42-1 徳川家康と三河武士の覚悟
徳川軍との刈谷城下の決戦を制し、
義経は圧倒的な優勢のまま軍を進める。
やがて至った岡崎城。
そこには、徳川家康自らが陣を構えていた。
義経は、傍らの源宝に静かに語りかける。
「宝殿……すまぬが、家康殿に降伏勧告の使者を出してくれぬか」
しかし宝は、眼前に布陣する徳川軍から伝わる、
尋常ならざる戦意を感じ取り、言葉を濁した。
そして降伏勧告を受け取った家康は、
股肱の家臣・酒井忠次とともに、
あらためて“三河武士”としての覚悟を固めるのであった。
■安祥城攻略
天正十六年(1588年)四月。
徳川攻略に出陣した頼朝軍勢は、先の刈谷城下での決戦を制し、そのまま刈谷城を開城させた。
そして時を移さず、三河国東部の要衝・安祥城へと進軍する。
安祥城を守るは、徳川十六神将の一人に数えられる猛将、渡辺守綱。
だが、その麾下の兵力はおよそ千九百にすぎなかった。
先の決戦で甚大な損害を受けた徳川軍に、安祥城へ回せるまとまった兵力は残されていない。
一方、頼朝軍は徳川軍の必死の抵抗にもかかわらず、十万規模の兵力を温存したままであった。
頼朝軍は、圧倒的な戦力をもって安祥城へ攻めかかる。
渡辺守綱隊は、文字通り雨霰と降り注ぐ鉄砲の火力の前に、抵抗らしい抵抗もできぬまま壊滅した。
安祥城もまた、包囲された後、城兵はほどなく戦意を喪失し、開城に至る。
開城の検分使を務めた武田梓は、降伏した徳川方の将・水野勝成、ならびに水野分長を伴い、義経の本陣へと出頭した。
義経は二人に向かい、静かに、しかし有無を言わせぬ威圧を込めて告げる。
義経「降伏した将も兵も、今後一切我らに抵抗せぬと誓うならば、その身柄は保証する。
城に戻り、領民のために励むがよい。
だが、再び刃を向ける者がおれば、その時は容赦せぬ。
我らの背後から攻めかかりたくば、いつでも来るがよい」
その言葉の裏には、那古野城に布陣するトモミク隊の存在があった。
その威容は、刈谷城、安祥城からでも遠望できるほどである。
表向きは、降伏した城への兵糧・物資の援助、治安維持のための部隊とされていたが、
岐阜城配下の狙撃隊、全軍を率いての布陣であった。
トモミク隊の圧倒的な兵力と火力は、頼朝軍に降った徳川の将兵に、無言の圧力をかけ続けていた。
■激戦・岡崎城
雨季に入り、街道はぬかるんでいた。
しかし頼朝軍は進軍を止めることなく、徳川家康の本拠・岡崎城へと、その切っ先を向ける。
岡崎城からは、徳川家宿老・酒井忠次が三千六百、
さらに家康自らが六千七百の兵を率いて出陣し、城外で迎え撃つ構えを見せていた。
義経は家康の陣を眺めながら、傍らの源宝に静かに語りかける。
義経「宝殿……すまぬが、家康殿に降伏勧告の使者を出してくれぬか。
刈谷城で勝敗は決しておる。
無益な血は、できる限り流したくはない」
宝「かしこまりました、義経様。しかし……」
宝は、眼前に布陣する徳川軍から伝わる尋常ならざる戦意を感じ取り、言葉を濁した。
義経「ああ……あの陣から伝わってくる士気、決意、そして殺気。
家康殿が、素直に降伏するとは思えぬな。
それでも、こちらの思いだけは伝えよう」
宝「はい! 義経様のお気持ち、しかと承りました!」
宝は力強く頷き、陣中を駆けていった。
* * *
岡崎城下、徳川軍本陣。
徳川家康は人払いを命じ、筆頭家老・酒井忠次と二人きりで向き合っていた。
家康「……義経殿から、再び臣下となるよう勧告が来ておる。
頼朝軍の強さは、想像を超えておるな。
南信濃で戦った部隊は、精鋭ではなかったようじゃ……
