表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/162

39-2 もう、遅い

理は通じる。

想いも、決して届かぬわけではない。


それでも――


立場という名の重みは、

人から「選ぶ自由」を奪っていく。


かつての縁、かつての夢、

そして今、この時代に背負わされた覚悟。


北条早雲と、お市の方。

二人の言葉は、徳川家康の心を揺らした。


だが――。

天正十五年(1587年)九月。


岡崎城下。

かつて北条早雲と源義経が徳川家康と会談を行った、街外れの茶屋。


この日、家康と相対していたのは、北条早雲と――お市の方であった。


家康「お市殿ではないか!

まことに、懐かしい。

まさかこのような場所で、しかも頼朝殿の使者としてお目にかかるとは……」


思いがけぬ再会に、家康は素直な驚きと喜びを隠さなかった。


お市「家康様もお変わりなく、何よりにございます」


お市もまた、柔らかな微笑を浮かべ、礼を尽くした。


挿絵(By みてみん)


しかし、家康は早雲へと向き直ると、その表情を一転させた。


家康「……早雲殿。

再び相まみえたな。

さて、この度は、何か良きお知恵でも授けてくださるのかな」


その言葉には、明らかな棘が含まれていた。


早雲「徳川殿。

本日は策を携えて参ったわけではござらぬ。

ただ一つ、お願いに参ったのみ」


早雲は一拍置き、静かに、しかし強い意志を込めて続けた。


早雲「何卒、我が軍の傘下にお入りいただき、

共に太平の世を築いていただきたい。

我が主・頼朝殿が、この日ノ本で最も手を取り合いたいと願っておるのは、

徳川殿、そなたでござる」


家康は、鼻で小さく笑った。


家康「……話にならぬ。

臣下となるくらいならば、一戦交えて潔く滅びる。

先日も、そのように申したはずじゃ。


捕虜への情け?

我が軍には無用よ」


早雲「徳川殿。

そこを、何とかお聞き届け願えまいか」


早雲は一歩踏み出し、声を強めた。


早雲「徳川殿には、どうしても生きていていただかねばならぬ。

そなたの申されること、理としては全て正しい。


甲相越の同盟が脆き均衡に過ぎぬことも、

その中で徳川が我らと盟約を結んだところで利が無いことも、

我が軍が特定の武家に肩入れできぬことも――

全て、その通りじゃ。


だが……甲相越が再び乱れたならば……

我らは同盟国に牙を剥く敵として、

徳川殿と刃を交えねばならぬ。


そのような事態だけは、

何としても避けたいのじゃ」


家康「ならば、今すぐ攻めてくるが良い」


家康は一歩も引かなかった。


家康「我らは、すでに覚悟はできておる。

華々しく散ることに、何の未練があろうか」


早雲「徳川殿!

それは匹夫の勇というものぞ!」


それまで抑えていた感情が、ついに早雲の声に滲んだ。


早雲「負け戦と知りながら、

いたずらに兵を損なうことに、

何の意味がござろうか!」


家康「それは、そちらの理屈でござろう」


家康の声は、冷静だった。


家康「我らから頼朝殿に戦を仕掛けるつもりはない。

だが、どうあっても攻めるというならば――受けて立つ。


徳川の覚悟を申したまでじゃ」


早雲「……」


挿絵(By みてみん)



お市「家康様……」


それまで黙していたお市が、静かに口を開いた。


お市「今、我が兄・信長を見限り、

心から頼朝様に忠節を尽くしておる者たちが、

どれほど多くいるか、ご存じでございますか」


家康「……」


家康は眉をひそめた。


家康「先の南信濃にて刃を交えた折、

池田恒興殿の子・輝政殿が勇猛に戦っておった。

まさか、池田恒興殿が信長公を捨て、

頼朝軍に降ったなどとは、到底信じられぬがな」


お市「その、まさか、なのでございます」


お市は微かに微笑んだ。


お市「池田恒興様は、

織田家の誰よりも早く、

頼朝様に臣下の礼を取られたお方の一人にございます。


今は、私をはじめ、

柴田勝家様、前田利家様、加藤清正様、福島正則様、

そして羽柴秀長様らも――

皆、一度は刃を交え、敗れ、

その上で頼朝様に心服し、

自らの意思で家臣となっております。


このわたくしとて、

捕虜となり、縄を解かれました。

されど、兄・信長のもとへは戻りませんでした」


家康は、驚きを隠せない様子だった。


家康「……命惜しさに降ったのではないのか。

信長公のために命を惜しまぬ猛者ばかりではないか……」


お市「……皆、それぞれに思いは異なりましょう」


お市は、静かに続けた。


お市「ですが、かつての織田家臣たちは、

兄・信長が掲げた『天下布武』という夢に、

己の夢を重ね、付き従っておりました」


お市は、頼朝のいるであろう遥か西の空を見上げた。


お市「ですが……頼朝様が目指しておられる『天下静謐』。

その理想に触れ、

このお方をお支えしたいと、

心から願う者が、今は多くおります。


頼朝様は、鎌倉の世で、

兄が歩んだ血塗られた道を、

一度、すべて歩まれました。


そして今は……その一つ先の道を、

模索しておられるのだと。


想像も及ばぬほどの苦悩と罪を背負いながら、

それでもなお、新たなる世を目指しておられる……。

わたくしには、そう思われてなりませぬ」


挿絵(By みてみん)


家康は、しばし沈黙した。

その表情から、険しさがわずかに薄れていく。


家康「……まこと、興味深い話じゃ。


頼朝殿が、

そのような覚悟と苦悩の果てに、

今の道を選ばれておるというのであれば――

直接お会いせぬままであったのは、

むしろ幸いであったのかもしれぬ。


もし相まみえておれば……

わしの決意は、揺らいでいたやもしれぬ」


お市は、その揺らぎを確かに感じ取った。

しかし同時に、家康の心が再び硬く閉ざされていくのも見て取れた。


家康「……お市殿。

もう、遅いのじゃ」


挿絵(By みてみん)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


お市の言葉は、確かに家康の心を揺らしました。

ですが、それでも彼は「選ぶ」ことができませんでした。


理解できるからこそ、

共感できるからこそ、

それでもなお、引き返せない立場がある――。


次話では、

なぜ徳川家康がその道を選ばざるを得なかったのか、

そしてその報せを受けた頼朝が、

いかなる決意に至るのかが描かれます。


どうか、次回もお付き合いいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