悪魔の孤児院
奴隷…
今現在、各地で国同士といったような大きな争い事は起こってはいない。
ただ…それでも小さな争いごとや諍いは各地に存在していた。
そういった中で、身寄りをなくした子供たちはどうなるかと言うと…
ある邪な目的を持った大人たちに攫われていたりもするのだった。
そしてその子供たちは商品として扱われる。
ある裕福な者は己の欲望を満たすために買う。
またある者は安く使える労働力として買う。
中には将来の投資品として、買ってから売る者もいた。
理由はそれぞれだが、そこに奴隷個人の意志は求めない。
奴隷の中には悪魔の子たちが数多くいた。
お腹を空かせた子供たちは、最低限の食べ物を与えられるかわりに全てを奪われるのだった。
そこには自由も意思も選択も無い。
ただ、大人の嗜好のためだけに利用されていくのだった…
勇者は、今でも定期的に情報を集めていた。
かつては悪魔の姉妹を見つけるための手段として奴隷商やそれに詳しい者たちと繋がった。
…資金を提供することが、その一助になっていることを理解しつつも、
当時はまず目的の悪魔の姉妹を見つけることを優先させたのだった。
そこに良心の呵責が全く無かったわけではない。
そしてある時、そういった奴隷商の中でも中心的な存在を知った。
大陸はおろか、各地を取り仕切るほど大きな存在だった。
その取引は主に悪魔の子供たちだった。
…何も彼だけがその全ての原因では無いだろう。
そもそも彼一人が奴隷制度の頭というわけでは無いし、その心臓でもないことだろう。
しかし、だからと言ってそれを潰すことに意味が無いとも思えない。
少なくとも今、商品として利用されようとしているその大勢の子供たちは解放できる…
奴隷という制度が、彼女らが今を生きていくための唯一の理由ではないし、そうなってはならないのだから。
勇者はその奴隷商を潰すことに決めた。
準備を進めるに先立って先生には話をしておいた。
「子供たちを迎えようと思っています。 …身寄りのない子供たちを。どのくらいの数か今はまだわかりませんが、そう遠くないうちに。この場所にはさらに大きな孤児院を新しく建てる予定です。ギルドと町の関係者には、もう話は通していますから。直に関係者も訪れます」
「あの姉妹のように、身寄りを無くした子供たちですね? ええ、もちろん賛成です。それにここも孤児院ですからね、構いませんよ。でも人の手は足りるでしょうか?」
「まだ依頼段階ですが、できる限り、信頼できる人たちを雇おうと思っています。心当たりはないわけでは無いですが、慣れないうちは、先生の手を借りることもあると思います」
「ええ、もちろん喜んで協力しますよ」
「ありがとうございます」
勇者は奴隷商の情報の詳細を持って町にいる魔導師の元を訪れていた。
「おや〜、私に会いにきてくれたのかい? お姉ちゃんの方ではなく? それは嬉しいねぇ」
時の魔導師ではなく、その妹の、空間の魔導師の方へ頼み事があったのだった。
「そうです。実は頼み事があって」
「ふむふむ、その様子だと、真面目な話のようだね? 聞こうじゃないか」
勇者は奴隷商のこと、これから行おうとしている計画を話した。
その奴隷商の場所や位置は内部情報によってすでに把握している。
その地下にいる悪魔の子供たちの数も、おおよそは把握していた。
「なるほどね。まずその場所まで、私の魔術で転送して欲しいということかな?」
「はい、それからそこにいる子供たちも、こっちの孤児院に転送してもらいたくて。結構数が多いので」
「うんうん、それなら君と一緒に私も行けばいいわけだね。まあ子供たちの転送ぐらい、私には造作もないことだよ。でも…どうしてだい?」
「どうして、というと?」
「奴隷は他にもいるし、それはこれからだってそうだろう。その豪商が大勢を隠しているとは言っても、その商人を潰したからといって、全体的には一体どれほどの効果があるのかな?」
