オマツリ
獣の遠吠えが響いた。
「!!」
勇者はすぐに起きる。
…声は遠くない。
幾重にも重なって聞こえた獣の遠吠え。
おそらくはもう、すでに村の中…
でも、いつの間に、魔獣が入り込んだ?
結界を破って、あれほどいた警備の誰にも気づかれずに?
思考を巡らせながら、危機感知を最大まで高める。
ここには守るべき大切な人たちがいる。
「今の…なんでしょうか? まるで獣の遠吠えのような…」
先生たちも起きていた。幼い妹は幸か不幸かその声に気づかずにまだ眠っている。
「魔獣、ですね。おそらくもう村の中です。 …ただ、警護の冒険者たちにも聞こえたはずです」
「村の中で…争いになるんでしょうか?」
先生は静かに眠る幼い妹に寄り添いながら不安気に尋ねてきた。
「…声は複数でした。その数までは分かりませんが…」
少し遠くから魔獣の唸り声と冒険者の声、金属のぶつかり合うような音が聞こえてきた。
「…絶対にここからは出ないでください」
…魔獣はどんな種類だろうか。 …警護の人たちだけで対処できるだろうか。
「少しだけ外を確認してきます」
「私も」
傾国の悪魔は立ち上がる勇者の後についていこうと考えいたが、勇者はそれを手で制する。
「二人のそばに、ただ外の様子を確認するだけだから」
「…でも」
私は勇者さんと共に、その隣に立ちたい。
…実力不足なのは知っているけど…それでも、少しでも、役に立ちたかった。
「二人を安心させてあげて。君の妹がもし起きたら、その時は特にね」
「…はい。わかりました。気をつけて下さい」
確かに、今の自分であればそれができる。不安な感情を鎮めれば良いのだから。
自分にできることを…今はそう思って大人しく待つことにした。
外へ出ると、灯火の灯りがゆらめいていた。
闇に目を凝らす。
護衛の二人は少し離れて静かに立っている。
「聞こえたかの?」
「はい、魔獣ですね」
「そうじゃな、近くにはおらんが…歳のせいか、この暗がりでは目がよく見えんでの」
「お爺さん、歳のせいにしてはいけませんよ」
「ただのジョークじゃ」
この余裕さならこの人たちは大丈夫だろう。
「少し、見てきます。すぐに戻るので」
「ああ、行ってきんさい。ここはわしたちに任せるでな」
小屋から少し離れたところで警護の冒険者の姿をみつけた。
その魔獣と争ったのか、まだ肩で息をしていた。本人に怪我は見当たらない。
「魔獣が入り込んだんですか? それでその魔獣はどこに?」
「ああ、お前さんか。いや、俺たちにもわからねぇ、急に出てきやがった。倒したら消えやがったよ。他の仲間たちも今ごろ応戦しているはずだ。 それにしても…結界はちゃんとまだいきてる。これだけの結界だぜ。外部から入り込んだとはとても思えねぇんだが…」
「…結界を張る前に潜んでいたとか」
「そりゃあない。見回りで気づかないわけがねぇ、いくらなんでも素人じゃねぇんだ…もし仮に一匹くらいは見落としたとしても…この数だぜ…突然何もねぇところから現れやがったんだ。どこから出てくるかわからねぇ。 …消えちまうしよ。 …俺は急いで他の応援にまわる。そこまで強い魔獣じゃねぇが、集団に囲まれでもしたらちとやっかいだからな…さっきギルドにも応援要請を出しておいた。そいつらが来るまでは俺たちで凌ぐ。お前さんたちも、小屋からでねぇようにな」
…何もないところから突然現れ、倒すと死骸が消える…
…魔獣召喚、召喚術か?
