37-3 真を示す剣
挑発とも取れる吉田兼見の、刃のように鋭く、同時にどこまでも“真”を射抜く言葉。
頼朝は惣無事令の困難さを、改めて思い知らされる。
胸に生まれた熱を持て余しながらも、
それでも最善の道を家臣たちと探り続ける――。
■真実の痛み
兼見「おっと、これはこれは……まさかご機嫌を悪くされるとは、まことに失礼いたしました」
兼見は、慌てて扇子を閉じ、頭を下げる。
しかし、その表情にはまったく動揺は無かった。
兼見「いやはや、どうにも、少しばかり戯言が過ぎましたかな。
ご不快になられたのであれば、平にご容赦をいただきたい。
……ですが、頼朝様」
顔を上げた兼見の眼差しは、先ほどとは違う光を宿していた。
兼見「朝廷を本気で動かしたいのであれば……それだけの覚悟が必要な儀である、ということでございます。
日ノ本の民を真に思うのであれば、朝廷こそが妨げとなることもございますぞ。
その時はどうなされる。
頼朝様は、鎌倉の朝廷を見てこられた。昔と今とでは、変わらぬところも多いでしょう。
同時に、今の朝廷であるからこそ、新たに生じておる難しきところもございます」
兼見の言葉は、痛いほどに正しい。
頼朝は息を整えながら、黙って耳を傾けていた。
兼見「例えば……残念ながら、今の朝廷におるすべての公家たちが、『頼朝様が日ノ本で一番お強い』などとは考えてはおりませぬ。
頼朝様はご存じかな?
今、西国にて強大な勢力となった毛利家は、かつて頼朝様が最も信頼していた直臣――大江広元殿の血筋にてございます。
その大江広元殿は、本来、武士ではなく京の貴族であられた。
今の京の公家たちが、政を奪い取った鎌倉幕府や室町幕府の“源氏”より、同じ平安貴族の末裔である毛利家に対し、より強い親近感を抱くのも、また理なのではござりませぬか」
頼朝「……なんと……妙な縁もあったものよ」
頼朝は苦笑いを浮かべた。
頼朝「このわしの行く手を阻むやもしれぬ相手が、よりによって“大江の末裔”とはのう……」
兼見「さて、頼朝様。
本日の話、ご期待に添えるものでございましたかな」
兼見は立ち上がり、頼朝よりも高い位置から、頼朝を見下ろしているかのようであった。
頼朝「吉田様。期待を超えるほどの話を多く聞かせていただいた。
心より感謝申し上げる」
兼見「わたくしをお役立ていただけるのであれば、いつでも馳せ参じましょうぞ。
今後とも、よしなに」
去ろうとした兼見は、ふと思い出したように足を止める。
兼見「おっと、最後に一つだけ。耳寄りな話にございます。
近衛前久が、頼朝様の大納言叙任に奔走しておるとのこと。
中納言よりは結構な位でございましょうが……望まれるものかどうか、わたくしには分かりませぬがな」
またしても、礼とも侮りともつかぬ所作。
兼見は大村由己に導かれ、静かに退出していった。
扉が閉まった瞬間、頼朝は胸の奥に残る熱を、そっと押し込めた。
■朝廷対策
しばしの沈黙を破り、太田牛一がぽつりと呟いた。
牛一「……さて、あれは『兼見卿記』にどう書かれましょうな。
“蜻蛉ノ如ク檜扇ヲ弄ブ侍者”……さぞ、好き放題に記されるのでしょうな」
頼朝は、その牛一の言葉に、唇をわずかに緩めた。
やがて、大村由己が大慌てで戻ってくる。
由己「頼朝様! 先ほどの吉田様の無礼、何卒お許しを!
