祈り
魔導師たちは勇者の元を訪れていた。
「二人揃って、珍しいですね」
「まあね。少し君に用事があって。時間はかからないから、ちょっとついて来れるかい?」
「わかりました、すぐに」
勇者は先生に伝え、魔導師たちの後に着いて行くことにした。
その道中、
「うん、せっかくだし、まあ君が元の世界に戻る前にと思ってね。というか、君にとっての元の世界って、どこになるのだと思う?」
「世界を渡り歩いているのだから、難しいよね? 最初の世界? 最後の世界? それとも、大切な人のいる世界?」
時の魔導師の問いかけに空間の魔導師が続けた。
「元の世界は…確かにそうですね。ここに来る前に居た世界も、元々は別の世界から飛んで訪れたわけなので…その前、あるいはさらに前の世界となると…やっぱりほとんど覚えていませんから」
「それは君のお姉さんの仕業だとバラしておこうか。君の記憶のそのほとんどがそうだと言っておこう。何たって君のお姉さんがそれらを食べて力に変えていたのだからね。君の今までの出会いや別れの、いわゆる異世界の人々との思い出なんかもそうだね。いやぁそれにしても、暴飲暴食とはこのことだよ。最近の妹の食べ歩きも似たようなものか」
「私は甘いものだけだし〜、食べ歩きといっても、勇者としか行ってないよ〜。ね?」
「まあ、はい。 でも…姉さんなりの理由があったと思いますけど…多分」
「彼女の理由? あ〜、うん、まあ、でも、そう言っても悪魔だからね。それを忘れちゃいけないよ? まあ確かに、単純に君の心を守るため、と言うのもあったのだろうけど。それにしては過保護にも思えるね。だってあれだよ? 君を思う人たちの記憶なんかも全部、容赦無く食べているんだからね。だから君は覚えていないだろう? 彼らや彼女たちのことを。君が誰と出会って、どんなふうに過ごして、その人たちを、仲間たちをどう思っていたのかとか」
「…確かに覚えていませんね」
「その中には君を心から想っていた者なんかもいたのかもしれないし、まあ実際にいたと思うけど…それにもしかしたら、君自身も、そう想った相手がいたのかもしれないんだぞ? …ま、それを今ことさらに詮索するような野暮な真似はしないけど。要はね、君のお姉さんはただ君を独占したかったんだよ。それだけだと思うね」
「…でも、ずっと守ってくれてもいました」
「ふむ、まあそれは、その通りだろう。だから私もこれ以上は言わないし、追求する気もないんだけどね。一応頭に入れておいた方がいいと思ったのさ。さて、だいぶ脱線してしまったけど、話はこれからが本題だよ。君を連れてこれから向かうのは、君の故郷だ。もちろんここじゃないよ? 君にとって、記憶にある生まれ故郷のことだから」
「…それは…」
「一度だけ戻ろう。けじめ、と言うわけでもないんだけどね。君の心に、一つの決着をつけた方がいいんじゃないかと、思った次第さ」
「辛かったら私の胸で泣いていいよ〜。辛くなくてもいいよ?」
そう言う魔導師たちの表情は優しかった。
「…わかりました。お願いします」
「うん、ただ一時訪れるだけだから、そんなに気を張る必要はないよ」
勇者は魔導師たちと共に、かつての故郷。自分が本当に生まれた世界へと飛んだ。
孤児院の跡地
燃え朽ちた孤児院の跡には何も残ってはいない。
その跡地はただの平原となって、ところどころ緑に変わっていた。
どこに孤児院が建っていたのか、今はもう、あたりを見回してもわからない。
ただ、そこにある一つの石が、それを知る者にとって弔われた人物が下にいることを示していた。
「私たちが訪れた時には、君の先生はすでに事切れていた。野晒しにするのも忍びないから、簡単にだけど、埋葬したんだよ。ここにあるのは、特別でもなんでもない、ただの石。近くにあった物をそのまま借りただけの、ね」
「そうだったんですね。 …記憶がなかったから、あの頃この地を訪れることは無くて…でも、仮に訪れていても、気づかなかったと思います…先生と、自分が過ごした孤児院に…」
勇者は石に手を置く。ざらざらとして、少し冷たいただの石だった。
この下に、先生が埋まっている。
それを知らされなければ本当に、ただのありふれた石…
…下にいる先生は、もう朽ち果てた姿なのだろう。
勇者は目を閉じた。
「聞いてもいいですか?」
「何でも」
「その時、師匠の力で…事切れた先生の時を戻していたら先生は助かったんでしょうか?」
「無理だね。仮に肉体は復元できても、その魂までは戻らない。私が見つけた時には、もうすでに体から魂は無くなっていたよ。ただ、その時より綺麗な遺体には、なっただろうね」
「そうですか。 …どんなに力をつけても…それでも、どうにもならないことがあるんですね」
「そうだね。理を超えて、何か手段を見つけたとしても、今、ここにある変わらない現実は、確かな事実だからね。それを真実と呼ぶのかどうかは…各々に任せるよ」
