11-1 戦勝と民の慟哭
勝利の影に、民と兵の慟哭があった。
大垣陥落の報に沸く間もなく、頼朝は戦の傷跡と向き合う。
義経との再会、家臣の献身、そして――一つの慰霊の決断が下される。
■大垣の流血と涙
大垣城攻略は、多くの犠牲を伴った過酷な戦いであった。大垣城という戦略的要衝を手にすることはできた。だが、那加城への帰還の途についた頼朝の足取りは、鉛のように沈んでいた。
強大な織田軍と、先進的な領国経営や政策によって常備兵を多く擁する頼朝軍――この二つの“近代的”勢力が激突する戦は、従来の戦とは桁違いの流血を招いていた。
大垣の地も、おびただしい流血と涙で赤く染まった。川辺や野には、幾重にも折り重なる亡骸が横たわり、激戦の傷跡は癒えないままであった。夏場ゆえ腐敗が早く、戦場の遺体処理を担当する黒鍬組も、通常の人員ではとても対応が出来ない状況であった。
多くの兵の命のみならず、名将・太田道灌、さらには坂田金時、柳生兵庫といった、かけがえのない将まで――失う寸前でもあった。
城門で頼朝を出迎えたのは、弟の義経、その妻武田梓、そして頼朝の妻羽柴篠であった。
義経「兄上、ご無事にて……! よくぞお戻りくださいました!」
義経が、感極まった様子で駆け寄ってくる。
頼朝「……義経。この様な多くの犠牲をともなう戦、二度と繰り返したくはないものじゃ」
頼朝は、馬上から力なく応えた。
頼朝「もし、わしでなく、そなたが采配を振るっていたら……このような無様なことには、ならなかったであろう」
義経「兄上、何を仰せられます」
義経は、静かに首を振った。
義経「……お気持ちは痛いほど分かります。
拙者とて、共に戦えぬもどかしさで、どれほど歯噛みしたか……
それでもこの大垣の勝利が、我らの国を、そして未来を救ったのです」
義経は、疲れ切った兄を気遣うように、言葉を続けた。
義経「それより兄上、今はどうか、お休みくださいませ。
何か急変があれば、この義経が必ずやお守りいたします」
頼朝は、弟の顔を見つめた。この時代で、この近くにいる弟・義経こそ、今、最も信の置ける武人である。
(だが……)
頼朝の脳裏に、かつての苦い記憶が蘇る。小さな綻びから、消し得ぬ憎しみに心は支配される。
自らが下した弟への恐ろしき仕打ち、決して繰り返してはならない。頼朝は、心に強く誓った。
■那加城の軍議:民のためにできる事
翌日、頼朝は那加城内の主だった家臣団を集め、評定を開いた。
頼朝隊からは、羽柴秀長、里見伏。
義経隊からは、義経、武田梓、出雲阿国。
そして、頼朝の妻、羽柴篠も、同席を許されていた。
*源頼朝とその妻羽柴篠
*先の大垣城の戦いで負傷した羽柴秀長(左)、里見伏(右)
*源義経(左)、義経の妻武田梓(中)、出雲阿国(右)
頼朝隊のもう一人の副将・櫛橋光は、内政にも明るいことを見込まれ、清州城の整備や開発のため、清州へ派遣されていた。
秀長は、此度の戦で頼朝本陣に肉薄してきた織田軍に対し自ら刀を振るって奮戦した際に、肩に矢傷を負っていた。痛々しい姿である。
しかし、戦地にて誰よりも矢面に立って頼朝を守護していたはずの里見伏には、傷一つ見当たらなかった。
頼朝「おのおの方、此度の戦、まことに大義であった」
頼朝は、集まった者たちの顔を見渡し、静かに語り始めた。
頼朝「多くの犠牲を払い、我らはついに大垣城を落とした。
この城が、西からの脅威に対する強き盾となる事を望む。そうでなくては、この戦で散っていった、多くの将兵たちに申し訳が立たぬ……。
まずは、家臣や部隊の再配置、捕虜の扱い、そして、大垣城、清州城下の復興と整備。急ぎ、取り掛からねばならぬことが山積じゃ」