刈谷城で踏みとどまれず、もはや勝敗の趨勢は決しておる」
家康は、どこか遠い目をして呟いた。
家康「忠次。
そなたは東美濃でも刈谷城でも、直接刃を交えた。
いかがであった」
忠次「はっ!」
酒井忠次は顔を上げた。
そこには武人としての、ある種の清々しさすら浮かんでいる。
忠次「刈谷城で戦った源義経率いる軍勢は、
南信濃の頼朝軍と比較にならぬほど強くござった。
敵の力量を見誤ってしまいましたぞ。
刈谷城ではわが軍の集散の遅れ、わずかな陣形の隙――
頼朝軍はそれを実によく見極めておりました。
あれほどの大軍でありながら、神速と呼ぶほかない速度で動き、
恐ろしいほど統率が取れております。
一度術にはまれば、逃げ道は完全に断たれまする。
密集しても、分散しても、何をしても通じませぬ。
山の塊のごとき騎馬の突撃、
龍が吐いた炎のような鉛玉の斉射、
さらには大筒……。
まさしく、天より降りた軍神・源義経との戦でござりました」
忠次は苦笑しながら、率直に敵軍を称えた。
家康「……勝ち目は、ないか」
忠次「残念ながら……」
家康「忠次。
そなたが、わしであれば――この後、いかがいたす」
忠次は、ニヤリと笑って答える。
忠次「それは愚問にござりまする。
拙者は三河武士。
強き敵と相まみえることこそ、本望。
せめて殿のため、華々しく散りますぞ!」
家康「……良いのか、それで」
忠次「殿にお仕えしてこの方、
覚悟なくして戦えた戦など、ございませぬ。
三河武士とは、殿のおんため、散る覚悟を持つ者。
そうでなければ、ここまで殿については来られませなんだ!」
家康は、股肱の臣・酒井忠次に深く頭を下げた。
家康「かたじけない、忠次……。
わしはあの義経殿が気におっておる。
お市様も頼朝殿に心服しておる。
臣下の礼を取ったならば、我が軍の多くの将兵は救われる。
じゃが、わしは決めかねておる。
このまま終わらせたら、ここまで頼りなきわしに尽くしてくれた皆に、なんと申したらいいのか……」
忠次「では、殿が我らであれば、いかがいたす」
忠次は瞳の奥に炎があるかのような、強い眼差しで家康に迫った。
家康は忠次の言葉に苦笑した。
家康「では、良いのじゃな……。
このままでは我が徳川の名折れ。
力尽きるまで戦い、あの軍神に知らしめる……せめて一矢報いるとするか」
忠次「は! では殿、お考えの作戦を試してみましょうぞ。
刈谷城では予想以上の惨敗ではござったが、負けは想定のうち。
頼朝軍は、はじめは難しき戦術は取らぬゆえ、軍神が目覚めるまでが勝負でござる」
家康「重ねてお礼を申す、忠次。
軍神は捕虜には慈悲深い。
命が危うくなれば、投降せよ。
我らが意地を見せる事と、命を落とす事は、同じでは無い」
忠次「肝に銘じておきます! では殿、ご武運を!」
酒井忠次は、自らの部隊に馬を走らせた。
* * *
義経の陣所に家康からの返信が届く。
書面を一読した義経は、静かに呟いた。
義経「三河武士の、意地、とな……。
もはや、致し方あるまい。
我らは、我らの礼を持って、これに応えるしかあるまいの!」
お読みいただきありがとうございました。
刈谷城での敗北は、徳川軍にとって想像以上のものでした。
しかし家康は、敗北をも織り込んだうえで策を巡らせ、
三河武士の覚悟とともに、頼朝軍を待ち受けます。
一方、義経や宝もまた、勝利に驕ることはありません。
次回、両軍は岡崎城下で激突します。
太田道灌が騎馬隊を勢いよく走らせた、その時――
戦場は新たな局面を迎えることになります。
この後の展開も、ぜひお付き合いください。