「わかってます。でも、この情報を知ったからには、放っておきたくないだけです。情報提供に協力してくれた人たちのためにも」
「捨て猫を拾うのと同じだね。それを繰り返していたら、先に終わりが来るのは君自身だと思うよ?」
「そうですね。でも、幸いと蓄えはありますから。少なくとも、数百人の子供が自分の意思で歩いていけるまで、それまでを養うだけはあります。もちろん全ての奴隷たちを、なんて気はありません。今、自分にできることをしたいだけですから。そしてそのために、使えるものは何でも使おうと思ったので」
「ふふ、それは私のことかな? …なかなか言うね。いいだろう。手を貸そうじゃないか。まあ元々君の頼みだから、断る気なんてなかったんだけどね。愛弟子に頼られるのはいい気分だからさ」
「ありがとうございます」
「なになに、気にしないでいいよ。これも君が頑張ったご褒美の一つかな。ああでも、せっかくだから協力した暁には私にも何か君からご褒美が欲しいなぁ。 そのほうがもっと私のやる気も出るし」
「ご褒美って、何か欲しいものでもあるんですか?」
「欲しいものなんかいくらでもあるさ。ただ、そうだねぇ。 …う〜ん、そうだ! 終わったらおすすめの料理屋を紹介してもらおうかな。甘〜いやつね。甘いやつ。この町でもいいし、別のどこかでもいいよ。君がこれは、というものを見つけたら」
「甘い食べ物ですか…そんなに詳しくないですけど、わかりました。後で調べておきます」
「よ〜しそれじゃあ、パパッとやっちゃおうかな。もうすぐに行く? 私はいつでもいいけど」
「はい、それならすぐに。一度孤児院に戻って先生たちにも迎える準備をしてもらいましょう」
「よしきた、それならまずは一緒に孤児院だね」
魔導師がそれぞれの周りにリングを生み出すと、勇者と魔導師はその場から消えた。
豪商の奴隷商人の名はその大陸では知れ渡っていた。
そこにいい噂はひとつもない。
何かよからぬことをしているのはわかりきっていたことだったのだが、
いかんせん狡賢く、狡猾な手口によってうまく隠しおおせていた。半ば強引な脅しだったのだが…
周囲が強く出れないというのもあった。
残虐で妬み深く、裏切り者への制裁は容赦ない。陰口すら許さなかった。
耳に入ろうものなら一体どれほどの拷問を受ける羽目になることか…
財による権力、恐怖によって周辺各地の貴族はもとより、時には王族でさえ口を噤んでいた。
その館は巨大で、衛兵もたくさん雇われていた。
そこにある隠された広い地下に、悪魔の子供たちがたくさん幽閉されていたのだった。
子供たちには最低限の食事のみが与えられていた。
商品として、あまり価値を落とすわけにはいかない為に。
子供たちは身を寄せてただ時が経つの待っていた。
商品として名前も知らない者に買われる時を待っていた。
そしてその中には、特別な仕事が与えられる者もいた。
容姿の優れた、豪商のお気に入りとなった商品に与えられる仕事は…
碌でもない、そして決して報酬が支払われることのない仕事。
その日もその中の一人が豪商の寝室に呼ばれていた…
その夜は月が満ちて明るかった。
勇者と魔導師は高い崖の上から城を観察している。
「お目当てはあそこか…それで、どうすの? 館の中に飛ぶ?」
「上空に飛ばしてください。後は自分で中に入って地下まで走りますから」
「それなら直接地下に飛んだほうが良くない?」
「師匠はそれでいいです。それから子供たちを先に孤児院に飛ばしてください。先生と雇った人たちが待っているので」
「…ふぅん。まあ、君がそれでいいなら、そうしようか」
「お願いします」
魔導師の放つリングが勇者を包むと、勇者はその場から消え、続けて自身にリングを放つ。
館の上空。
勇者は落下しながら一つの部屋に狙いを定める。
あそこが豪商の寝室…
月の出た明るい夜空に、稲妻が落ちた。
ベットに向かおうとしていた豪商は驚いて窓の外を見るも、
外を見ても雨など全く降っていない。降る様子もない。
