36-4 異なる時の流れの融合
軍事行動により道を切り開き、美濃・尾張・近江・越前・伊勢・摂津を手中に収め、上洛を果たした頼朝。
二条城に居を構えた今、目を向けるべきは日ノ本全体である。
日ノ本の武家と民を守り、未来へとつなぐ――それが上洛の目的であり、この軍団の存在する意義であった。
しかし、揺るぎない決意を胸に進む頼朝の心には、上洛前に朝廷から打たれた楔が今も重くのしかかっていた。
頼朝が存在しなかった戦国の世では、誰が誰を滅ぼし、何を求めて覇を競い、その果てに何が起きたのか――。
それを知ることは、この軍団の未来を定める上で欠かせぬことだった。
そして、その全てを最も正確に語れる者こそ、江戸の世まで覇者の傍らにあり、歴史の証人となった太田牛一であった。
■太田牛一が語る、徳川家康
覇者の孤独と、その苦悩を知る太田牛一。
頼朝の真意を受け止め、静かに語り始めた。
牛一「徳川家康様という御方……。多くの武人を見てまいりましたが、誰よりも器量を備えた稀有な人物と、某は存じまする。
家康様は日ノ本を統治されました。しかし、その道のりは薄氷を踏むがごとく、危機の連続。
それは幸運と力を兼ね備えた者でなければ、到底乗り越えられるものではございませんでした」
頼朝「ほう……」
牛一「家康様は、時に容赦なく力で敵を討たれ、
一方で、利を示すべき時には旧敵であろうと弱小の大名であろうと、無下にはされませんでした。
強きも弱きも、外も内も、誰ひとり増長できぬよう、巧みに“仕組み”を設けられたのです。
城と城の間にあえて小藩を置き、互いが監視し合うようにされた。
力を分散させ、誰も一人で暴れられぬように――。
それが家康様の恐ろしさにござる。
その“仕組み”による統治こそ、秀吉公が個人の力によってしか保たれなかった“惣無事令”との決定的な違いにございます」
頼朝「その家康という男、いかなる人物であった」
牛一「家康様は、貪るように書をあさり、常に学びを求めておられました。
特に『貞観政要』『吾妻鏡』『六韜』『三略』など、
帝王学・兵法・歴史のすべてに精通され、自らの費用で家臣にまで広く配布されたほどです。
また人心掌握にも優れ、己より強き者には細やかな気遣いを、
家臣や同盟者には柔らかな人当たりをもって接せられました。
その底知れぬ懐の深さこそが、同時に“恐ろしさ”でもありました。
幾多の苦難を乗り越え、学びを重ね、人の性を深く知り抜いた――。
だからこそ、この日ノ本をよく治められたのです」
頼朝「人を知り、“仕組み”によって世を治めるか……。
聞けば聞くほど、興味深い男よ、徳川家康とは」
頼朝の前の茶は、すでに冷えきっていた。
遠くで木槌の音が響き、律動を刻んでいる。
頼朝「己の力を冷静に見極め、足らぬところは歴史と書、人から貪欲に学ぶ。
さらに幾度の危うきを越えて、“学ぶ道”を歩まされた、ということか」
牛一「はっ、まさに頼朝様の仰せの通りにございます。
少なくとも、拙者の見た家康様はそのようなお方でございました」
頼朝は深く考え込み、茶室には普請の音だけが響いた。
牛一は、頼朝が再び言葉を紡ぐのを静かに待った。
■頼朝の示す決意
阿国「頼朝様、もう一服いかがですか」
出雲阿国は、思索の流れを絶やさぬよう、そっと新しい茶を差し出した。
湯の音が細く鳴り、白い湯気が天井に消えてゆく。
頼朝「かたじけない」
頼朝は再び顔を上げ、牛一、阿国へと目を向けた。
頼朝「我らが今後いかなる道を歩むにせよ、
過去の人間がいつまでも別の時代を動かし続けることに、ためらいがある。
できることならば――無念にも消えるはずであった多くの命の灯を残し、
その後は“時”を本来の流れへと戻したい……そう思い始めておる」
牛一「……頼朝様のお気持ち、よくわかりまする」
牛一は静かに頷いた。
その眼には、遠くを見据えるような光が宿っていた。
牛一「この軍団の多くは、別の時代から参った者たち。
