表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
151/162

38-6 鬼の目覚め

徳川を攻める決断は、

頼朝に一時の解放をもたらした。


だが――

その軽さこそが、

彼自身の心に、深い亀裂を走らせる。


理想のために刃を取ること。

平和のために命を秤にかけること。


その選択の先で、

頼朝は、自らの本質と向き合うことになる。

退出していく家臣たちの背中を見送りながら、

迷いを絶ち、決断を下したはずであった。

それでも頼朝は、胸の奥に残る違和感を、どうしても無視できずにいた。


(織田との戦に追われている際は、いかに辛くとも脇目も振らず、限られた道をがむしゃらに駆け抜けていた……)


(だが、この京の都へ来てからは、前を見ているだけではどうにもならぬと、思い知らされる。目に見えぬ策謀、複雑怪奇な人の思惑の中で、日ノ本や未来のために出来ることを考え、軍団を率いていかねばならぬ……)


(分かっては、いた。分かってはいたはずなのじゃが……。人を殺めずに、ただ、前に進むということは、これほどまでに難しきことよのう……)


そこで頼朝は、己の心のからくりを覗いた気がした。

それは恐ろしきものであった。


(いや、待て……。これは、どういうことじゃ……?)


(戦場にて、多くの敵の命を奪い去ることが、今のわしにとっては、『進みやすき道』『前を向く道』……?


人を殺めずに、人の思惑の中で前に進もうとすることは、『難しき道』……? )


(まさか……!)


一瞬、思考が、すとんと落ちた。

突然、頼朝は一人、わらいが漏れた。


(そうであったか!結局、このわしは……!


あの、徳川家康を無理やりにでも家臣とするため、

朝廷に"平和への道筋"を無理強いするため、

何の罪もない多くの兵たちの命を散らすことを選択したのか!)


(そして、御所を我が軍勢で取り囲む、などということも……。

それもまた、命を『はかり』にかけさせた冷酷な脅しに他ならないではないか!)


(結局、わしは……鬼を退治するために来た鬼……!


滑稽よのう……!)


頼朝はなぜか、独り嗤いが止まらない。


(『鬼』とならねば、この乱世において、『天下静謐』などという、大それたことなど、

到底、望むべくもない……!)


(『天下静謐』が成った、そのあかつきには……遠き故郷鎌倉にて、家族や阿国殿と、ただ静かに暮らす……などと……)


(あの、天上の『神』とやらが、この鬼などに許すはずもあるまい……!!)



その瞬間であった。


突然、頼朝は激しく咳き込み始めた。


(…どうしたというのだ。

己の甘き考えに我ながら呆れ果て、その衝撃で、胸でも押しつぶされたとでもいうのか……)


はじめは、その程度に考えていた。


だが、その咳は、尋常ではない。

体を焼き尽くすような熱い衝撃が込み上げ、肺腑はいふの奥底から絞り出すかのような、激しい咳き込みであった。


気が付くと、咳と共に口元からはとめどなく赤い血反吐が流れ出てくる。

口を必死に押さえるが、自らのきぬが赤く染まる。


挿絵(By みてみん)



その、ただならぬ頼朝の咳き込み方、微かに聞こえてくる、苦しげな呻き声を敏感に感じ取った妻の篠が、慌てて廊下を走ってくる。

その足音が、頼朝の耳にも聞こえてきた。


篠「頼朝様! いかがなされましたか! 大丈夫でございますか!」


頼朝「…な、何事もない……。心配は、いらぬ……」


頼朝は、かろうじて声を絞り出した。

篠が、勢いよく、部屋の戸を開けようとする気配がした。


頼朝「何事もない、と申しておるであろう! ……開けるでない!」


大声をあげるとともに、更なる鮮血が口から流れ出た。


(…やはり、そうか。阿国殿がいう、あの『神』とやらは……。このわしを、許さぬ、というわけか……)


(それこそが……このわしを、この時代へわざわざ呼んだ、本当の理由であったか……!)



そのまま、意識を失い、頼朝は床へと崩れ落ちた。


篠は、「入るな」と、あれほど強く言われていたにも関わらず、頼朝しかいないはずの部屋の中から、人が倒れたような大きな物音に、もはや、ためらってはいられなかった。


篠は、震える手で、勢いよく目の前の戸を開け放った。


篠の悲痛な叫び声が、二条城の奥深くへと、響き渡った。


篠「頼朝様! 殿! ……誰か! 誰かあるか!」


挿絵(By みてみん)




天正十五年(1587年)八月。

源頼朝は、京の朝廷より、正式に大納言だいなごんの官位を叙任される。


しかし、内裏だいりへと参内する、頼朝の姿は無かった。

お読みいただき、ありがとうございました。


徳川を攻めるという決断は、

頼朝にとって「覚悟」であると同時に、

自らの内側に潜んでいた“鬼”を

はっきりと自覚する瞬間でもありました。


理想のために刃を取ること。

それが本当に正義なのか、

それとも、ただ進みやすい道を選んだだけなのか。


次話では、

病床に伏した頼朝が、

静かに“後”を見据え始めます。


そして――

徳川家康のもとへ向かう、新たな使者が選ばれます。


暗く、重く、避けがたい流れが続きますが、

どうか、引き続きお付き合いいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