豊穣祭
豊穣祭
その始まりは今よりも遥か昔。
豊穣を願って捧げられた祈りは、大地にあらゆる生命を芽吹かせた。
今は数年に一度、村の人々によって村をあげて執り行われる大切な催し。
大地に置かれた大小様々な無数の蝋燭と、そして村の中心に一際大きな灯火が燃え盛る。
その大小様々な灯火は、かつての祈りの形を表現しているという…
特にその様子は夜になるととても幻想的で、それを目当てに遠い町からも観光客が大勢訪れる。
その日ばかりはこの小さく慎ましい村が大勢の人たちで賑わうのである。
お祭りの当日、傾国の悪魔は朝はやくにもうすでに着替えをすませていた。
お祭りが待ちきれないのであった。
「おぉ〜、すっご綺麗〜。うわぁ、いいなぁ〜、私も行きたいんだけど〜、何で今日に限って試験があるかな〜。もしかしなくても嫌がらせだよねこれ〜」
「追試の追試の追試なんでしょ?」
「わっはっは〜。泣きの追試なんだよね〜。くっそ〜。もっと頑張っていればなぁ〜。これも全て過去の私が悪いんだ〜。今の私は何も悪くねぇ〜。そうだろ親友?」
「自業自得がこれほどまでに似合う人は中々いないと思う」
「ぐぅ、ぐぅのねしかでねぇぜ」
「それじゃあ、変わりに楽しんでくるから」
「薄情者〜、鬼、悪魔」
「悪魔ですけど」
「そうだったぜ…まぁ、楽しんできな〜。いい戦果を期待してるよ〜?」
「…何の事かわからないけど」
「またまた〜、こぉんなに朝早くからそんなにおめかししてやる気に満ちたメイクまでしてとぼけんな〜。でも、本当に応援してるから」
「…ありがと」
傾国の悪魔は勇者と待ち合わせている馬車へと向かった。
「…しかし、その目当ての人って、やっぱりお兄さんなんだよねぇ。 …まあ、悪魔に背徳を説いても意味なさそ〜」
馬車の乗り合い場所には、すでに勇者の姿があった。
勇者もまた、傾国の悪魔の訪れに気づく。
「時間通りだね。早速乗って向かおうか」
手を引いて馬車に乗り込む。
「はい、今日はとっても楽しみです。先生と妹とは、本当に久しぶりに会えますから」
「二人もきっとそうだよ。晴れてよかったね」
「本当に」
揺れる馬車の中で、着崩れしないように気をつけながら勇者をチラチラと伺う。
「その、向こうで着替えたほうが良かったでしょうか…変じゃないですか?」
「全然変じゃない、すごくよく似合っているね。その服、確かユカタンだっけ? …それに、なんだろう…なんかこう…どこか変わった? 雰囲気というか…うまく言えないけど。その化粧のせいかな…いつもよりだいぶ大人びて見える」
「私、もう子供じゃないですよ? …具体的に…どこが変わったと、思いますか?」
傾国の悪魔は小さく笑い、勇者に寄りかかると言う大胆な行動にでた。精一杯の緊張を伴いながら。
「…ん〜、どこだろう。少し背が伸びた?」
「…そうですね、成長期ですから。身長ばかりじゃなくて、他にも色々と成長しているんですよ?」
振り撒く魅了はやはり全く効果をしめさないようだった。
「はは、でも僕からすると最初の頃の可愛い妹たちのままなんだけどね。先生たちも待っているし、早く着くといいね。この馬車の早さなら、数時間もあれば着くかな」
「…そうですね」
妹たち…傾国の悪魔は今の自分であっても、勇者にとっては幼い妹と同じ扱いな現実に戦慄していた。
まさかそこまでとは…いや、でも、私だってあれから成長したんだから…
きっと、きっとチャンスはあるはず。
隣に座る勇者の感情をじっくりと観察する。
親愛…家族に向ける愛だった。改めて見てもそれは全く変わっていなかった。
ただそれは、決して小さいものではなく、そこには深い愛情が見てとれる。
家族として、大切にされているというのはわかっている。
もちろんそれは嬉しいことだった。