「…大地と一体化した生命は戻らない。それに先生の魂は…もうここに…この星にはいないから」
気づくと隣に姉さんが立っていた。
「姉さん」
「…私だって、何とかしたいと思っていたわ。私にとって、家族は弟と先生だけだったから。正直なところ、他には何も、いらないもの。私は。 …だから今の私は、あなたがいればそれでいいの。それだけでいいの」
手を勇者に重ね、弔う。
「…私があなたの記憶を食べていたこと…怒ってる?」
「…怒ってはいないよ。姉さんのその力で、助けられたことも多いから」
「…あなたが他人に抱く感情を食べてたのは、まあただの嫉妬だけど」
「それは…少しどうかと思う」
「…そうね、あなたの中にいる時、今後は控えめにするようにできるだけ気をつけるわ」
「やめるとは言わないんだね」
「まあね、だって私にとってはあなたが全てだもの。それはずっと、ずっと変わらない。これまでも、これからも、ね」
「独占欲が強すぎると言うのも考えものだねぇ。悪魔に道理を説いても仕方ないかもしれないけれど」
「のぞきが趣味の魔導師たちに常識を語られたくないわね」
「おっと、飛び火する前に黙るとしようかな」
「まあ、それでも…この場所に連れてきてくれたことに関してはお礼を言っておくけど…一つの節目として。こういった機会は、なかったものね」
「…そうだね」
「…その件に関しては、ごめんなさい。今更だけど。あの時は加減も何もできなくて、私と先生に関する記憶を丸ごと全部食べちゃったから…本当に、今更なんだけどね」
「いや、それはもういいよ。 …あの時、姉さんがそうしてくれなかったら、その後、どうなっていたのかわからないし…今、ここにこうして二人でいられるから…それでいいよ」
「…ありがと」
二人で手を合わせ静かに祈った。
「それじゃあ戻るとしようか。一体何しに来たんだと言う感じだけど、二人にとってはそうじゃないだろう?」
「はい、ありがとうございました」
「私からも改めて、お礼は言っておくわ…ありがとう」
「うんうん。姉弟揃って素直でよろしい」
新しくできたもう一つの故郷へと戻っていく…
「…やっぱりここに来ると姉さんは戻るんですね」
「本来の自分がいるからだろう。少し存在が過干渉気味になっているのかも。と言っても、今はそのもう一人の自分も君の中に入っちゃってる訳だけど」
「…どういう意味ですか?」
「あ〜、うん、これどうなんだろう。私の口から言ってもいいのかなぁ…これを知ったあの悪魔がどう出るかちょっと読めないけど…まあ、いいか。最近私たちの協力のもと、君がこらしめたあの悪魔、元を辿れば君のお姉さんと同じと言うか、それよりは君たちの母親と呼ぶべきか。さっき訪れた君の故郷であの悪魔は、神の創った人間を参考に君を、そして自らを転生させることでもう一つの新しい生命を誕生させたんだよ。それで生まれたのが双子の姉弟、君とお姉さんだ」
「あの悪魔が僕たちの母親…」
「まあ生みの親ってやつだね」
「でも、こっちではそうしなかったんですね」
「君を見つけたからだろう。興味の対象がうつったとでも言えるかな。まあ、悪魔なんて気まぐれなものだよ。しかし、君は本当に悪魔に好かれるよねぇ? 目をつけられやすいとも言えるかな。モテるって言い変えてもいいけど…君としてはどうなんだい?」
「どう、と言われても…」
「はは、まあそうだろうね。それに悪魔ばかりという訳でもない。神たちにも随分と気に入られているよねぇ。 …正直に言えば、私にとってはどちらも同じなんだけど。面倒という点ではね。 …だって神なんて覗き見ようものなら、どんな神罰を受けるかわかったもんじゃないからねぇ。 …だから私はあんまり神とは関わりたくないんだよ、個人的には」
「そうだよね〜、何考えてるかわからないしさ〜」
「師匠たちにも苦手なものがあるんですね」
「そりゃあるさ。私たちだって見た目通りの乙女なんだぞ?」
「そうだそうだ〜」
「…乙女、ではないですよね」
「おいおい、言うじゃないか。まだ私たちのことを理解していないと見た。よぉしいいだろう、これからちょっと私たちと永遠の時をすごそうじゃないか。何者にも邪魔されることのない場所で永遠の時を…そこでじっくりと教えてあげるから。お互いに納得するまで、じっくりと時間をかけて、ね」
師匠たちの目は少し本気だった。
「すみませんでした。確かに師匠たちは見た目は若いですよ。 …見た目は」
「何か納得いかないなぁ、まあ許してあげよう。さて、それじゃあ私たちは弟子たちの元へ戻るとするよ」
「その…ありがとうございました」
「なになに、弟子のメンタルケアも師匠の勤めなのさ。たまにはね、たまには」
「ばいば〜い。またいつでも誘ってね〜」
ひらひらとした調子で魔導師たちは帰っていった。
勇者は今の孤児院へと帰っていく。
少しだけ胸のつかえがとれたような気がしていた。




