44-3 軍師の見立て
戦場に響くのは、怒号でも咆哮でもない。
涙を浮かべたままの参軍が見据えるのは、
敵の姿と、戦の“終わらせ方”であった。
■武田梓の陣
義経本陣から出撃の合図を待っていた武田梓の陣所に、
源宝が騎馬武者に連れられ到着した。
梓「あら、宝様、何か至急の事でも」
源宝は、涙も乾かぬまま里の陣を飛び出し、
早馬の恐怖と悲鳴を置き去りにして、
泣きじゃくった後の子供のような、赤く腫れた目をしていた。
(……宝様……。もしやまた義経様が…!)
梓は清水山城での義経と里の一件を思い出しながらも、
昨晩頼朝の病状を耳にして、深く傷ついた義経の心情も心配であった。
部隊長として気丈にふるまう梓自身も、哀しみに打ち勝ちながら、
自らを保つのは楽では無かった。
おぼつかない足取りながら、宝は梓のもとに駆け寄り、言葉を絞り出した。
宝「あの、梓様、ふ、伏兵がいると思われまする」
梓の表情が引き締まる。
梓「お話をお聞かせください、宝様」
宝「は、はい、(はぁはぁ)」
宝の様子を見て、梓も我に返った。
跪く宝の方に手をかけ、優しく声をかける。
梓「まずは落ち着きましょう、宝様」
梓の微笑みに、宝も一息つく事ができた。
■軍師の見立て
徳川の伏兵を警戒しながら、武田梓隊と義経隊(源里隊)は、
ゆっくりと前進を開始した。
左翼を進む梓隊は、やや先行しつつ進む。
正面の徳川軍・大久保隊を捕捉せんとするかのように、少しずつ、慎重に、間合いを詰めていた。
突如、武田梓隊の先鋒、およそ二百あまりの鉄砲隊が、隊列の側面へと回り込み、宝が指摘した、山あいの茂みに向け、一斉に、威嚇の鉄砲を斉射した。
源宝の見立て通りであった。
着弾した鉄砲の音は、天然の森林が鉛玉を受けて上げる、乾いた悲鳴とは、明らかに異なっていた。
弾がめり込む鈍い音や、金属的な反響音。
熟練の狙撃兵たちの耳には、確かな手応えがあったのである。
武田梓は、傍らに進み出てきた源宝の頭を、優しく撫で、
梓「さすがですよ、宝様のお見立て通りでございましたね」
と、眼差しは敵陣を見据えたまま、心からの感謝の言葉を伝えた。
当の源宝は、進言が当たった安堵と、
次に訪れる敵の動きを思い、胸の奥に不安を抱いていた。
梓「では、軍師様。この後は、いかがいたしましょうか?」
武田梓は、そんな宝の姿を目にしながら、
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、声をかけた。
宝「は、はいっ、僭越ながら……!」
宝は、いつもの不安そうな表情を浮かべながら、答えた。
宝「はじめの砲撃で、出てくると思ったのですが……やはりお強いのですかね、徳川の兵は。
でも潜んでいることは間違い無さそうですから、
再度、伏兵が潜んでいると思われる方面に、さらに大規模な威嚇射撃を行いましょう……」
宝は遠い目になり、今朝の義経の言葉を思い出していた。
宝「敵が出てきましたら、敵の足元を狙い、間断なく斉射を行ってください。
致命傷を与えず、敵の戦意だけ挫くことができたら幸いです。
大地からの跳ね返りによって、多くの敵兵に弾が当たるでしょうが――それでも、直接狙撃するよりは、命を落とす数は、遥かに少なく抑えられるはずです……」
足元を狙え、
義経が捨て台詞のように吐いた言葉であったが、
宝は今や心底納得していた。
宝「正面の大久保隊は、里様がご対応されます。
梓様は、伏兵を潰走させることにご専念いただけましたなら、ここの戦は終わります……」
梓「もう……! あなた様は、本当に、素晴らしい軍師様ですわね!」
宝は苦笑いしながら、頭を横に振った。
少し寂し気な目を梓に向けて、
宝「いえ、全ては義経様のお考えなんです……」
若き源宝に改めて賞賛の言葉をかけながらも、
陣に来た時の腫れた眼差し、
今の寂し気な眼差し、
梓は心に引っ掛かるものがあった。
しかし、今は戦の真っ最中。
梓は前を向き、部隊に檄を飛ばす。
梓「前列、一部別動隊に合流し、斜面に斉射!
それ以外のものは、三列に組んだ隊列を維持、
いつでも放てる態勢を維持!」
■軍師の勝利
梓隊が山あいに向け、さらに火力を強めた威嚇射撃を行ったところ、
果たして、源宝の見立て通り、
追い詰められた徳川軍の伏兵部隊が、鬱蒼とした茂みの中から、わらわらと姿を現した。
武田梓の、鋭い檄が飛ぶ。
梓「側面の別働隊 、いったん後ろへ!ご苦労様でした!
本隊の鉄砲隊、第一列、第二列、第三列!
間断なく、茂みから出てきた敵部隊に向け、撃ってください!
直接の狙撃は避け、敵の足元、手前に着弾!
それでもなお、敵が間合いを詰めてくるようであれば、
その時は、ただちに撃ち払ってください!」
敵の虚を突くべく潜んでいた徳川の伏兵、
散発的な威嚇射撃と次元が異なる斉射を受け、
辛抱ならず意を決して撃って出る。
そこに眼前には圧倒的な鉄砲が整然と隊列を組み、
銃口は自分たちに向けられていた。
そして間断なき集中砲火を浴びる。
徳川軍の伏兵隊は、勝算無き景色と圧倒的な火力に戦意を完全に喪失。
負傷した味方を、その場に放置したまま、蜘蛛の子を散らすように、潰走していった。
その、無様な伏兵隊の姿を見ていた正面の大久保忠佐隊は、
急遽、一点突破を試みるための鋒矢の陣へと変え、
玉砕覚悟の突撃を試みようとした。
だが、彼ら前にも、大量の銃口を向ける源里隊が布陣を完了していた。
わずかでも動けば、即座に源里の狙撃隊の射程圏内に入る。
完璧な布陣がすでに整えられているのを、大久保忠佐は目の当たりにした。
(これまでか……!)
決死の突撃は、一矢報いるどころか、ただの犬死ににしかならない。
歴戦の勇士・大久保忠佐は、瞬時に悟った。
無念を噛み殺し、忠佐は力なく命じた。
忠佐「…もはや、これまで。長篠城は捨てる!
速やかに、犬居城にて集結し、再起を図る!」
大久保隊が、戦わずして退散し、長篠城は直ちに開城した。
泣き虫軍師――されど名軍師――源宝は、
目の腫れが引かぬまま、
長篠城に訪れた静かな勝利を、胸に受け止めていた。
戦勝に沸く味方の将兵たち。
義経は、静かに此度の勝利を見つめながらも、自らの心を持て余していた。
(…兄上、もう少しだけ時間を)
お読みいただき、ありがとうございました。
戦は一つ、静かに終わりました。
けれど、人の心は、
まだ戦場に立ち尽くしています。
次話へ続きます。




