
兼続「はっはっは! 頼朝様、ご謙遜にございますな。我らも最初は、前田玄以殿の言葉を耳にしたときは、食わせ者かと訝しみました。しかし……」
兼続の声音が、ぐっと深まる。
兼続「今、我らの前に立つこの頼朝様こそが、美濃・尾張を制し、織田の大軍を打ち払い、武田、北条、我が上杉の紛争をも調停され、内乱に沈みかけた越後を救われた御仁。その事実こそが、我らの信頼の根拠にございます」
頼朝は、真摯な眼差しを返す。
頼朝「ありがたき言葉。だが、我が軍は未だ小さき存在に過ぎぬ。だからこそ、上杉家と手を携えられることは、心強く、我らにとってこの上ない喜びにござる」
頼朝は、ゆっくりと弓姫へと視線を移す。
頼朝「弓姫殿。そなたがこうして当家へ来てくだされたこと、そのご縁が我が国を強くし、民を豊かにすることにつながりますぞ」
そして、評定の間の隅で、背筋を丸めて座る男へ視線を投げる。
頼朝「さて、そなたの夫となる男が、そこに控えておりまする。坂田金時――熊をも素手で退治する伝説に語られる荒武者なれど、今は見る陰なくすっかり萎れておる」
家臣団に笑いがこぼれる中、弓姫は坂田金時を目にして微笑んだ。そして、静かに一礼をしたうえで、あらためて頼朝に言葉を返した。
弓「この弓、上杉家の娘として、頼朝様のご一門に加えていただけたこと、何よりの名誉と心得ております。坂田殿と共に、日々、精進を重ねてまいります」
一つ一つの上杉弓の言動や立ち居振る舞いに関心する頼朝であったが、坂田金時のいまだ収まらぬ動揺ぶりを目にして、頼朝自身も恥ずかしくなって来る。
頼朝がたまらず坂田金時に声をかける。
頼朝「金時! そなたも何か申せ!」
金時「はっ、はいっ! さ、坂田金時、申し上げまする! ど、どうぞよろしゅう、お願い申し上げまするっ……!」
景勝は、ふっと口元を緩めた。
景勝「頼朝様……武辺者は、えてして女子には分が悪い。我もまた、その例に漏れぬ。坂田殿、どうか気を病まれますな」
その言葉には、無骨ながら、どこか優しげな響きがあった。続けて、景勝は表情を引き締め、頼朝に向き直った。
景勝「実のところ、弓をこのまま手放すことに、些かのためらいがございました。事と次第では、力ずくでも越後に連れ戻す所存でおったのです」
頼朝の側近たちが、一瞬ざわめいたが、景勝は静かに言葉を紡いだ。
景勝「ですが……この目で拝見いたしました坂田殿は、まことに剛毅なる男。さらに、頼朝様ご自身も、期待に違わぬ器量の御方でございました」
景勝の語調には、すでに確固たる信頼が滲んでいた。
景勝「我が上杉家は、先代・謙信公の代より、『義』のためにのみ刀を抜く家風を貫いております。利に走らず、栄耀を求めず、ただ正義と道理のために戦う――それが我らの誇りでございます。
ゆえに、頼朝様が率いられるこの軍団が、我らと並び立ち、『義』を掲げて共に歩むに値するか。その真を見極めるべく、私は弓と共に、貴国へと参じたのです」
そして、ゆっくりと頷き、毅然と宣言した。
景勝「今、確信を得ました。この度の縁組、上杉家は誇りをもってお受けいたします。頼朝様、何卒、今後とも、堅き誼をお願い申し上げます」
そう語ると、景勝は弓へと視線を移し、やがて金時に目を向ける。
景勝「……ただ一つ、案じておりますのは、弓の気性にございます。父の私が、武門の娘としてあまりにも厳しく育て過ぎましたゆえ、女性らしき所作とは無縁……。坂田殿、どうか寛大なお心で、お受け止めいただければありがたく思う」
金時は、背筋を正し、真っ直ぐに景勝を見据えた。
金時「は、ははっ……お心遣い、まことに痛み入ります! しかしながら、景勝様、どうかご安心を。拙者、坂田金時、命に代えても、弓殿をお守りいたしまする!」
その声は震えていたが、言葉には誠実な覚悟が込められていた。
兼続「いやはや、これはまことにめでたい。これで我ら上杉家も、頼朝様のご一門に、晴れて加わることができましたな!」
兼続が満面の笑みで言い、その場は一気に温かい笑いに包まれた。
弓姫との婚姻は、武家の一統を超え、上杉家の“義”が頼朝軍に重ねられた瞬間であった。
景勝の沈黙の誓い、兼続の柔和なる知恵、そして金時の不器用な覚悟――。
彼らの交わした想いは、やがてこの国の行方を左右する。
次章、景勝が頼朝に語る「天下を望む者」の真意が、封じていた扉を開きはじめる。




