31-1 越前攻略
伊勢を平定した頼朝軍――時を少し巻き戻し、越前へ雪中進軍する義経と源里の物語へ。
心に深い傷を抱えた里は、寒風の中で兵のための“備え”を選び、越前平定の嚆矢を放つ。
里は義経に告げる、「――もう、我が隊の誰も失いたくはございません」と。
■冬の山越
「全軍! 後瀬山城へ向け、出陣する!」
一面の銀世界と化した琵琶湖の湖畔。そこに布陣した軍勢に、総大将・源義経の張りのある声が響き渡った。
天正十四年(1586年)一月初頭。
頼朝軍の主力が伊勢平定の総仕上げに向かうその頃、義経率いる第三狙撃隊と、武田梓率いる第六狙撃隊は、北近江・長浜城を発ち、雪深き越前国へと進軍を開始した。
越前平定軍は、琵琶湖北岸・塩津から賤ヶ岳を抜け、敦賀へ至る冬の北国街道を踏破する強行軍を選んだのである。
凍えた火縄を胸で温める兵、雪崩で寸断される糧秣路、足軽の足袋を絞る源里。里が震える兵の手を取ってさすり、火皿に米糠を詰めて湿りを吸わせる姿も、義経は遠目に見ていた。
義経「越前の織田軍を掃討するよりも、この雪深き山々を越えることの方が、わが部隊には難儀やもしれぬな」
めったに表情を崩さぬ出雲阿国でさえ、北陸の冬の厳しさに口を結んでいる。
やがて、清水山城の戦から何かを決意したのか、目の色を変えた源里が駆け寄ってきた。
里「義経様。雪中行軍に備え、予備の火縄を増やし、火皿に米糠を詰め、銃身は油布で保護――兵たちは最善を尽くしております。
ただ、兵站の者の懸念では、この先の峠で雪と凍結が増せば、鉄砲が本来の力を発揮できなくなる場合もある、と」
里は真っ直ぐに叔父を見上げる。
里「荷駄への負担は承知の上ですが、万一に備え、わたくしの判断で長槍を通常より多く積ませました。事後のご報告、失礼いたします」
長浜で出撃準備に当たる兵のため、自ら薪を集めて配って回った里の姿を、義経は見ている。兵の苦労を自分の目で確かめ、声を聞き、最悪を想定して手を打ったのだ。
義経「よく備えた。でかしたぞ、里!」
里の中の確かな変化を感じ取った義経は、その言葉を素直に喜んだ。
義経「我らが強敵・織田に勝ってきた要因は大量の鉄砲にある。だが接近を許し痛手を受けた戦も幾度もあった。ましてこの悪天候。
その機転は多くの命を救う。父上もさぞ喜ばれよう」
里「……ありがとうございます。――もう、我が隊の誰も失いたくはございません」
(清水山で散った兵の顔が離れないのであろう。だからこそ、兵とともに語り、学び、備えを怠れない――)
義経は頷く。規律上は独断での装備追加だが、今回は目をつぶった。隣の阿国は、凍てつく頬に薄く笑みを浮かべ、そっと義経と目を合わせた。
■後瀬山城、金ヶ崎城攻略
天正十四年(一五八六年)一月末。
先鋒はついに雪山を踏破し敦賀へ到達したが、後衛はなお賤ヶ岳を越えず、全軍の集結には時を要した。短い休息ののち、二月初頭、越前の入口・若狭 後瀬山城へ攻めかかる。
越前の織田軍は、先の清水山城の敗戦で兵を失い、厳冬で募兵もままならず、近江を頼朝軍に抑えられて本国とも分断。北東からは上杉軍が攻め寄せる――四重苦の中にあった。
それでも金ヶ崎城から駆け付けた生駒隊を含む約五千が必死に防衛に就く。
対する頼朝軍は、清水山城で義経隊が二万余から一万足らずへと減った一方、梓隊はほぼ無傷で二万を維持。
結果、越前攻略軍は三万超の大軍勢となっていた。
梓「敵の鉄砲は少ない。敵の攻撃はこちらまでは届きません。
前へ押し出しながら、途切れず撃ってください!」
乾いた轟音が冬空を裂き、火煙が風に流れる。竹束の陰に伏した織田兵が弾き飛ばされ、雪上に赤が滲む。撃って出れば弾雨、籠もれば圧。
生駒隊は一日と持たずに金ヶ崎へ退いた。城兵は打って出る愚を悟り、籠城を選ぶ。
梓はただちに降伏を勧告した。
梓「これ以上の戦いは無益です。速やかに降伏されよ。降伏に処罰は無し――我らは必ずみなさまを守ります!」
頼朝軍は、降る者を厚遇し、降らぬ者は潔く放つ慣例を守ってきた。その評判は既に城中にも届いている。
後瀬山城は直ちに開城された。
義経・梓は、降伏兵をそのまま後瀬山の守りに残し、間髪を容れず金ヶ崎城(城主・織田信孝)へ兵を進めた。
冬山を踏破し、大軍で越前へ雪崩れ込む頼朝軍。
圧倒的不利でも挑んでくる敵、失われた顔が離れない源里――戦の現実と向き合う覚悟が試されます。
次章、若武者・信孝が守る金ヶ崎で、三日の攻防へ。どうぞお楽しみに。