40-2 迷参謀・源宝
頼朝が下した「徳川討伐」の命――。
その大命を受け、源義経は東国にて出陣の準備を進めていた。
戦力・兵数ともに優勢。後詰も盤石。
それでも相手は徳川家康。生半可な勝ち方では、戦は長引く。
その義経の傍らに、新たな副将として迎えられた娘、
一色義道の娘にして、頼朝の養女――源宝。
おどおどと怯え、言葉を詰まらせながらも、
その胸の内に、戦の形を読み解く静かな刃を隠している――。
義経は、試すように問いを投げる。
宝が見ている「怖さ」は、どこにあるのか――。
義経は、才能豊かと聞き及ぶ源宝を目の前にして、
試してみたい気持ちを抑えられずにいた。
どの程度の知性を持ち合わせた娘なのか、という純粋な興味のみならず、
妻の武田梓や出雲阿国という才能豊かな副将が抜けた今、
新たな副将としてどこまで頼れるのか――それを見極めることも、義経にとっては死活問題であった。
(……ここは一つ、この娘の考えを聞いてみるとしよう……)
義経は、あえて宝に問いかけた。
義経「さて、宝殿。此度の徳川との戦、兵の武装も兵数においても我が軍は徳川軍を圧倒しておる。
万が一、我らの部隊が負けたとしても、東美濃、岐阜、大垣、長浜、安土に強き後詰がいくらでも控えている。
よもや我らが負けることは無いであろうと、拙者は思うておるが――
我が軍が気を付けねばならぬこととは、何であろうか。
相手はあの徳川家康、世に名高き名将。
負けはせずとも、簡単にはいくまい。
そなたの考えを聞かせてはくれまいか」
義経は、わざと不遜な態度で続けた。
尊敬する義経から突然、軍略について意見を求められ、
宝は一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。
(どうしよう……何を申せば……)
普段から兵法書を読み、情報を集め、あれこれと考えていることを、
そのまま伝えれば良いだけのはず。
しかし今は、言葉が何も浮かんでこない。
宝「は、はい……あ、あの、義経様……」
宝は、ようやく声を絞り出した。
宝「そ、その……此度の徳川攻めには、
およそ、どの程度の兵力でご出撃なされるので……ございましょうか……?」
義経「そうであったな。そこから話さねば、そなたも考えようがあるまい」
義経は頷いた。
義経「今、出撃準備を進めておるのは、この那加城、そして清州城の狙撃隊。
また、大垣城、犬山城の突撃隊。
総勢、およそ十二万……といったところかのう」
宝「は、はあ……十二万……」
宝はその数に圧倒されながらも、さらに尋ねた。
宝「あ、あの……では、その軍勢をいくつかに分けて、例えば複数の経路から徳川領内へと南下させたり、
あるいは武田家や北条家といった我らが友軍からの援軍と、どこかの地点で合流させたり……。
そのようなお考えは、おありなのでございましょうか……?」
義経「はっはっは! これは面白い!
まるで拙者の方が、此度の戦略について、そなたから問い詰められておるようじゃな!」
義経は声を上げて笑った。
宝「あ! こ、これは大変失礼つかまつりました!
わたくし、そのようなつもりでは、決して……!
ただ、その……敵の動きを考える上で、こちらの戦略も理解しておりませんと、徳川方の出方も変わってくるのではないかと、そう思いまして……」
宝は顔を真っ赤にして、慌てて弁解した。
義経「いやいや、すまぬ、すまぬ。宝殿の言はもっともなことじゃ」
義経は笑いを収め、真顔に戻った。
義経「此度の戦、我らは那古野城に軍を集結させ、一気に南下し、徳川領へと攻め入ることを考えておる。
友軍には、此度の出陣を一切知らせてはおらぬ。
あくまでも、我ら頼朝軍の戦じゃ」
義経は、そこで少し声を潜めた。
義経「……そして、もう一つ。
まだ、そなたには伝えてはおらなかったの。
実はな、宝殿。此度の戦――ただ徳川領を攻め取るだけでなく、できることならば、あの徳川家康殿を我が軍へとお迎えしたい。
そう考えておるのじゃよ」
宝「はあ……徳川家康様を……我らが軍へ……」
宝はますます混乱し、落ち着きを失っていくように見えた。
(少し、唐突すぎたか……。
これでは、この娘の本来の才覚を引き出すどころか、かえって萎縮させてしまうやもしれぬ……)
義経は、この辺りで話を切り上げ、
心労で疲れ果てたであろう宝を一度休ませようか――と思った、まさにその時であった。
宝が、ふと顔を上げた。
不安そうな表情のまま、口を開く。
宝「……それでしたら……この先、三河国の刈谷城にて行われるであろう緒戦が、何よりも大事かと存じます……。
此度の戦は、一方向から奥深い敵地へと攻め込む形となります。
我らにとって一番厄介なのは、『縦深防御の陣』を取られることかと……。
つまり、街道沿いの拠点ごとに適切な兵力を巧みに配備し、我が軍が進めば進むほど、こちらの兵力が削られ、補給線も伸びきってしまい、途中で息切れしてしまう……。
それこそが、一番心配すべきことではございませんか……?」
義経「その通りじゃ!」
宝「刈谷城において、いかにして徳川軍の主力を集結させ、縦深の陣を敷くことなど思いもよらぬほどに、徹底的にその戦力を損耗させる。
それこそが最も肝要かと……。
わたくしは、そのように愚考いたします……」
(ほう……!)