私と妹を同じように家族として受け入れてくれたこと、その感謝の気持ちは、当然今も忘れてはいない。
時が経つにつれて膨れ上がっていく一方だった。
私も家族である先生と妹にはもちろん早く会いたい…でも、今はそんなに早くつかなくてもいい。
だって、こうして二人きりでいられる時間がとても好きだったから。
ただ隣に座っているだけなのに、こんなにも幸せな気持ちになるんだから…
「何?」
「何でもないです。もう少し近づいてもいいですか?」
「もちろんいいよ。席変わる? こっちの方が景色がよく見えるし」
「いいえ、このままでいいです。隣からでも景色は見えますし」
「そう? いつでも言ってね」
「…はい」
勇者は流れる景色を見ていた。
傾国の悪魔は村へ着くまでの間、ただただ勇者を見ていた。
今日一日中絶える事なく続く灯火は、あちこちに置かれた蝋燭から燃え盛っていた。
本番は日が暮れてからだというのにも関わらずに、近くの町だけでなく遠い町や村からも訪れた人たちで賑わいを見せていた。
「もう人がだいぶ多いね」
「本当ですね。蝋燭の炎も、明るいうちから灯しているんですね」
「これだけの数…夜になったらまた綺麗だろうね」
「情緒が刺激されますね」
きっとムードは最高潮になることだろう。
傾国の悪魔はやる気に満ちていた。
「それにしても、本当にたくさんいるんだねぇ」
普段を知る者からしたら、小さな村にはそぐわないほどのにぎやかさがそこにあった。
「宿泊用の小屋もたくさんたてられていますね。村というよりはもう町みたいです」
その日は大小様々な借宿が村の中、あるいは少し外れた場所にも建ち、宿泊客の中にはそこで一日中祈りを捧げる熱心な人もいるようだ。
勇者たちは昼前の時間に村に着くと、一泊するために頼んであった待ち合わせの小さな小屋に向かった。
途中に、ギルドの関係者や見知った冒険者たちの姿も見えた。
「皆さんは警護の仕事ですか?」
「おう、俺は警護担当だ。お前さんは…違うみたいだな」
勇者のすぐ後ろを見て、その大柄な男は察した。
「まあなんだ、安心して楽しむといいぜ。今日ぐらいはゆっくりとな。この村の警護ぐらいは俺たちに任せとけよ、なぁ?」
「そうそう、しっかし随分と別嬪な彼女じゃねぇか。まあ俺たちにゃちと若すぎるが。将来は間違いなくとんでもねぇ美人になるぜ。無性に命令されてぇぜ」
「おいおい、祭りにうかれてんじゃねぇか? それにしても、お前さんは魔物狩りしか興味ねぇのかと思ってたが、そうでもないんだな。まあ、楽しんでいきな」
宿は移動式の手作りの小屋で、小屋というだけあって大きくはないが、
中に入ってみると四人で過ごすには十分過ぎるほどの広さがあった。
「外から見るより、中はだいぶ広いんですね。四人でも窮屈なことは全然ありませんね」
ぎゅうぎゅう詰めでも、それはそれでよかった気もするのだけれど…
「それじゃあ、ここで二人を待とうか。二人を迎えに行ってもいいけど、途中ですれ違うかもしれないし。この場所は先生に伝えてあるから、大丈夫なはず」
「それでしたら、先に飲み物を用意しますね」
乾燥した葉にお湯をいれ、煮出す。実に手際のいい所作だった。
差し出された良い香りのする赤茶色の煮汁を飲む。
「ふぅ、ひと心地つくね。 …それにしても、随分と慣れた仕草だね」
「宿舎でもしていますから」
嘘だった。ものすごく練習を重ねていた。
「すごく綺麗な動作、日常の無駄のない動きの中にも、美しさはあるんだね」
「…」
急に褒められた傾国の悪魔の胸は高鳴る。
練習を重ねた甲斐があった。
少しふるえる手で紅茶を飲むと、少しだけ落ち着いてきた。
ふと見ると、地面には多様な模様の描かれた絨毯が敷かれている。
「これって…なんの模様でしょう」
「この辺りの民族的な模様かな?」
