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38-5 鬼を迎える覚悟

朝廷は動かず、

同盟はもはや意味を失い、

時の流れだけが、冷酷に先を急ぐ。


北条早雲が持ち帰ったのは、

徳川家康という男の覚悟と、

そして――戦う以外に残されていない、

ひとつの選択肢であった。


無益な戦を避けるために集ったはずの者たちは、

いま、あえて戦を選ぼうとしている。


その決断の先にあるものを、

まだ誰も、知らない。

早雲「少しばかりは期待をしておったのは、嘘偽りないわしの気持ちじゃぞ、牛一殿。

しかし……朝廷は動かぬか」


牛一「ひとえに某の力不足、面目次第もござらぬ……。

あらゆる手を模索してはおるのですが、今のところその道筋は全く見えてはおませぬ……」


太田牛一は、肩で大きく息をつきながら力なく返答した。


早雲「やはり朝廷も領土を秤にかけるか――誰もかれも領土とは……!」


早雲は吐き捨てるように語気を強めたが、思い直したようにニヤリとして再び口を開く。


早雲「…では、遠江とおとうみ駿河するが、徳川方の領国を全て我らが傘下に従えたとしたら、あの煮え切らぬ朝廷は少しは考え直すであろうか」


牛一「早雲殿……!

家康殿が臣従する気にでもなられたと仰せか!」


牛一が、驚いて聞き返す。


早雲「いやいや、太田殿」


早雲は、首を振った。


早雲「わしは、あの徳川家康という男を、まことに気に入り申したぞ。

上杉景勝殿もたいした御仁ではござったが、太田殿の申す通り、

徳川殿は、稀代まれなる武人であった。


だからこそ簡単にこちらへ臣従するような腑抜けなやからでは無い。


であるからこそ……!

むしろ、徳川を攻めるが良かろう、と、そう思うておるのじゃ」


挿絵(By みてみん)


さすがの頼朝も、早雲のあまりにも突飛な発言の意図を理解できずにいた。


頼朝「…早雲殿。

すまぬが、もう少しそなたの考えを、詳しく聞かせてもらえぬだろうか」


早雲「これは失礼仕った」


早雲は、改めて、頼朝に向き直った。


早雲「頼朝殿。

この先必ずや起きるであろう、甲・相・越、三国間の争いを視野に入れ、

ただ同盟を結ぶという道は、もはや実効性のない意味のないもの、

と、徳川殿はすでに見抜いておられた。


さりとて、頼朝殿に、あっさりと臣従することも、彼の立場上受け入れることはできぬ。


徳川殿は、とっくの昔に、我らとの決戦の覚悟を決めておられた。

決して勝つことが出来ぬいくさであると、百も承知の上で」


頼朝「…であるから、攻め込む、と?

それは、ちと、早計ではあるまいか」


頼朝は、訝しげに尋ねる。


早雲「頼朝殿……ここからは、ある種の『賭け』でござる」


早雲は、真剣な眼差しを頼朝に向ける。


早雲「武人たるもの、時には言葉ではなく、やいばを交えることによってこそ、はじめて互いに分かり合える、ということもござる。

加藤清正殿が我らに臣従する道を選ばれたのは、義経殿と安土の城下にて相まみえたことが大きかった。


今の徳川殿の選択肢には、同盟も臣従もない。


であるならば、稀代の将・徳川家康を、我らが家臣として迎え入れる唯一の道は……」


早雲の声に、力がこもる。


早雲「まず、彼の領国を、ことごとく攻め取り、

その上であらためて、頼朝殿の源氏の御旗みはたのもと、

領土と家臣とを、全て元通り徳川殿にお返しする。


さすれば、徳川の家臣たちは、

主君である徳川殿のその見事な戦う姿を目にすると同時に、

我ら頼朝軍とは、到底戦っても叶わぬこと、

また我らが領土欲しさで戦ったわけでは無いこと、

身をもって思い知る。


三河武士の意地や心意気だけでは、決して戦には勝てぬことを骨身に染みて理解させ、

全てを元通りに戻す。


武人らしく正々堂々と戦い、その後、優れた武人を最大限の敬意をもって丁重に迎える。


これしか、わしはあの徳川殿を、我らが陣営に引き入れる道はない、と、そう愚考いたしまする。

少々手荒で、乱暴なやり方に聞こえるやもしれぬが、小細工は、あの徳川家康という男には一切効きませぬぞ」


頼朝は、しばし腕を組み、深く考え込んだ。


頼朝「……確かに、一理あるやもしれぬ。

だが、大きな賭けでもある。

直ちに決断を下すには、あまりにも重き問いであるな……。


牛一殿、そなたは、いかが思うかな」


牛一「はっ、頼朝様」


太田牛一は、静かに答えた。


牛一「早雲殿のご提案、正直某も面食らいました。


ですが、確かに家康様は、よほどの理と利が無ければ、決して他者と安易に誼を結ぶような御方ではございませぬ。


我が軍団が存在しなかった、本来の歴史の流れにおいて、家康様は最後は秀吉様に臣従いたしました。

しかし、随分と長い時間をかけ、時には戦い、万策尽きた最後の最後に、ようやく臣従されました。


早雲殿の、今のお考えが、最も現実的で、かつ最善の道なのかもしれませぬ。

残念ながら無駄な戦を避けたい頼朝様の本意とは異なると存じますが」


牛一は、言葉を続けた。


牛一「無論、戦は思い通りには参りませぬ。

戦に勝てたとしても、家康様が頑として、臣下の礼をお取りにならないやもしれませぬ。


ですが……今のまま何の策も無く、いずれ必ずや起こるであろう、甲・相・越の、三国間の大乱が実際に起きてしまってからでは、もはや、全てが手遅れとなるやもしれませぬ。


朝廷に惣無事令発布を交渉する我らの力もさらに弱まりましょう……」


頼朝は、なおも、しばらくの間、腕を組んだまま、深く考え込んでいた。


(ここまでして、徳川家康にこの軍団を任せる……それほどの価値が、本当にあるのであろうか……)