勇者の頭の中には黒山羊の悪魔がちらついていた。
「…応援に行くのは少し待ってください」
「なんだ? 俺も急がねぇと」
「少しの間だけです」
あたりに溢れる炎のゆらめきを一つ一つ急いで観察してみる、
…遠くの灯りとして見ればそのどれもがただの炎だったが…
よく観察すると色が違うものがある。
青い炎。
あの粉が燃えた時の…色。粉…この蝋燭、もしかするとその粉を固めたものか。
「置かれた蝋燭の炎の色に、違いがあります。これを見てください」
「蝋燭の炎? …確かに他よりも青みがかって見えるな…しかしそれが一体なんだってんだ?」
「おそらくはこれが魔獣召喚術の要です。他とは違う不自然なこの色、見たことがあるんです。 …これを消していけば魔獣もじきに消えるはず、もう現れなくなるはずです」
「本当か? いや、しかし…」
「今ここにいる他の護衛や冒険者たちにも伝えましょう。僕も消しながら手伝います」
勇者は雷を纏い、周りにゆらめく青い炎の蝋燭を見つけては消して回った。
他の護衛と冒険者たちへは、光の精霊の通信を使える冒険者によって素早く伝わっていった。
情報を得た冒険者たちの手伝いもあって、村に配置されていた青い炎の蝋燭は間も無く全て破壊されることになった。
そして、じきに魔獣の声と気配は村から完全に消え去った。
「いやぁ、それにしても本当だったみてぇだな。しかし魔獣召喚か、侮れねぇな。それほど驚異的な魔物じゃなくて助かったぜ。数はともかくな。 …このことは俺からギルドにも伝えとくぜ。なんだかんだで警護の仕事を手伝ってもらっちまったからな。せっかくの休みだったのに、面目ねぇぜ」
「いえ、」
安心したその時だった。
ズズンと、村全体を衝撃が襲った。
「…おいおい、嘘だろ。結界が…」
村に張り巡らされていた強力な結界が消えた。
「…さっきの衝撃は…」
何かが、結界内に無理やり入ってきた。
今度は強引に、力尽くで入り込んだ。
先ほどのような弱い魔獣とは思えない。
ー ぐわぁあああ〜 ー
「今の悲鳴は、間違いねぇ、村の入り口にいた警護の…」
勇者たちは悲鳴が聞こえた場所へ急いだ。
血に塗れて倒れ込む人の姿と、そばにはその冒険者の数倍以上はあろうという巨大な躯を持つ獣。
黄金のたてがみをもつ獅子だった。
「ここにいる人間どもは皆、須く俺の餌だ。 …誰一人として逃しはしない」
獅子の頭をもつ魔獣は涎を垂らし下卑た笑みを浮かべた。
「貴様らも俺の食事の邪魔をするな」
気を失って倒れた人へと、今もまだ血の滴っている腕を伸ばす。
ーギギィッー
鋼が爪弾き合う鈍い音が響いた。
勇者の剣と獅子の鋭い爪が拮抗する。獅子の爪はそれ以上先へ動かない。
「…ぬぅ。この俺の膂力に値する人間…面白いではないか…しかし、食事の邪魔をするとは無礼である」
間をおいて、獅子は吠えた。
その獅子の咆哮は冒険者たちの臓腑に響き、聞いたものたちの身を竦ませていった。
「たかが人の分際で…身の程をしれ」
獅子の倍以上に膨れ上がった腕が動かない勇者へ振り下ろされようとした瞬間、
気づくと獅子は夜空の星を見ていた。
「? なん」
離れた頭が次の言葉を放つ前、勇者の剣が地面に串刺しにした。
「…や、やったのか?」
不覚にも獅子の咆哮によって竦み上がって動きを止めていた冒険者の男は、胴のない巨躯と串刺された頭を見て勇者の勝利を確信した。
「…結界が破られましたね」
…結界を破って入り込んだのはこの魔獣だけ?
