31-2 武門の意地
越前の拠点・金ヶ崎城を包囲した義経軍。
城を守るは、織田信長の三男・信孝。
敗色濃厚の中でも「信長の子」としての意地を示す若き将に、義経はあえて情けをかけ、戦いの終わりを見据える。
里はその姿に疑問を抱きつつも、夜襲を読み切った義経と、自らの長槍が活きた戦を経て、成長の予感を芽吹かせる。
■金ヶ崎城麓・初日
吹き荒ぶ日本海の寒風の中、義経軍は金ヶ崎城・外郭の土塁を取り巻いた。
城兵は四千。指揮を執る織田信孝は、父譲りの長槍を手に馬前へ進み出ると声を張った。
信孝「吾こそは織田三郎信孝! 末席と侮るなかれ――父信長公の名に懸け、この越前最後の牙城、容易くは明け渡さぬ!」
若き将の悲鳴にも似た鬨の声に触れ、包囲線の兵の間に一瞬どよめきが走る。
義経は隣の阿国に問いかけた。
義経「……あの気迫、降伏を促しても耳には届くまいな」
阿国は静かに首を振る。
阿国「御年わずか二十六。“信長の子”という冠が、あの若武者の鎖となっているのでしょう……」
義経は深く頷き、開城勧告をあえて控えた。
その様子を見ていた里が、不思議そうに問いかける。
里「叔父上、油断をしているつもりはございません……。しかし、これほどの戦力差、しかも援軍の望みも無い状況で“信長の名”を声高に叫ぶことに、いったい何の意味があるのでしょうか……?」
義経はふっと笑みを浮かべ、里を見た。
義経「意味など無い、と言えば無い。だがな、里。もしそなたが城主となり、絶望的な戦いに追い込まれたとしたら……その時、父の名を叫ばぬか?」
里は少し考え、まっすぐに答える。
里「……名乗ります。ですが叔父上、父上は征夷大将軍であられました! あの信長も一時は大きな力を持ちましたが、父上と比べるほどのものではございません!」
義経は声をあげて笑うことなく、柔らかな眼差しで里を見やり、頷いた。
その態度は、姪の幼さと同時に、確かな成長を見守る兄のようでもあった。
義経「違いない。そなたの父と信長とでは、比ぶべくもない……」
阿国も微笑み、里は自らの言葉に少し頬を紅潮させて口を閉じた。
義経はすぐに目前の戦局に意識を切り替えた。
義経「我らが鉄砲で蹂躙すれば、織田残党の怨嗟を呼ぶ。……三日だけ包囲する。心が折れねば、その時こそ武門の情けを尽くしてみせよう」
■二日目・雪中の小競り合い
夜半の吹雪に紛れ、信孝は二百騎を率い夜襲を敢行した。
鉄砲も遠射の手立ても尽きた織田軍に残された活路は、敵の懐に斬り込むしかなかったのである。
だが義経はそれを予期していた。
雪国で鉄砲が利を失うことを憂え、あらかじめ長槍を手配していた里に、義経はその判断を評価しつつも責任を負わせる意味で、槍隊の布陣を命じていたのだ。
長槍隊が壕の前で密集し、迫る騎馬を迎え撃つ。
里「槍隊、崩れることなく耐えてください! 今が踏ん張りどころにございます!」
長槍の壁に阻まれた敵兵を、梓の狙撃小隊が容赦なく閃火で撃ち抜く。
読み通りの展開に、里は思わず声を上げる。
里「叔父上の読み通りでございました……!」
やがて信孝は失敗を悟り、わずかに残る近習とともに城へ退いた。
その背を見送りながら、里は唇を噛みしめる。
里「無謀にも戦を挑む……それも、織田家の誇りなのでしょうか……」
義経はそっと里の肩に手を置いた。
義経「だからこそ、無駄な流血は抑えねばならぬ。よく持ち堪えたな、里。此度は双方これ以上の被害なく、決着がつくであろう」
里は、叔父が夜襲をすでに読んでいたこと、そして自分が率いた長槍が役に立ったことを胸の奥で反芻し、かすかに目を潤ませた。
■三日目・開城
三日目の朝、信孝はもはや戦う力を失っていた。火薬は湿り、馬も矢も尽き、矢倉からは白旗が揺れた。
城門が軋みを上げて開き、浅葱の陣羽織を纏った信孝が鎧を脱ぎ、両膝をつく。
信孝「我が不明を恥じる……兵の助命と、一族の遺命執行の場をお与え願いたい」
義経は自ら馬を降り、若き将の両肩に手を置いた。
義経「よくぞ武門の礼を尽くされた。兵を温存し、父君の名を辱めぬための三日の抗い――見事であった」
この一句を境に、金ヶ崎城の将兵は全員が捕虜ではなく「新編成第三従属衆」として遇されることになる。
里は胸を撫で下ろしながら、雪に埋もれた長槍を拾い上げた。
里「三日で済んで、良かった……。ですが叔父上、どうして敵が降伏するとお分かりになったのですか?」
義経は優しく微笑んだ。
義経「“武門の意地”じゃよ、里。信孝殿には武器も兵も無く、ただその意地のみが残されていた。夜襲でそれを示し切ったのだ。我らも、そして城兵も、その覚悟を目に焼き付けた。……それ以上戦う理由は、もう無い」
里は眉をひそめつつも、その言葉の奥にある重みを感じ取り、やがて小さく頷いた。
里「叔父上のお言葉……いつか、私も理解できる日が参りましょうか」
義経「慌てるでない、里。そなたはもう、確かに歩みを進めておる」
義経の声音には、姪への信頼と将としての誇りがこもっていた。
お読みいただきありがとうございました。
「勝てぬ戦に挑む意味」を問う里と、「武門の意地」を尊重する義経。
勝敗だけでは語れぬ戦国の理――。
次回は、義経のもとに現れる上杉家の直江兼続。
上杉の“義”と、乱世の現実が交差する場面をどうぞお楽しみに。




