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44-2 泣き虫名軍師

兄・頼朝の命の行方を知り、

義経の心は、静かに――しかし確実に、揺らぎ始めていた。


武の才は失われずとも、

その内に巣食う焦燥と恐れは、戦場に影を落とす。


そして、その歪みのただ中で、

一人の若き参軍が、涙に濡れたまま、敵を見据え、立ちふさがる。

■義経の咆哮


初めて見る、義経の形相に、呆然とする源宝……


そこへ義経隊のもう一人の副将で頼朝の娘・源里が、源宝のもとへと駆け寄り、叔父である義経を、真っ直ぐに睨みつけた。


里「叔父上! そのような、ご乱心されたお姿、叔父上らしくございませぬ!」


義経「……!」


義経は、里を鋭く見返す。


挿絵(By みてみん)


義経「……ええい!

であるならば、敵の足元を狙え!

それでも敵が逃げぬのであれば、もはや、我らの関知するところではない!」


声は怒りに震え、拳を握りしめた手が白くなるほど力を込めていた。

いつも冷静沈着な義経の瞳に、初めて見る焦燥と苛立ちが渦巻いている。


里「…かしこまりました!」


源里は、現場の指揮官としてこれ以上上官に言葉を挟むことはせず、即座に踵を返した。

新たな指示を飛ばすべく、部隊へと走る。


義経は、わずかに息を整え、少しだけ冷静さを取り戻した。

すぐ横で、なおも涙をこらえきれずにいる源宝に、かけるべき言葉が見つからない。


しばらくの沈黙ののち、義経はようやく、声を絞り出した。


義経「……宝殿。すまぬ……。許せ」


宝「い、いえ、義経様……

本当に、本当に、申し訳ございません……」


(わしは……。

またしても、若い宝殿に……取り返しのつかぬことを……)


義経は、交錯する思いに苛まれ始めていた。


義経「宝殿。今のわしは……冷静な采配ができぬやもしれぬ。


里のもとへ行き、宝殿の思う最善の陣立てで、目の前の徳川軍を追い払ってくれぬか」


宝「よ、よろしいのでございますか、義経様……?」


義経「ああ。

大将の足りなきところを補う――参軍の、最大の役目ぞ」


戸惑う宝を目にした義経。


義経「行け!」


宝「は、はいっ!」


宝は深く頭を下げ、慌てて源里のもとへと駆けていった。


その後ろ姿を見送りながら、義経は両手で頭を抱える。


(兄上……

わしは未熟……兄上の代わりなど、務まるはずもない……

どうか……どうか、生きてくだされ、兄上……!)


陽が上り始めた空は、どこまでも青く、無情に広がっていた。


挿絵(By みてみん)



■泣き虫軍師の眼差し


源里のもとに、息を切らした源宝が現れる。


里「宝様!

いらしていただけたのですね!


今日の叔父上は……どうかしておられまする。

いつもはお優しいお方。どうか、お気になさらぬよう……」


宝「い、いえ、とんでもございません、里様。

わたくしこそ、出過ぎたことを……」


源宝は、涙乾かぬ眼差しで、前方に布陣する長篠城下の徳川勢を凝視していた。


宝「あの、里様。おそれながら……

今すぐ、力攻めにて前進するのは、お待ちくださいませ……」


宝は涙を拭きながらもなお、敵陣から目を離さない。


宝「この兵力差……

敵は、死兵と化し玉砕覚悟で突撃するか、

あるいは恐怖に耐え、防御に徹するか……

そのいずれかを選ぶはずでございます。


ですが……里様、ご覧ください」


宝は、静かに布陣する徳川軍を指差した。


宝「前が薄く、後方が厚い……

この兵力差にしては、あまりにも不自然でございます」


宝の声が、わずかに震えた。


宝「……まるで、こちらを誘い入れるかのような……」


はっとしたように、里に顔を向けた。


宝「伏兵……」


宝は周囲の地形を注意深く見回し、やがて、長篠城の左手――

比較的傾斜の緩やかな山の斜面、鬱蒼うっそうとした茂みを指差した。


宝「さ、里様……!

わたくしの見立てが間違っておりましたら、取り返しはつきませぬが……

ですが、おそらくは、あの茂みの中に、敵の伏兵が……」


宝は深く息を吸い、続けた。


宝「あの、里様。

わたくし、これより左翼を進む梓様のもとへ参ります!

わたくしが梓様と合流し、合図を送るまで――どうか、この場で待機を」


里は、宝の指す方角を凝視し、静かに頷いた。


宝「おそらく……。

梓様が、あの茂みに向け威嚇の砲撃を行えば、

伏兵は耐えきれず、梓様の軍へ襲いかかるでしょう。


それを見た正面の徳川軍は――

死ぬ気で総攻撃を仕掛けるか、

あるいは戦わずして潰走するか……

そのいずれかになるかと、愚考いたします」


宝は、さらに声を落とした。


宝「もし、玉砕覚悟でこちらへ突撃してきましたら、

その足元へ向け、斉射を。

致命傷を与えずとも、戦意を折るには十分……

無用な命を、これ以上奪わずに済むかと……」


挿絵(By みてみん)


里「宝様……!」


里の目が輝いた。


里「すべて理に適っております!

叔父上が、あれほど感心されたのも、当然でございます!」


里は、心からの称賛を込めて言った。


里「急ぎ、梓様のもとへ!

腕利きの者を護衛につけます!」


ところが――

宝の表情から先ほどの鋭さが消え、再び、今にも泣き出しそうな顔になる。


宝「あ、あの……里様……

まことに、申し訳ございませぬが……その……わたくし……」


里「……?」


宝「……馬が……」


里「えっ……?」


宝は顔を真っ赤にして俯き、小さく、こくりと頷いた。


里「……まさか」


宝(……馬に乗ると……揺れて……落ちて……)


里「もう! ご心配なく、宝様!」


里は屈強な騎馬武者を呼び寄せ、宝をひょいと後ろへと乗せた。


宝「ひゃあっ!?

や、やめ……きゃあああーーっ!!」


悲鳴を上げながら、宝は梓隊へと連れ去られていった。


その後ろ姿を見送りながら、里は思わず吹き出しそうになり、口元を押さえる。


挿絵(By みてみん)


(…ふふ。

とっても無様で、そして泣き虫、でも大軍師様……頼みましたよ……)


里は振り返り、自らの部隊に告げる。

眼差しは、若き女将・源里のものに戻っていた。


里「各隊に告ぐ!

隊列を整え、梓隊の今後の動きにあわせて、わが隊も進軍します!」




若き女将・源里の張りのある声が、長篠の山々に力強く響き渡っていた。


挿絵(By みてみん)

お読みいただき、ありがとうございます。


心が乱れたとき、人は咆哮し、涙を流します。


完璧でない将、人――ゆえに前へ進もうとする者たち。

その隙間を、知恵で、勇気で、そして涙で埋めていく――


次話、戦場はさらに動き出します。

引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。

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