雲ひとつない夜の空には大きな丸い月が見えるだけだった。
「何の音だったんだ? おい、聞こえたか?」
「…」
ベットに目を閉じて横になるまだあどけなさを残した少女。
少女は目を開けない。起きたところで、これからのことが何一つ変わるわけではなかったのだから。
「おい、そろそろいい加減に起きろ。狸寝入りはやめろ。 …お前の仕事始めだぞ」
豪商が気を取り直してベットに入り、乱暴に少女を起こす。
「…」
「…全く。商品価値を下げるわけにはいかんが、これぐらいのことはな。 …ただの味見だしな」
頬を掴み、無理やり向き直させる。それでも頑なに少女は目を閉じている。
「別に眠ったままでも構わんのだぞ?」
「…っ」
少女は目を開けた。
視線の先、窓の前に、誰かが立っていた。
月の明かりに照らされたその姿を、少女はただ美しいと思って見た。
「ん? なんだ? 誰か」
豪商の意識はそこで途絶えた。
「君もここの奴隷だね。一緒にこれる?」
勇者は自分の服を渡し、少女に着せる。
「あの…あなたは」
「君たちを…」
救う? いや…違うか。
「君以外にも誰か、他の部屋にまだいる?」
「い、いえ…いないと思います。あとはみんな地下に」
「それならもう心配ないよ。ここから出よう。みんなでこの場所から」
「え、で、でも…私たち、帰るところなんて…無いです」
「新しい孤児院があるんだ。君たちを迎え入れる準備はもうできている。心配しなくてもいい。後はもう、君たちを連れて行くだけ。行こう」
勇者は手を差し出す。
少女は一瞬止まって考える。
しかしそれは、ほんの一瞬のことだった。
差し出された勇者の手を力強くつかんだ。
「地下へ寄るよ」
勇者は頭に叩き込んだ見取り図をもとに地下へと向かう。
途中の衛兵は全て気絶させながら、少女と共に向かった。
地下では魔導師が一人で待っていた。
「全員送ったよ〜。おや、まだ一人いたのか。じゃあ、君でおしまい、かな」
「この子を頼みます。大丈夫、先にみんなが待っているから、安心して」
「…はい」
少女はリングに包まれ消えた。
「自分はもう一度見てまわります。またここで」
その城に奴隷は誰一人いなくなった。
勇者は再び戻り、部屋を見て回る。
資料や書類を手に取り、読む。
情報を頭に叩き込んでいく。
後は…情報提供者たちを…
勇者は目当ての部屋へと急いだ。
豪商の館は燃え落ちた。
各部屋は全て容赦無く焼かれ、城はボロボロに崩れ落ちていった。
火事の後に発見された巨大な地下室には、誰一人としていなかった。
一体なんのための地下室だったのだろうか…
それを発見した者たちは訝しんだ。
あるいはそこにあった財宝を目当てに強盗たちが襲撃したのかもしれない…
など、根も歯もない噂がしばらくあたりを賑わした。
魔導師が最後の転送を行う。
勇者たちは孤児院へと飛んだ。
「お帰りなさい。今ちょうど少し落ち着いたところです。子供たちはみんなかなり疲弊してましたから」
「はい。それと紹介しますね。今日からここの孤児院で働いてもらおうと思っています」
勇者がそう言って紹介したのは、豪商に無理やりメイドをやらされていた年の若い悪魔たちだった。今回の情報提供者でもあった。
「今日からよろしくお願いしますね。まずはゆっくりと、休んでください」
先生とメイドたちは挨拶を済ませ、これからの勤め先となる新しい孤児院を案内するため中に入っていった。
「うまくいったね」
「ありがとうございました」
「いやいや〜。なんだか久しぶりに働いた気がするな〜。いい気分転換にもなったよ」
「約束の日取りはいつがいいですか?」
「いつでも、いいお店が見つかり次第、君が望む日で構わないよ。私は自由気ままに町にいるから」
「わかりました」
「あ〜、楽しみだなぁ。デート」
魔導師はリングに包まれ消えた。
空間魔術の便利さを体感した勇者は、もう一人の師匠に感謝しつつ孤児院へと戻った。