「これは文字でしょうか…読めないですけど」
「きっとだいぶ昔の言葉なんだろうね。その頃の、昔の祈りか何かが記されているのかもしれない」
「異国的で不思議な魅力がありますね。時代が違うだけで…昔は普通に読めていたんでしょうね」
「昔の言葉、か…」
エルフあたりだったら読めたんだろうか。機械姫とか、詳しそうだけど。
「今、別の誰かのことを考えていませんでした?」
傾国の悪魔はそう言ったことに対しては一際敏感だった。
「あ〜、まあ。 …そうそう、お昼は先生が朝に作っていたけど、君も持ってきているんだよね?」
勇者は誤魔化すことにした。
「え? ああ、はい。もちろん作ってきました。私も宿舎でずっと作ってましたから。料理の腕は上達しましたよ」
外から馴染みのある声が聞こえてくる。
「ここじゃないかしら?」
「はいっていい?」
優しい声と、幼い声。
今日の朝にも聞いた声だった。
「いらっしゃい」
傾国の悪魔は立ち上がって二人を出迎える。
「おねえちゃん!」
久しぶりに会う姉に勢いよく抱きついていた。
目には涙が浮かんでいて、すぐに号泣へと変わった。
悲しいからではなく、嬉しいから泣いていた。
その後ろでは先生が優しい表情で二人を見守っていた。
「先生も、お久しぶりです」
「あらあら、まあまあ、とっても綺麗になって。その服も、とてもよく似合っていますよ。私たちの服も選んでくれて、本当にありがとうね。 …少し、痩せたんじゃないですか?」
「大丈夫です、元気いっぱいです。今朝もちゃんとたくさん食べてから出てきました」
「それを聞いて安心しました。そうそう、もうお昼ですね。たくさん作ってきましたから」
「私も、たくさん作ってきました」
「おねえちゃんとせんせいのごはん、たべたい。おなかすいた」
「すぐに準備するね」
「いつも警護についてくださっている方達はまだでしょうか?」
「少し待っていてください」
勇者は表に出ると、老齢な剣士と魔法使いを見つけた。
今日の警護は二人に出張サービスを頼んであったのだ。
遠慮する二人を説得し、中へと戻る。
「わしたちなぞほっとけば良いものを、なぁ婆さん?」
「誘われたら断る方が失礼ですよ。お爺さん」
「ジィちゃ! バァちゃもいっしょにたべる!」
「こんなに可愛い孫に誘われたら断れねぇな。わしたちもご相伴に預かるか」
老齢の護衛たちは、本当の孫のように可愛がっていた。
「はいはい、私も手伝いますよ」
先生たちは手際よく料理を並べていく。
どちらの料理も絶品だった。
料理を食べ終えると、ベテランの二人はすぐに警備へと戻っていった。
「私たちは、着替えるのはお昼を食べてからの方がいいと思いまして」
「ああ、なるほど」
先生の言うことは勢いよく豪快に食べる幼い妹の姿を見れば納得できた。
「せっかくのよそゆきの服を汚してしまっても、ね?」
「確かに。それじゃあ、この後休んでから着替えます? その間は外に出ているので」
「ふふ、はい、そうですね。一緒に着替えてもいいんですよ?」
「いえいえ、流石に遠慮します。それに自分は着替える予定ではないので」
「おきがえ?」
「もう少し休んだらそうしましょうか、あなたには手伝ってもらえますか?」
「はい、もちろんです」
先生たち三人を残して少し散歩に出ることにした。
昼の太陽はまだまだ高く、空も青く澄み渡っていた。
村のあちこちに人が集まってきている。
お祈りを捧げている人の姿も見えた。
ゆらゆらと揺れる灯火を見ながら特に目的もなくあたりを歩いていく。
仕事ではなく、単純に祭りを楽しみにきたという冒険者たちにも会った。
…これだけの戦力があるなら、仮に魔物が出たとしても、なんとかなりそうだ。
散歩の道中に、あの時の講師、黒山羊の悪魔に出会った。
