37-2 朝廷と頼朝を知るもの、吉田兼見
朝廷事情に通じた公家・吉田兼見が、二条城に招かれる。
惣無事令を発布して日ノ本の戦を止めたい――。
頼朝と大村由己の理想を前に、兼見は朝廷の現実と、公家たちの本音を容赦なく突きつけていく。
そして最後に、あまりにも過激な「一つの案」を、薄笑いとともに口にするのだった。
頼朝「これはこれは、吉田様。
わざわざお運びいただき、まことに光栄に存ずる」
頼朝は深々と頭を下げ、丁重に出迎えた。
兼見「頼朝様には、日頃より、何かとお世話になっておりますれば」
兼見は、独特の、抑揚のない口調で応じた。
兼見「帝もまた、頼朝様のご上洛、そして数々のお力添えに対し、大変お喜びのご様子でございましたぞ」
頼朝「帝にお喜びいただけているとは、まことに光栄の至り」
兼見の態度や言葉遣いからは、真意なのか儀礼的な言葉なのか、予測がつかなかった。
頼朝は無礼にならないように言葉を選び、丁寧に頭を下げる。
頼朝の挨拶に続き、大村由己が本題へと切り込んでいった。
由己「ところで吉田様。
すでにご存知のこととは存じますが、我らには天下を武力で統一しようなどという野心は、毛頭ございませぬ。
武家間の無益な争いが絶えぬ、この日ノ本の世に、真の静謐をもたらしたい、そう切に願うものでございます。
そのために朝廷の尊きお力をお借りし、帝による『惣無事令』のご発布を、お願い申し上げておる次第。
我らが源頼朝の軍は、帝より中納言の官位を賜った、すなわち、朝廷のため、帝のための武力でござりますれば。
我らは、帝が望まれる世の静謐のため、いかに動くべきか。
是非とも吉田様より、ご助言を賜りたく存じまする」
大村由己は率直に、しかし言葉を選びながら問いかけた。
兼見「いやはや……」
吉田兼見は、扇子でぱちり、と自らの膝を打った。
兼見「あの伝説の英雄、源頼朝様ご本人とお会いし、お話ができる日が参ろうとは……夢にも思いませなんだ」
相変わらず言葉に抑揚がなく、目線も揺らがない吉田兼見であった。
兼見「しかし、頼朝様。失礼ながら、お尋ねいたしまする。
頼朝様は、かつての鎌倉の世においてそうであられたように、この戦国の世においても征夷大将軍となられたい、そのようにお考えですかな?」
頼朝「吉田様」
頼朝は、静かに答えた。
頼朝「日ノ本に真の静謐が叶うのであれば、征夷大将軍の位など欲しくはござらぬ。
むしろこの時代においてまで、わしの名など広まらずとも良い。
鎌倉での悪評で、もう十分じゃ。
ただし……。我らが日ノ本から戦を無くすためには相応の役職、何よりも、帝、朝廷から正式なお声が無くしては、多くの犠牲の上に成り立つ、暴力による一時的な抑制にすぎぬ」
兼見「ほう、何ともはや、無欲なことでございますな、頼朝様は」
兼見は、薄い笑みを浮かべた。
兼見「しかし……そのような、一見、無欲に聞こえる言葉こそ、我ら公家というものが警戒する類のお言葉。そのような朝廷のあり様、頼朝様ご自身が誰よりもご存知のはずではございませんか?」
吉田兼見はさらに鋭い視線を頼朝に投げかける。
頼朝「申される通りじゃ」
頼朝は、苦笑した。
頼朝「京の朝廷に、綺麗ごとなど通じぬ。それは、わし自身が、身をもって知っておる。
鎌倉の世においては、朝廷の力添えによって、反逆者として実の弟を亡き者にすることができ申した。
結局のところ、武家ができることは、逆らうことのできぬ圧倒的な武力を持つこと。
ただし、その武力という『毒』を、天下を治めるための『薬』へと変えることができるのは、朝廷という存在だけと存ずる。
……天下静謐が成った後に、武家と朝廷とのいさかいを懸念される公家もおるかも知れぬ。
しかしそれは、日ノ本を一統した武家の中で、必然的に起こる権力闘争と同じく、この世の逃れられぬ必然。
それでも……。