倒れた護衛を介抱し、冒険者と共に祭りの関係者の元へ事情を説明しに向かった。
そして勇者はすぐに小屋へ戻った。
先生たちは幼い妹を守るように布団の中で囲っていた。
「何があったんですか? さっきの恐ろしい声…」
「…魔獣によって結界が破られました。その魔獣はもういません。 ただ…まだ他にも来るかもしれません」
「そんな…」
「今は警護の冒険者とここに来た他の冒険者たちが協力して村の警備にあたっています。あの様子だとすぐに結界も張りなおせるでしょうが…」
場合によってはまたすぐに破られてしまうだろう。
…しかし…あれほどの魔獣…通常であれば当然ギルドに討伐依頼が出ているはず。
そんな情報は微塵もなかった。
このあたりの危険な魔獣は全て討伐していたのだから…
…やはりあれも召喚術…
今度は村の外から。
召喚術者は…村の中にいるのか、外に隠れているのか…
「ギルドから応援が来たら、この村から避難しなければならなくなるかもしれません…念の為、すぐに動ける用意をしておきましょう」
「その時は私が抱いて運びます。このまま眠らせていても大丈夫ですよね? 起きても、不安がるでしょうし…」
「はい。そうしましょう。今はまだ、ここから迂闊には動けません。今は離れないで、ここで応援を待ちましょう」
不安気な二人と、ただ静かに眠る幼い妹。
気を張り詰めながらしばらくの時が経つのを待った。
黒山羊の悪魔が手にした蝋燭の火が一つ消えた。
「あららぁ、随分と簡単に倒されメェしたねぇ…いやはや本当に、母上様のお気に入りなだけはありメェすねぇ…でもぉ、オメェツリはぁ、これからがぁ、本番ですよぉ」
手にした別の蝋燭に火が灯った。
村の外に、二つの首を持つ竜が姿を現していた。
氷炎の双竜。
二つある頭のそれぞれが炎のブレスを吐き、氷のブレスを吐く。
炎と氷に高い耐性を持っている。
硬い鱗によって物理耐性も持ち合わせており、並の剣や魔法では傷一つつけられないだろう。
灼熱の炎は全ての生物を焼き尽くし、極寒の氷は全ての生き物の生命を停止させる。
今の世にはいない、太古の怪物。
村から応援要請を受け、早馬に乗って急いで駆けつけた熟練の冒険者たちは、突如として現れたその化け物に驚きを隠せないでいた。
「おいおい…なんだあれは。二つ頭のドラゴン…ありゃあ……こんなところにいるわけがない」
「そもそもあんな化け物がこの大陸にいたの? 聞いたこともないよ…どうするの?」
ギルドからの要請を受けて応援に来た若き戦士と魔法使いは馬上からその双竜を観察する。
「どう考えても、俺たちだけでの討伐は無理だ。 とはいえ、逃げる選択肢は無ぇ。 …できるだけ村から遠ざける、あんな奴のブレスを受けたら村なんてすぐに壊滅してしまうぞ」
「村どころか私たちもね。 …お祭りの応援要請って聞いてたけど、とんでもないレベルの討伐依頼じゃないの。私たちが血祭りになっちゃうよ…ギルドで噂の疾風の剣士じゃないと無理じゃないの? 助けに来てくれないかなぁ…」
「噂に頼っても仕方ないだろう。今この場には俺たちしかいないんだぞ。やるぞ!」
「無事帰れたらギルドに吹っかけてやるから。こんちくしょお〜」
「ああ、そうだな」
戦士は武器をとり、魔法使いは杖を構える。
それに気づいた双竜は、二人をまず最初の獲物に定めた。
炎の頭が、灼熱のブレスを吐く。
獄炎の炎の柱が二人を襲う。
「ヒュ〜、危ねぇな」
「僧侶たちは? まだ来てない? まさか先に逃げてないよね?」
「そんなわけあるか、二人とも後ろからすぐ来る、うお、あちち。離れててもこの熱。馬の方が参っちまうぞ」
「これでもくらいなさいよ!」
魔法使いは杖から氷の刃を放つも、簡単に炎にかき消されてしまう。
「やっぱり生半可な威力じゃダメね。届きすらしないわ」
魔法使いは呪文を詠唱しながら魔力をためる。
「それなら囮になる、任せな」
戦士は魔法使いを庇いながら双竜へ手にしたモーニングスターをぶち当てる。
しかし効果はあまりない。
「これならどう!!」
隙をついて一際巨大な氷の塊が降り注いだ。
氷の頭がもう片方を庇うように受ける。
「嘘、完全耐性?! くっそぉ。 …でも、庇ったってことは、炎の方には効果あるってことよね」
「ごめん、遅くなった。今すぐに耐性魔法をかけるから」
「助かった、馬にも頼むぜ」
僧侶は戦士たちの炎と氷の耐性をあげる。
「おいおい、こんな化け物相手にしないといけないの? 割に合わないんだけど、ね!」
さらに遅れてきた盗賊は手にした弓を双竜の目に向けて放つも、傷一つつかない。
「硬った…全然ダメージ入んないじゃないの。どうすんのこれ? もう負け確定じゃない?」
「村から引き離す。まあ簡単に言って俺たちはただの囮だ」
「え〜…まあ、仕方ないか…とても倒せるとは思えね〜」
「でも、その後はどうするんです? 私たちでは決定打に欠けます」
「…応援を待つ。ギルドだってこんな化け物相手と知りゃなんとかしてくれるだろうよ」
「知ってんのそれ? それまで耐久戦? こんなの相手に…嘘〜。こんなに暗い夜なのに〜。馬が転んだだけでもう死亡確定じゃない…」
「それでもやるしかない、だろ」
馬で駆けながら双竜を攻撃しつつ挑発し、村から引き離していく。
勇敢な戦士たちはギルドからのさらなる応援を待った。
勇者は外に出て双竜の姿を確認する。
「…」
あれに対抗できる冒険者が今ここにいるだろうか?