義経は、的を射た考察をこれほどまでに理路整然と、
それでいて不安げな表情のまま語る宝の姿に、少しばかり面食らっていた。
義経が感心し、すぐには言葉を返せずにいると、
宝は急に不安になったらしく、慌てて付け加える。
宝「あ! こ、これは大変申し訳ございません!
わたくしのような未熟者の浅はかな考え、まことにお耳汚しであったかと……!
どうか、お許しくださいませ!」
義経「いや、とんでもない! 宝殿、まことに恐れ入ったぞ!」
義経は、心からの称賛の声を送った。
義経「そなたの才覚、前評判以上じゃ。
このわし自身も、そなたの話を聞き、改めて気づかされたこともいくつかあった。
ついでに、宝殿の考えを教えてはくれまいか。
緒戦にて徳川軍の主力を引きずり出し、損耗させるための具体的な手立ては、いかがかな?」
宝は、相変わらず恐縮した表情と声色で、必死に言葉を返した。
宝「義経様もお分かりのように、縦深の陣は、緒戦である程度善戦できなければ意味がございません。
あくまでも、わたくしの浅はかな考えに過ぎませぬので……例えば、ですが……。
事前に徳川領内に忍びを放ち、
我が軍の中にも、すでに紛れ込んでおるであろう徳川方の忍びにも、あえて聞こえるように、
『頼朝軍は全軍をもって、三河・遠江へ攻め込むつもりである』
という噂を大々的に流させれば……縦深の陣どころではなくなります。
徳川軍がその情報を信じてくれましたら、緒戦にて、ほぼ全軍で我が軍に挑まざるを得ないのではないかと。
各地から兵を集め、刈谷へ主力を注ぎ込むのでは……?
刈谷にさえ徳川軍が集結してもらえれば、刈谷の地は兵の多い我が軍に有利です。
挟撃の態勢を取ることも、広い街道を存分に生かし各個に撃破することも、いずれも可能です……」
義経は、しばし茫然としていた。
義経「……いやはや、宝殿。そなたの考え、いちいちもっともじゃ。
その通りにいたそう!」
義経は快活に笑った。
義経「よくぞ話をしてくれた。感謝するぞ」
宝「恐れ入りまする!」
宝は相変わらず申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。
義経が決意を固めるのに、時間はかからなかった。
義経「此度の戦、わしのすぐ側近くにて、戦のすべてをその目に焼き付けてもらいたい。
気づいたことがあれば、遠慮なく進言するが良い。
そなたの豊かな知識と知恵、曇りなき新鮮な視点で、
この老いぼれの凝り固まってしまった戦術眼を支えてはくれぬか」
宝「は、はいっ! 義経様!
この宝、微力ながら最善を尽くしまする!」
宝が緊張から解放されて喜んでいるのか、
あるいは名誉と捉えて喜んでいるのか――義経には分からなかった。
しかし、確かな決意を秘めた力強い声ではあった。
そこへ、もう一人の副将である姪の源里が、慌ただしく駆け込んできた。
里「叔父上! 出撃準備、万事整いました!
いつでも、ご出立いただけます!」
義経「そうか、里。大義であった!」
義経は頷いた。
(家康殿……)
義経は、岡崎城下の寂れた茶屋で、早雲と共に家康と言葉を交わした、
あの密会のことを思い出していた。
(家康殿は、我が軍への臣従をきっぱりと拒絶した。
戦う以外に、選択肢は無かった……)
徳川討伐への出撃に対し、戸惑いが無いといえば嘘になる。
だが――。
(今はただ、兄上のご決断を信じ、兄上のために全力を尽くす。
ただそれだけのことよ……!)
義経は覚悟を決め、頼朝の待つ京・二条城へ向け、
出撃準備完了の報を送らせた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「源宝」という新しい副将が、初めて軍略の場で言葉を発する回でした。
自信なさげで、すぐに謝ってしまう。けれど、言っていることはやけに鋭い――。
そんな“迷い”と“才”の同居した人物として描いています。
宝が口にした「縦深防御」や「緒戦の重要性」は、今後の戦の流れに直結していきます。
そして次回、いよいよ戦場で――宝の読みが試されます。
この先も、お付き合いいただけましたら幸いです。