永きにわたり、血で血を洗うような争いの世を続けるよりは、たとえ一時であったとしても、日ノ本の静謐を目指す方がはるかに良かろう。
……いかがかな、吉田様」
兼見「……いやはや。美しき理想の言葉から一転して、まことに手厳しきお話。
頼朝様にも困ったものですな」
兼見は、扇子を弄びながら続けた。
兼見「確かに、我ら公家というものは、帝の、そして朝廷の権威を常に何よりも第一に考えまする。
帝のためであれば、必要に応じて武家と手を組むことでしょう。
しかし一方で、力を持つ武家と安易に手を組むことが、朝廷そのものの権威を失墜させるだけ、そのように判断すれば、躊躇いなく切り捨てる。
朝廷とは、いつの世もそのように右往左往しているものにございます」
武力の圧力には屈しない――朝廷の強い姿勢を代弁しているのか、それとも吉田兼見の何事にも動じない物言いなのか――。
兼見「ご上洛の際、都を揺るがすほどの鉄砲の一斉射撃をされましたな。
あれは、多くの公家たちを恐怖のどん底へと陥れました。
そうなるように、頼朝様が望まれたのだと考えますが、その効果は十分にございましたぞ。
その後の大規模な御所の修繕、莫大な寄進により、今や多くの公家たちは、頼朝様に対し好意的にならざるを得ない。
そのような状況へと大きく傾きつつあることも、確かでございます。
これも頼朝様の狙いでござろう……」
鋭い視線を頼朝に向けていた吉田兼見が、ここでにやりとする。
少なくとも頼朝にはそのように見えた。
兼見「逆に、これに警鐘を鳴らす公家たちも、少なからずおりまする。
例えば、二条晴良なぞは、『これこそが、朝廷を内側から骨抜きにする、頼朝の策略である』と、帝に対し厳しく警告を発しておりますぞ。
先の使者であった近衛前久などは、むしろ、朝廷と頼朝様との繋がりをさらに深めようと、様々に画策をしておりまするが……。
残念ながら、帝ご自身は清廉潔白で純粋に帝をお支えしようとする二条晴良に深い信を置いておられ、野心家である近衛前久のことは、むしろ警戒をしておられる。
帝から深い信のある者は頼朝様を警戒し、逆に帝から警戒されておる者は、頼朝様との結びつきを必死に目指しておる……。
いやはや、まことに、皮肉なことでございますな、頼朝様」
*中央に扇町天皇。左側に近衛前久、右側に二条晴良。
頼朝の考えていることも、朝廷のあり様も、すべて見通している――
勝ち誇ったかのような眼差しに、頼朝の腹の底が熱くなっていった。
頼朝「……いずれにせよ、吉田様。
今の朝廷が、直ちにわれらが望む『惣無事令』を発布してくれる状況にはない、そういうことですな」
兼見「簡単に申し上げてしまえば、頼朝様のご理解が、正しいかと存じまする」
兼見は、先ほどとは異なる薄笑いを浮かべた。
兼見「であるならば……
いっそのこと、御所へ攻め上がり、朝廷も帝も、全て亡き者とされてはいかがであろう。
征夷大将軍などというちっぽけな位にこだわることなく、
『惣無事令』という実態のないものに頼るでもなく、
頼朝様ご自身が帝に成り代わり、この日ノ本の新たなる『神』である、と、
そう名乗られてしまうのが手っ取り早い解決策なのかもしれませぬぞ?
伝説の頼朝様であれば、日ノ本の民も諸手を挙げて、それを納得なさりましょうぞ」
頼朝「……吉田様。それは、このわしを、愚弄されておるのか」
必死に抑えていた腹の中の熱いものが、頼朝の声に滲んだ。
お読みいただきありがとうございました。
朝廷の内情、二条晴良と近衛前久の思惑、
そして「頼朝自身が神となれ」という、あまりにも極端な言葉。
吉田兼見の口から語られるのは、
甘い理想ではなく、朝廷と公家たちの冷徹な論理でした。
怒りを覚えつつも、その言葉が突きつける現実からは逃れられない頼朝。
この評定の続きの中で、彼はなおも耳を傾け、
“惣無事令”と“朝廷”という難題に向き合っていくことになります。
この後の展開も、どうぞお付き合いくださいませ。