頼朝様の理想のために尽くしてはおりますが、同じような不安を抱いている者も多いでしょう」
頼朝は牛一の目を真っすぐに見据えた。
その瞳に、かすかな揺らぎが宿っていた。
頼朝「鎌倉の頃のわしも、室町の将軍も、今耳にした徳川家康も――
いずれも“武”によって政を担った。
だが、別の時より来た者が、政まで手を出すべきではないのではないか。
課題は山積みだが、まずは日ノ本の安寧を実現し、惣無事令を発布する。
そしてその後は、この軍団の未来を、この時代を生きる者に委ねたい。
……それでも、これが正しき道なのか。
たとえ我らが消えゆくとしても、それが未来のためになるのか。
答えは、まだ霧の向こうにある」
牛一「……頼朝様」
その言葉には、覇を競う者とは異なる静かな決意があった。
“滅ぼさずに守る”――それを果たすための惣無事令。
しかし、政を再び朝廷に返すことが正しいのか、牛一には答えがなかった。
頼朝「上杉景勝殿も北条氏政殿も、武家の棟梁としては一目置いておる。
とくに景勝殿、その義の心には深く感じ入った。
だが、この日ノ本を安心して任せられるかと問われれば……まだわからぬ。
武田勝頼殿は家臣との軋轢に苦しみ、疑念を抱く点が多い。
西国の雄・毛利輝元に至っては、わずかな間にすでに信を置けぬものを感じておる」
頼朝は大きく息を吐き、阿国の点てた茶を口にした。
湯気が消えたあとに残る香ばしさが、胸の奥に沁みていく。
牛一は考え込み、頼朝の真意に気づいた。
家康に軍団を継がせる――頼朝はそれを模索している。
だが、まだ迷いがあるのだろう。
牛一は慎重に言葉を選んだ。
牛一「正直に申せば、今のこの軍団を誰かに任せるべきか、拙者には判断がつきませぬ。
仮にそれが正しき道でも……次の問いがございます。
“今”の家康様は、まだ大きな危機を経験されておりませぬ。
別の世の家康様ほどの深みや老練さが、今の家康様に備わっておられるかどうか……」
頼朝「おぬしの申すこと、すべて合点がいく」
頼朝は静かに言った。
頼朝「じゃが、己を客観的に見つめ、時勢を正確に読み、
その上で為すべきを冷静に見極める力――
それこそが何より大事ではないか、牛一殿。
その資質を備えた者など、日ノ本広しといえどそうはおらぬ。
おぬしの懸念する“深み”や“老獪さ”など問題ではない。
なぜなら、別の世と今の世では、降りかかる難問が異なるだけ。
……わしは、家康にとんでもない難問を与えるつもりでおるからな」
頼朝は苦笑しながら牛一の目を見た。
その笑みの奥に、静かな覚悟が滲んでいた。
牛一「そこまでお考えであれば、御意のままに」
頼朝「我らは惣無事令を発布するが、歴史に名を残すべきではない。
その後、この時代にふさわしい者を選び、軍団を託す。
その者が帝の政を補佐するか、
関白として朝廷を動かすか、
あるいは幕府を開いて政を治めるか――。
正しき眼差しを持つ者に、任せるのが良かろう」
牛一「おそれいりました、頼朝様!」
頼朝の言葉を聞いた牛一は、驚きと敬意をもって深く頭を下げた。
ふと、出雲阿国の穏やかな視線に気づく。
彼女はすべてを見通すように微笑み、静かに頷いていた。
炉の湯が、ぼうっと一つ泡を立てては消える。
その音だけが、時の流れを告げているかのようだった。
牛一は初めて、頼朝の深き思索と、その内に秘めた苦しみを理解した気がした。
そして、阿国が点てた茶を口にする。
その味は、過去と未来、武と政、すべての時を溶かし合わせたように――静かに、深かった。
お読みいただきありがとうございました。
武と政、“本来”と“今”――そして変わらぬ人の性。
戦国の世において、己が果たすべき“本当の役割”とは何か。
歴史や“本来の時”を知ってなお、答えを持たぬまま、
頼朝は自らと軍団の進むべき道を模索していきます。
次回、頼朝は具体的な行動計画を太田牛一に語ります。
どうぞ、この後の展開もお楽しんでもらえたら嬉しいです。




