0-2 黒雲の向こうへ ―岐阜城の不可思議なる招待―
霧深い森で出会った女は「未来から来た」と告げる。導かれた頼朝が目にしたのは、織田信長から奪ったという巨大な岐阜城だった――。
こちらの殺気に近い警戒とは裏腹に、二人は落ち着き払っている。やがて女が静かに口を開いた。
謎の女性「頼朝様。お待ち申し上げておりました」
泰衡の企みではないのか。
まだ警戒は解いていないが、差し迫った危険を感じるわけでもない。
謎の女性「頼朝様、どうぞこちらへ」
促されるまま森を進むと、納屋のような一棟の建物が見えてきた。
ところが、簡素な門をくぐると、よく手入れされた庭と、意外なほど広壮な屋敷が広がっている。小規模な合戦なら十分に拠点となりそうな作りだ。
庭の佇まい全体から、安寧を願う心がそのまま滲んでいるように見えた。
屋敷に上がり、一室へ通される。二人から殺意の類はまるで感じられない。
勧められるがまま、見慣れない意匠の茶碗で茶をいただく。その風変わりな香りや味は、森で感じた風と同様、これまで味わったことのないものだった。
女の風貌も纏う空気も不可思議そのものだ。
常に微笑みを湛えているが、その表情はなぜか相手の警戒心を和らげる不思議な力を持っている。そして隣にいる義経は、まるで兄との再会を喜ぶかのように穏やかな笑みを浮かべていた。憎むべき兄が目の前に無防備で座っているというのに――。
どんな言葉をかければいいか、頼朝には皆目わからなかった。
謎の女性「わたくしはトモミクと申します」
先に口を開いたのは女のほうだ。
トモミク「頼朝様をお支えするため、先の時代より参りました」
その最初のひとことからして、頼朝の理解を超えていた。
トモミクと名乗る女は、淡々と話を続ける。
自分は遠い未来から「この時代」に来たこと。
そして、その「この時代」とは、頼朝が鷹狩りで意識を失ったあの瞬間から、実に四百年以上も先の世界である――というのだ。
さらに、その「四百年後の時代」で、義経も召喚された。
それだけでなく、頼朝のはるか先祖・源頼光やその四天王たち、あるいはまた別の時代の“兵”たちが、同じようにトモミクの下に集い、今この地にいるのだという。
頼朝が築き上げた鎌倉幕府はすでに滅び、源氏の血筋は散り散りになった。わずかに残る武家も、新たに台頭した織田信長の勢力によって風前の灯火だという。
甲斐源氏の武田家はいまだ健在なものの、やがて織田信長によって滅ぼされる運命にある――と、トモミクは抑揚のない声で淡々と語る。
鎌倉幕府の滅亡、源氏の凋落、武田家の悲運……
聞くに耐えない未来の出来事を、トモミクは終始微笑みながら続けた。
(もしこれが藤原泰衡の茶番なら、鎌倉へ戻り次第、絶対に許さぬ……!)
頼朝は内心で毒づくしかなかった。
屋敷を出ると、完全武装の兵団が待機していた。
彼らに警護されながら、トモミクの居城へ向かう。
この兵たちは武士なのだろうか。鎌倉武士の鎧とは明らかに異質で、矢も刀も通さぬ堅牢さと、動きを妨げぬ機敏さを兼ね備えた鎧――その兵たちは驚くほど整然と隊列を組む。
(これが……四百年後の武者の姿か)
トモミクの言葉が、一番単純にこの光景を説明しているようにも思えた。
***
ここは美濃国・稲葉山。トモミクの居城は「岐阜城」と呼ばれる稲葉山の巨大な山城で、織田信長なる新興勢力から奪取したのだという。
間近で目にする岐阜城の威容は圧倒的だった。
初めて見る壮麗な建築様式、堅牢極まる城構え……。
(もし鎌倉軍がこれを攻めるとしたら、どう攻略すべきか見当もつかぬ……)
これほどの城を築くに要する技術や人員もまるで想像がつかない。短時間で目にしたものすべてが新奇で衝撃に満ちていた。
(万が一、これが泰衡の……鎌倉が知らぬ奥州の力なら、一大事ぞ)
警戒を解けぬまま城内へ入ると、広間に多くの武者が集まり、頼朝とトモミク、そして義経を出迎えた。そのまま「天守」と呼ばれる城の最上階へ案内されると、さらに多くの武者たちが整然と並んでいる。
しかし、彼らは明らかに坂東武者とは違う雰囲気だ。頼朝は“武家の棟梁”という自分の肩書が急に空虚なものに思えてくる。
それにもかかわらず、岐阜城の天守に集う者たちは、失脚したも同然の頼朝に一斉に頭を垂れ、最も上座へ誘うのだった。
トモミク「頼朝様、お待ち申し上げておりました」
トモミクが微笑みを崩さぬまま、淡々とした口調で言う。
トモミク「我々は皆、頼朝様にお仕えする家臣にございます」
何のためにこの者たちは自分を待っているのか。何を企んでいるのか。皆目見当がつかぬ。
だが、一同は静かに頭を下げて傅いている。これは鎌倉の組織ではないし、トモミクからこちらの混乱を解きほぐすような配慮は感じられない。
それでもトモミクは話を続ける。
トモミク「こちらに控えている皆々は、頼朝様の家臣団でございます。命を捧げる覚悟でここに馳せ参じた兵たちでございます」
(ずいぶんと軽々しく“命を捧げる”などと……)
裏切りと謀略の狭間を生き延びてきた頼朝は、その言葉に微かな反発を覚えた。
(お前たちを、いつか俺が誅殺する日が来るかもしれぬのだぞ……)
と、ふと義経の、優しく兄を見つめる眼差しに気づく。
(義経は――いったい何を知っているのだ?)
お読みいただき感謝します! 本編では頼朝の警戒心と義経の静かな微笑みを対比させてみました。次回は天守の広間で“時代も国も違う武者たち”が姿を現します。感想・ブクマなどお気軽にお寄せください!