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40-3 静謐という名の侵略

天下静謐――

その理想を掲げるために、

どれほどの血が流れるのか。


徳川家康の臣従を求めた交渉は決裂し、

頼朝は、ついに東国への侵攻を決断する。


理想のための戦か。

それとも、理想を掲げた侵略か。


天下の行方を左右する一歩が、

今、踏み出されようとしていた。

■徳川討伐軍出陣


天正十五年(1587年)十一月。


義経より、徳川領への出陣準備が整ったとの連絡が、京の二条城に届けられた。

頼朝はその報を受け、お市、太田牛一、出雲阿国を寝所に呼び寄せた。

頼朝の体調は一時期より回復したとはいえ、政務の大半はいまだ寝所にて行われている。


挿絵(By みてみん)


頼朝「出撃準備が整った、と義経が伝えて参った。

わしからの号令があり次第、義経は出陣する。


その前に、お市殿。

先日の岡崎城下での徳川家康の様子について、少し話を聞かせてはもらえぬか」


お市の方は、その時の家康の言葉、表情、そしてその場に漂っていた張り詰めた空気までも、

詳細に頼朝へと伝えた。


お市「家康様の覚悟は、変わりませんでした。

臣従することはないと予想しておりましたが……残念でございます」


頼朝(……やはり、一筋縄ではいかぬか。家康は……)


挿絵(By みてみん)


お市「ただし、家康様がよくご存知の、

織田家の忠臣とされた重臣の多くが頼朝様に心服している――

その話で、多少なりとも心が揺らいだようには感じました。


しかし、家康様に命がけで仕えてきた家臣たちの手前、

臣従はできぬと、あらためて覚悟を示されました。


ここからは、私の勝手な推測でございますが……

もしや、家康様個人としては……」


お市の話を聞き終え、頼朝は深くため息をついた。


頼朝「家康を臣下として迎え入れるための最善の方策が、此度の出陣……。

しかし、結局は力による支配……それで天下静謐の世へと繋がるのであろうか……」


頼朝は、最後の決断を下す前に、幾度も自問自答を繰り返していた。


そこへ、太田牛一が一歩進み出て、静かに進言した。


牛一「頼朝様。お気持ちは、お察しいたします。

ですが……」


牛一は、はっきりと言い切った。


牛一「仮に戦いの後、徳川家康が我らに臣従しなかったとしても――

甲斐・相模・越後の複雑な関係にくさびを打ち込むことは、火急に必要なことでございます。


相模、甲州に隣接する緩衝地帯たる駿河を、我らが直接統治することは、

東国の平和と安定のため、必須であると愚考いたします。


北条なり、武田なりが駿河を支配下に置けば、

あるいは徳川が相模・甲州へ勢力を伸ばせば、

我らが介入することは、著しく困難となりましょう。


三河、遠江、そして駿河を完全に抑え、

関八州の安定をもたらし、

我らの力を改めて天下に示すこと――

これは、極めて重要なことでございます。


東国の安定なくして、惣無事令発布はさらに遠のきます。

もはや、猶予はございませぬ!」


挿絵(By みてみん)


その的確な進言を聞きながら、頼朝は、

お市と阿国が強い眼差しで自分を見つめていることにも気づいた。


頼朝「我らが徳川領を手に入れ、その後、

武田、北条、上杉が再び争い始めたならば……

結局は……いや、もう言うまい!」


頼朝は病床にて目を見開き、ついに決断を下した。


頼朝「……分かった。義経に告げよ。

徳川を攻める!」


挿絵(By みてみん)



■頼朝軍の動き


天正十五年(1587年)十二月。


丹波方面では、籾井城が頼朝軍に包囲され、ついに降伏。

織田軍の丹波最後の拠点・八上城へ向け、

建部山城方面から赤井輝子隊、

籾井城方面から北条早雲隊、里見伏隊、世良田元信隊が、

それぞれ進軍を開始していた。


一方、尾張・美濃方面では、

徳川領制圧のため、頼朝軍各部隊が一斉に出撃する。


犬山城より太田道灌隊――約三万。

挿絵(By みてみん)


那加城より源義経隊――同じく三万。

挿絵(By みてみん)


清州城より武田梓隊――約三万三千。

挿絵(By みてみん)


大垣城より源頼光隊――約三万一千。

挿絵(By みてみん)



頼朝軍主力は、尾張・那古野城へ集結すべく進軍を開始した。

総勢、実に十二万を超える大軍勢であった。



■決戦:刈谷城


天正十六年(1588年)一月。


那古野城に集結した頼朝軍は二手に分かれ、

徳川領の入り口に位置する刈谷城かりやじょうへ向け、進撃を開始した。


迎え撃つ徳川軍もまた、頼朝軍の出撃に呼応し、

刈谷城への兵力集結を急いだ。

後詰を含め、その数は総勢およそ四万五千。


義経は、先の軍議において宝が献じた策を採用し、

多くの忍びを放って、

「頼朝軍、総勢二十万以上の大軍が、遠江へ向け大挙する」

との噂を意図的に流させていた。


その効果もあってか、徳川軍は刈谷の地で決戦を挑むべく、

領内の全拠点から兵をかき集め、刈谷城へと急行する。


徳川軍の主だった将は、

酒井忠次、渡辺守綱、成瀬正成なるせ・まさしげ

鳥居元忠とりい・もとただ、水野勝成、

水野忠重(みずの・ただしげ、勝成の父)。


後詰には、

大久保忠世おおくぼ・ただよ

督姫(とくひめ、家康の娘)、

石川家成いしかわ・いえなり

大久保忠佐おおくぼ・ただすけ

そして本多忠勝ほんだ・ただかつ――

徳川家が誇る歴戦の猛将たちが、ずらりと顔を揃えていた。


二十万以上と噂された大軍を前に、

さすがの猛将たちも、戦慄にも似た緊張を隠せなかった。


かくして、

頼朝軍と徳川軍は、三河国・刈谷城下にて、

ついに激突することとなる。



お読みいただき、ありがとうございます。


今回は、頼朝が「理想」と「現実」の間で下した、

取り返しのつかない決断の章でした。


天下静謐を掲げながら、

その実現のために戦を選ばざるを得ない――

この矛盾こそが、本作の中核でもあります。


ここから先、

徳川家康という稀代の名将を相手に、

義経、そして副将・源宝が、

いかにして戦局を読み、切り開いていくのか。


次章から始まる刈谷城の戦い、

ぜひ引き続き、お付き合いください。

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