秀長「はっ! この秀長、直ちに草案を準備いたします!」
秀長が、傷の痛みを隠すかのように力を込めて答えた。
頼朝「いや、秀長。そなたは、まずは傷の養生に専念せよ。…義経、阿国殿、秀長に力を貸してやってはくれまいか」
秀長「このような怪我、何ほどのこともございませぬ!」
秀長は強がるが、その顔色はまだ優れない。
義経「秀長殿、兄上。仰せの通り、いつも秀長殿ばかりにご負担をおかけしております。此度は、この義経、そして阿国殿も、共に新しい領国づくりの草案を考えることといたしましょう」
秀長「義経殿、阿国殿、かたじけない。よろしくお願いいたす」
秀長は、安堵したように頷いた。
だが、頼朝の表情は晴れなかった。
痛ましい戦場から戻ったばかり、まだ素直に戦勝を祝うような心境には、到底なれずにいた。
頼朝「……大垣城を落とすのは、今をおいて他に無し、と考え、無理に兵を進めた。だが、わし自らの決断で、かけがえのない多くの将兵たちの命を失うこととなった……。
城下の多くの民たちは、戦勝の喜びどころか、戦で家族を亡くした悲しみに暮れておるに違いない。民を守ろうと戦い、かえって民を深く悲しませる……。
…さらに、此度の大きな犠牲は、このわしの采配の誤り、落ち度でもあった……」
秀長「頼朝様!」
秀長が、傷を押さえながらも、頼朝の前に平伏した。
秀長「決して、頼朝様の落ち度などではございません!
責められるべきは、参謀でありながら、敵の策を見抜けず、有効な手を打てなかった、この秀長にございます!」
その秀長に対し、義経が静かに語りかけた。
義経「秀長殿も、それから兄上も――よくお分かりのはず。織田信長という敵は、一筋縄ではいかぬ、難しき相手なのです。
多くの犠牲が出たことは、誠に痛ましい。
しかし此度は、大垣城を攻める決断も、織田の反撃に対しても、ただ前に進むしか道はございませんでした」
だが、あの絶望的な戦場で、義経の軍略、その存在を、渇望したのは頼朝自身であった。頼朝は何の策も打てず、犠牲を顧みずただ前進することしかできなかった、己の力不足を否定できずにいた。
頼朝「……わしは、此度の戦で散っていった将兵たちのために、供養を行いたいと考えておる。いかがか」
頼朝が問いかけると、平伏したままの秀長に代わり、それまで黙って話を聞いていた羽柴篠が、おずおずと、しかしはっきりとした口調で提案した。
篠「あの……頼朝様。
城下の母親たちが、息子を失って嘆きの声を上げていました…痛ましい光景に、胸を締め付けられました。
是非とも民たちも参列できる法要を行うのはいかがでしょうか。戦で亡くなった敵味方すべての魂を慰める事が大切かと存じます。
近くの聖徳寺にて、城下の民たちも参列できるような、大きな法要が可能かと」
幼さの残る声には不思議な落ち着きがあった。あどけなさと責任感が入り混じったその姿に、頼朝も思わず目を細めた。
篠「聖徳寺は、父も、そしてわたくしも、以前より懇意にさせていただいております。また、本願寺顕如様と同じ、浄土真宗のお寺でもございます。頼光様に嫁がれた、本願寺悠様を通してお話いただければ、きっと、快くお引き受けくださるかと存じます」
頼朝「ほう、聖徳寺か……。それは、良い考えじゃ」
頼朝は頷いた。
頼朝「よし、聖徳寺にて、盛大に供養を行い、鎮魂の儀を執り行おう。篠、早速、本願寺の悠殿と話を進めてはもらえぬか」
篠「はい! かしこまりました!」
篠は、神妙ではあったが、力強く返事をした。
戦は終われど、癒えぬ傷は残る。
戦勝の城下に響く母の泣声、そして家臣たちの沈黙。
次章――聖徳寺にて、亡き者たちへの祈りと、新たな誓いが捧げられる。