いや、いないだろう。 …村で見た限りでは。
運よく上級者が応援に来なければ…無理だろう。
「いやはや、長生きはしてみるもんだのう。ありゃバケモンじゃぞ」
「ほんにねぇ、私たちが若い頃にも見たことないようなバケモンじゃねぇ」
「…少しの間ここをお願いします」
「まさかあれを倒しに行くのかの?」
「あんれまあぁ、命は大切にのう」
「はい、命は大切にしますから、三人をお願いします」
「ああ、わしらに任しとけい」
双竜の攻撃は激化していた。
少しのミスが命取りになる。
炎にせよ氷にせよ、その直撃は死を意味していた。
魔法使いは馬の扱いがそれほど得意ではなかった。
普段は歩いて冒険することの方が多かった。
「この、あっぶな…騎乗しながら集中できないってのに…あっやばっ」
手綱が手から離れた。
双竜の猛り声に馬が戦慄き、魔法使いは投げ出されてしまった。
かろうじて受け身は取れたものの、すぐに動ける状態ではなかった。
双竜がそれを見逃すはずもなく…
獄炎を放つ口が開く、
(あ、終わった…)
魔法使いが諦めて目を閉じた時、
ー火魔法 極大ー
獄炎を超えた極炎が双竜を飲み込んでいた。
周りにいた戦士たち全員が我が目を疑った。
双竜の体七割以上が消滅していた。
残りはすぐに細かく切り刻まれた。
「大丈夫? 治療するよ」
「え? あ、はい」
勇者は魔法使いに回復魔法をかけた。
魔法使いはただ大人しくされるがままになっていた。
「今の魔法、何だあれ」
戦士は二人に近づきながら僧侶に尋ねる。
「魔法なら魔法使いに聞いた方が詳しいでしょうけど、火の魔法、ですね。それも火属性の頭もろとも消滅させるほどの威力…耐性無視。一体どれだけの威力なんでしょうね」
「あれはヤベェだろ、あんな魔法、見たことねぇよ。なあ、魔法使い、あれは一体なんなんだよ」
盗賊は治療を受け終えたが妙におとなしい魔法使いに聞く。
その声は魔法使いの耳には届いていない。
ぼーっと勇者を見つめているだけだった。
治療を終えた勇者は、近づく戦士たちに声をかける。
「ギルドからの応援の人たちですよね?」
「お、おう。けど、なんか応援は要らなかったみたいだな。あんたみたいな冒険者が村にいたんなら、俺たちのおせっかいだったか」
「そんなことはないです。一緒に村へ行きましょう。 …まだ解決していないかもしれません」
「何だって? どういう意味だ?」
訝しがる戦士たちに説明をしながら村へと向かう
戦士たちは勇者の後をついていく。
魔法使いはぜひ自分と一緒に馬に、と言って譲らなかった。
勇者が村を離れていた時間はそれほど長くはない。
…ただそれは、黒山羊の悪魔にとって計画を果たすには十分な時間だった。