あのような物言い、まさか頼朝様の前で……!」
頼朝「大村殿。あの吉田兼見という男、好かぬ」
その言葉を聞いた由己は、さらに平伏する。
だが頼朝は、由己の謝罪を手で制した。
頼朝「しかし――その態度や言葉とは裏腹に、実に多くの有益な情報を提供してくれたことよ。
朝廷内の複雑な事情──あれほど率直に語った者は初めてだ。
大きな収穫であった」
由己「はっ……。恐れ入りまする……」
由己は困惑しつつも、胸を撫で下ろした。
由己「いまは近衛前久を味方につけるしか道はなさそうでございます……。
ですが、その近衛前久、西の毛利家にも良い顔を向けておりますれば……。
毛利家が対抗勢力として朝廷に認識されておる限り、野心家の近衛前久は、我らに一方的に特権を与えるようなこともいたしますまい」
頼朝「ふむ……。
しかし、二条晴良と申したな。
その者は、他の俗な公家たちとは異なり、こちらが寄進をすればするほど、かえって我らを警戒する……。
ある意味では、晴良こそ清廉な帝への忠臣かもしれぬな。
……むしろ、その者こそ、味方につけたいものじゃがな……」
頼朝の口調が、近衛を語るときと、晴良を語るときでわずかに違った。
頼朝「いずれにせよ、我らの選択肢は二つ。
毛利を倒し、他国を圧倒するほどの力を得るか……
それとも、先ほどの兼見の戯言のように――
朝廷そのものを滅ぼしてしまうか、じゃ」
頼朝は、先の吉田兼見との会話で心の奥底に生まれた、言いようのない不快感を、いまだに払拭することができずにいた。
突破口が見つからないことへのいら立ちもあった。
己の心情から発せられる言葉は、普段の冷静さを欠いた、捨て鉢な響きを帯びていた。
頼朝は、自らの心を持て余していた。
太田牛一が前に出る。
牛一「まずは、頼朝様。
近衛前久が推し進めている大納言叙任をお受けいただき、
その位をもって堂々と内裏に参内されてはいかがでしょうか」
頼朝は小さく息を吐く。
頼朝「近衛前久には、彼の望むままに屋敷の修繕でも、あるいは必要なだけの寄進でも、何でもすべて与えるが良い。
それを見た多くの卑しき公家どもに、我らに味方することの『利』を見せつけるが良い。
卑しくとも、我らの肩を持つ公家を一人でも多く増やしていくしかあるまい。
そうやって我らに味方する公家というものは、帝への忠心よりも己の野心を優先するような俗物たちばかりなのであろうがな……」
牛一「恐れ入りまする……」
頼朝「牛一殿の申される通り、大納言叙任の際、内裏に参内するとしよう。
また、帝への謁見も模索をお願いしたい。
内裏の造営と御常御殿の完成を、可及的速やかに急がせよ。
完成した暁には、そのご報告、大納言叙任の御礼とご挨拶を口実として、帝に拝謁したい」
牛一「はっ! かしこまりましてございます!」
牛一は、力強く応えた。
頼朝「それから……」
頼朝は、付け加えた。
頼朝「吉田兼見にも、何か豪勢な礼の品を届けておけ。
奴には我らのその魂胆など、すべてお見通しであろうがな。
あえて豪勢な品を届け、奴に対する『我らへの協力』への無言の圧力とせよ。
あの男からの忌憚なき助言は、今後も我らにとって必要となるはずじゃ。
……極力、顔を合わせたくはない相手ではあるがのう」
由己・牛一「頼朝様。委細、承知いたしました」
牛一と由己が深く頭を下げて部屋を出ていく。
戸が閉まると、頼朝はほんの一瞬だけ拳を握りしめた。
悔しさか、焦りか、その形は自分でも分からない。
ただ、胸に残っていた熱が、消えぬまま静かに疼いていた。
評定の間に残ったのは、頼朝と出雲阿国だけになった。
阿国がそっと声をかける。
阿国「頼朝様……よろしければ、茶室にて一服いかがでしょうか」
その声は、荒れた海原に投げられた一滴の静けさのようだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
前に進むためには、敵を知り、そして己を知ること――。
針のような吉田兼見の言葉の中には、
朝廷にどのような内部事情があるのか、
毛利をどう見ているのか、
頼朝軍団がどのような位置付けにあるのか――
どれも耳が痛いが、必要な現実でした。
変わろうとする頼朝に突きつけられる現実。
戻りたくない過去の自分に、戻るしかないのか……。
次回――
頼朝の苦しみを知る阿国は、何を語るのでしょうか。
自らのことを語ることのなかった出雲阿国(卑弥呼)。
その胸のうちに抱えるものを、少しずつ明かし始めます。
この後の展開も、どうぞお付き合いくださいませ。




