38-4 武人たちの岐路
徳川家康の本心を聞き出し、密談を終えた義経と北条早雲。
しかし、家康との誼を結ぶ道ははじめから存在せず、
頼朝軍と徳川は、避けられぬ岐路へと向かっていた。
老獪なる早雲が語る「家康を迎える唯一の道」――
義経は、その言葉にますます困惑する。
■徳川家康を迎えるには
早雲は腕を組み、しばし沈黙したのち、ぽつりと口を開いた。
早雲「徳川殿の本心らしきものを、多少なりとも耳にできたのは、大きな成果じゃった。
我らの申し出に対し、いとも簡単に臣従を受け入れるような男であれば、頼朝殿の後継者に推すなど、わしは決してせぬ」
そこまで言って、早雲は深いため息をついた。
早雲「とは申せ、今の段階で徳川殿に“頼朝殿の後継として迎えたい”など、言えるはずもないしのう。
まこと良き武人ではあるが、今の我らとはあまりにも距離が遠い。
……結局は、全て徳川殿の言う通りであったのよ」
義経「そこまで家康殿を評価しながら、攻めるしか無いと……そう申されるか」
義経は思わず本音を漏らした。
早雲「徳川殿の考えに何らかの隙があれば、そこを突く道もあったろう。
だが……あの御仁の言葉には、一片の曇りもなかった。もはや打つ手なしじゃ。
ただし――」
早雲は、不敵な笑みを浮かべた。
早雲「ただし、義経殿。我らは武人じゃ。
言葉ではなく刃を交えてこそ、互いに分かり合えることもあろう?」
義経「……そこで、戦う、と? そう仰せなのですか」
息が詰まるような沈黙ののち、義経は問うた。
早雲「左様。類まれなる器量を持つ徳川殿、何としても頼朝殿の家臣としたい。
説得に応じぬなら、力づくでも手に入れる――それだけの価値がある男よ!」
義経「いやはや……。
早雲殿も、家康殿も……まこと恐ろしきことを平然と申される。
どこまでその言葉を額面通りに受け取って良いものか、拙者には皆目見当つきませぬ」
早雲「がははは! 義経殿、今の言葉、全て額面通りに受け取れば良い」
早雲は豪快に笑った。
早雲「必ずや、北条・武田・上杉が争う日が来る。
そこへ徳川まで加われば、惣無事令どころではなくなる。
その前に徳川を攻め滅ぼし、家康殿を手中に奪い取る。
攻め取った後は、領地も家臣も元通り返せば良い。
掲げる御旗が、徳川の葵から源氏の笹竜胆に替わる――ただそれだけのことよ」
義経「……早雲殿。もはや拙者には、何が正しいのか全く判断がつきませぬ」
義経は正直に吐露した。
義経「徳川を攻めるとなれば、その責はすべて拙者が負いましょう。
早雲殿は兄上や牛一殿と、今後の策を改めてお話しくだされ」
早雲「うむ、承知した」
早雲はゆっくりと頷いた。
早雲「義経殿は戦の準備を進めておかれよ。
ただし、徳川方に悟られぬよう、くれぐれも内密に。
わしは京へ戻り、頼朝殿に一部始終をご報告申し上げる」
義経「早雲殿、お願い申し上げる」
義経は深々と頭を下げた。
(……やれやれ。
早雲殿だけは、決して敵に回したくない……)
■二条城
天正十五年(1587年)七月。
頼朝は二条城にて、大村由己・太田牛一から朝廷の動向を報告として受けていた。
牛一「頼朝様。内裏の修繕は間もなく完成の見込みにございます。
また、多くの公家が当家の援助を受け、屋敷の修繕を終えております」
牛一は続けた。
牛一「ただ、先の使者・近衛前久は、兼見様の言う通り帝からの覚えが良くないようで。
頼朝様の昇進に便乗して、自らの立場を強めようとしていると見られております。
しかし、そのお陰もあり、大納言叙任は間もなくかと」
頼朝「内裏の完成が早いか、大納言叙任が早いか……
いずれかの名分が整い次第、参内いたすとしよう。
できるなら、帝との謁見を願い出たいものじゃ」
頼朝は静かに言い、続けた。
頼朝「惣無事令への道は、まだまだ遠い……」
そこへ大村由己が口を開く。
由己「残念ながら、今は公家衆の信任が十分に得られていない状況にございます……」
その時だった。
廊下から大きな声が響き、誰かの到着を告げた。
頼朝「おお、来られたようじゃな。入っていただこう」
現れたのは――
那加城より駆けつけた北条早雲であった。
早雲「皆様、すでにお揃いでございましたか!」
部屋に入るなり、いつもの調子で声を張る。
早雲「さて! 帝は、ついに惣無事令の発布をお許しくだされたか!」
牛一は、やれやれという顔で早雲に言った。
牛一「……早雲殿、そのようなこと、聞かずともお分かりであろうに」
早雲「がははは! いや、これは失礼した!」
悪びれる様子もなく、早雲は笑った。
家康の覚悟と、早雲の老獪なる提案。
義経にはまだ理解しきれない“武人たちの論理”が、静かに動き始めます。
次回、早雲は頼朝へすべてを語ります――。




