35-2 兄弟の絆
酒が進みながら、義経にすべてを語っておかねば――。
頼朝はなぜかそう感じていた。
京へ出発する前の、最後の兄弟水入らずの夜。
頼朝は義経に問う。
「そなたをこの時代に連れてきた、“もう一人”の頼朝――どのような男であった?」
■盃を満たす酒と言葉
弟・義経と、いくつの盃を交わしたであろうか――那加城の夜も更けていた。
酒に呑まれる前に義経に話しておかねばならない、頼朝はなぜか、そのように強く感じていた。
義経の盃を満たし、頼朝は口を開いた。
頼朝「最後に、わしが京へ参るにあたり、話しておきたいことがある」
義経「そんな改まらずとも、兄上、何なりとお話しくだされ」
今度は義経が頼朝の盃に酒を注いだ。
頼朝は義経と交わす盃のひとつひとつを心ゆくまで味わいながら、そこに流れる時間の一瞬一瞬を噛みしめていた。
頼朝「皮肉なものよ……。織田という共通の巨大な脅威があったからこそ、北条、武田、上杉といった一筋縄ではいかぬ者たちを繋ぎ止めておくことができた。だが……」
頼朝の声が低くなる。
頼朝「我らが織田の力を削いだ今、もはや“よしみ”を結ぶ意味は薄れ、いずれ瓦解するであろう。
徳川、あるいは北の佐竹や伊達までもが介入してくるとなれば、東国は再び大乱の時代へと逆戻りしかねぬ。
朝廷の意向を知った今、惣無事令の発布は難しい。
仮に発布できたとしても、東国の争いに直接介入せねば、多くの武家が滅びることになりかねぬ。
少なくとも、我らが重しとなり、無益な戦を少しでも防ぎたいものじゃ。
その際には義経、そなたの力が必要となるであろう」
義経「かしこまってござる、兄上!」
義経は力強く応えた。
義経「兄上が申されること、ごもっとも。拙者も同じ懸念を抱いております。
しかし、関八州を誰よりもよく知る太田道灌殿と共に、最善を尽くす所存!」
頼朝「そうであったな。あの道灌殿が義経の傍らにいてくれるのは、まことに心強い。
思えば、西には老獪なる北条早雲殿、東には文武両道の太田道灌殿。
この希代の二人の名将が我らと共にある。
わしではなく、彼らが軍団を率いてもよいほどの器量を持つ武人たちじゃ」
義経も深く頷いた。
京へと旅立つ前に義経へ話しておきたかったことは、これで全てであった。
頼朝は不思議な安堵とともに、心地よい酒の酔いに身を任せた。
油断はない。だが、酒という“甘い侵入者”には、さすがの英雄も抗えない。
頼朝「……義経よ」
頼朝は、やや呂律が怪しくなりながらも言った。
頼朝「そなたをこの時代に連れてきた“もう一人”の頼朝――どのような男であった?
わしよりも年を重ね、聖人君子であったか?」
義経は少し顔を曇らせた。
頼朝「……すまぬ。楽しい酒を台無しにしてしまったかもしれぬの」
義経「いえ、兄上。今の兄上と、何も変わっておりませぬ――残念ながら」
義経は口の端を上げ、頼朝の期待をあえて否定するように冗談めかして言った。
義経「民を思い、家臣を思い、悩みながら進まれる……この時代に参られた今の兄上と、何ひとつ変わらぬ"前の"兄上でござった。
拙者は、"前の"兄上が現れた時、憎くて斬りかかりました……」
頼朝は義経の心情を理解した。
全てを失い、全ての者に裏切られた。しかも家族からも、そして家族同然に慕っていた藤原氏からも。
その元凶は、自分であったのだ。
頼朝「当然のことじゃ……」
頼朝は、それ以上言葉を選べなかった。
義経「しかし、"前の"兄上は拙者の刃を避けることなく、何度もその身で受けられた。
今から思えば、あの時の兄上は、終始哀しき顔をされておられた……。
この時代に参り、"前の"兄上が今の家臣を一人一人説得しながら軍団をつくられた。
皆、口車や兄上の伝説だけで従ったわけではござらぬ。
拙者を含め、"前の"兄上の志に心底惚れ抜き、この時代で再び命を燃やそうと決意した者たち。
“聖人君子”どころではござらぬぞ、はっはっは!」
話し終えた義経は、もとの愉快そうな表情を取り戻し、改めて頼朝の盃を満たした。
頼朝はその笑顔を見て、ほっと息をついた。
頼朝「さようか! "前の"わしは聖人君子以上であったか! それは良い!」
頼朝は上機嫌に“侵入者たち”――酒に呑まれるに任せた。
頼朝「では、聖人君子の兄と、軍神の弟。
我ら兄弟で太平の世を共に築こうぞ!
年を取り、多くの過ちも犯してきたが……。
この日ノ本のため、やり直しじゃ! いや、日ノ本などではない――我ら家族と家臣、領民第一!
その行きつく先が、真の“日ノ本”よ!
義経よ、我らならばきっとできる! 我らこそ天下無敵の双璧じゃ!」
頼朝はそう言うと、盃の酒を一気に飲み干した。
義経はすぐさま立ち上がり、空になった盃を、またなみなみと満たした。
義経「兄上、今宵は酔い潰れるまで参りましょうぞ!」
義経もまた、満面の笑みを浮かべた。
義経「我ら兄弟の真の力を、この戦国の世に見せつけてやりましょうぞ!」
義経もまた、自らの盃を一気に呷り、その酒を体の中へと受け入れた。
兄弟、水入らず。
かつての鎌倉時代には決してあり得なかった、穏やかで温かな時間が流れていた。
こうして、さらに盃は重ねられ、那加城の夜は更けていった。
■京へ向けて
桜「出発いたします!」
源桜の凛とした号令が響き渡る。
京の二条城へ向かう頼朝一行が、ついに長年拠点としてきた那加城を後にする日が来た。
かつて多くの家臣たちで賑わい、頼朝軍団の中枢を担ってきた那加城も、これからは義経と、娘の里、養女の宝――彼女たちが率いる部隊を残した、東国防衛の要となる。
桜が頼朝のもとに馬を寄せてくる。
桜「いよいよですね、父上!」
頼朝「桜、ここからよ。“戦いは戦のみならず”じゃ!」
桜「はい、そのお言葉、耳にたこができております!」
頼朝は笑いながら、静かな岐阜の景色を目に収め、ゆっくりと馬を走らせた。
お読みいただきありがとうございました!
いよいよ上洛の歩みを進める頼朝。
次回、安土の早雲のもとに立ち寄り、初めて安土城の天守に上がります。
そこで頼朝は、ここまでの勝利が実は“薄氷の上の勝利”であったことを思い知ることとなります。
この後の展開も、どうぞお楽しみに!