(あるいは、我が軍団の中から後継者を出すことの方が、よほど自然な流れなのでは、ないであろうか……)


(……いや……元の時の流れに戻さねばならぬ!)


心の立ち位置が定まらなかったが、ふと、頼朝は出雲阿国の言葉を思い出した。



阿国『頼朝様がかつてのご自身を見つめ、そのお心で信じ、お進みになる道であるからこそ、他の誰よりもきっと正しき道であり、頼朝様にしか進むことのできぬ、唯一の道であるはず……。

この阿国は、それを強く信じております』


挿絵(By みてみん)



(そうじゃな……阿国殿の申される通りよ……!)


迷いに絡め取られていたものが、不思議なほど静まっていく。

己自身に対する問いに、己自身が答えるかのように、頼朝は一同に対し口を開いた。


頼朝「…答え無き、今、目の前にある選択肢、

そして我らの努力をあざ笑うかのごとくに進む時の流れ、

その先に広がる未来……。


であるならば、我らは、ただ、その時々において最善と思われる道を進む。

ただそれだけのことよ。


徳川家康が、果たして我らが家臣となるかどうか、

そして、家臣となったとして、この軍団の後を継ぐにふさわしき器量の持ち主であるかどうか……。

今のわしには、まだ、答えを持ち合わせてはおらぬ。


しかし朝廷に対しても、もはや万策尽きておることも動かぬ事実。


であるならば、言葉は悪いが、三河、遠江、駿河の三国を、

朝廷への『土産』として、加えてやろうではないか」


その頼朝の言葉に、北条早雲は頭を深く下げた。


早雲「頼朝殿! そのご決断とお覚悟、お見事!」


挿絵(By みてみん)


頼朝「いや、早雲殿。

貴殿の具申がなければ、このような大胆なことを考えることすらなかったであろう」


早雲「ありがたき幸せにございます!


…そういえば、頼朝殿。一つ、面白きことを、かの徳川家康が申しておりましたぞ」


頼朝「ほう、それは、是非とも聞いてみたいのう」


早雲「領土への野望は我らには無い、と、先の会見で義経殿が徳川殿に申し上げたところ、こう返してきましたぞ。

『伝説の頼朝軍は、この日ノ本を騒がす、鬼・織田信長を退治するためにだけ現れた、そうでも申されるおつもりか』と」


挿絵(By みてみん)


頼朝は、それを聞き、思わず苦笑していた。


頼朝「…ふっ。義経の一本負けじゃったようじゃのう」


早雲「はっ! まことに」


早雲も、笑った。


早雲「此度もまた、堂々と、『鬼・徳川家康』を、退治しに参ろうではございませんか!

義経殿は、すでに鬼退治の準備を進められておりますぞ」


頼朝「義経とも、すでに話がついておるのじゃな」


頼朝は頷いた。


頼朝「では、早雲殿。


すまぬが、あと一度だけ早雲殿自ら使者として出向いてもらえぬか。

再び、徳川家康に臣従の勧告をお願いしたい。

…十中八九、臣従はせぬであろうがな。


その際は、躊躇ためらわず、正々堂々と宣戦布告をしていただきたい。

少しでも我らの『義』を貫き、この戦に臨みたいものじゃ。


…お願いできるかな」


早雲「ははっ! 頼朝殿のそのお考え、まことに、良きお考えと存じまする!」


早雲は、力強く応えた。


頼朝「よろしくお願いいたす」


頼朝は、大村由己、太田牛一へと、向き直った。


頼朝「大村殿、太田殿は、引き続き朝廷への働きかけをお願いする。

押せるところまで、押してみることとしようぞ。


わしが、正式に参内する際には、これ見よがしに仰々しく、御所の正門の前まで我が軍団の部隊を引き連れて参る。


いや、いっそのこと、わしが参内する際には、御所そのものを我が軍勢で取り囲んでしまうこととしよう。


なに、鎌倉武士とは、もともと、そのような粗暴な者たちなのじゃ。

はっはっは!」


由己・牛一「はっ!」


由己と牛一は、頼朝の、その冗談とも本気ともつかぬ言葉に、ただ、苦笑しながらも、深々と頭を下げるしかなかった。


お読みいただき、ありがとうございました。


この章では、

「徳川を攻める」という決断が、

感情ではなく、理でもなく、

頼朝自身の“覚悟”として下されました。


無益な戦を避けたいと願いながら、

それでもなお、戦うことを選んでしまう――

その矛盾こそが、

頼朝という人物の本質なのかもしれません。


次回、頼朝はさらに深く、

自身の内にある“鬼”と向き合うことになります。


なぜ、戦のほうが楽なのか。

なぜ、迷いが消えたのか。


その答えに、どうか最後までお付き合いください。

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