「おやおや、あなたは確かぁ、あの時のぉ。偶然でございメェすねぇ」
「観光ですか?」
「いえいえぇ、ボランティアでぇして。ほらこの通りに」
蝋燭を取り出すと、火をつけて下へ置く。
「灯りを灯すお手伝いをいたしメェしておりメェす。楽しいでぇすね」
「それはご苦労様ですね。しばらくはこちらにいるんですか?」
「そうですねぇ。今日は一泊いたしメェす。それではぁ、仕事がメェだありメェすので」
「仕事中引き止めてすみません」
「いえいえぇ、お互いにオメェツリを、楽しみメェしょうねぇ」
黒山羊の悪魔はメェメェ笑いながら去っていった。
屈んで蝋燭を置いて火をつけていた。
先生たちの着替えも終わったようで、再び小屋へと戻った。
お祭りに着る服としてある地方では有名な衣装らしく、ユカタンと呼ばれ最近とても人気があるようだった。
服を固定するための腰に巻きつけた太い帯が特徴的で、服に描かれている花模様が実に華やかだった。
どちらもとても良く似合っていた。
「みんなすごく似合ってますね」
「その回答は減点ですね。こう言った場合には、もっと一人一人をちゃんと見てから感想を言わないとダメですよ。もちろん一人一人に、ですからね? あと、忘れずにしっかりと褒めることです。ちゃんと褒めましたか?」
先生が先生らし口調でそう言う。
「褒めたと思います」
「思います、ではダメですよ。それなら今一度、しっかりと、ハイどうぞ」
勇者の褒め言葉は似合っている、綺麗、可愛い、大人びている、ぐらいしかなかった。
先生たちにはここぞとばかりにダメ出しをされた。
もっと乙女心を学んだほうがいいのだろうか…学び舎の講義にそのようなものはなかった。
「…なるほど、勉強になります」
四人で笑いながら楽しい時を過ごした。
気づけばすっかりあたりは夕暮れになっていた。
夕食の用意がされるまではまだ時間がある。
その間、全員で村を歩いて回ることにした。
少し離れて護衛の二人がついてきていた。
夕暮れに靡く大小様々な蝋燭の灯火のゆらめきが情緒を刺激する。
一体全部でいくつぐらいあるのだろう…村全体がその灯りで包まれていた。
その優しい淡い光は、どこか切ない気分にもさせていく。
ただ静かに、炎を見ながら歩いた。
「あめふったらきえちゃう? くらくなったらこわい」
幼い妹のその疑問はもっともだった。
「大丈夫ですよ。今日は村全体に雨よけの結界が張ってありますから。それと今日は特に念入りに、大きな町のギルドの方達によって村全体にとても強力な結界も張られていますし。これだけ警備の人もたくさんいますし、魔物の心配はありませんね」
「よくできてますね」
村の規模からは考えられないほどの厳重さ。それだけ大切なお祭りなのだろう。
「祈りを捧げる、もちろん神様にたいしてもそうでしょうけど、それだけでもないのでしょうね。大地そのものに祈りを捧げてもいるのでしょうし」
そう言って目をほそめる先生の姿は、夕暮れの灯りと灯火のあかりが重なってより色艶やかで…思わず目を伏せてしまっていた。
「大地に祈り、か…」
大地に関係する神様というと、土神あたりになるのかな?
そういえばこの間の召喚で氷姫が現れたけど、もしかしたら他の神様たちが出てきた可能性もあったのか…
土神が来て本来の大きさだったらあの教室は崩壊していたな…
「…何を考えているんですか?」
「ああいや、祈りの事をね。ここで祈られている神様ってどういう神様なんだろうと思って」
「…この前のあの神様のことを考えていたんですか?」
「この前のは氷の神様だったし、ここだと土の神様の方が…ああいや、そういう話ではないよね」
「随分と神様と親しいんですね。前の時もそうでしたし」
少し不機嫌に見えた、やっぱり悪魔と神はそんなに仲良くはないということなのだろうか?
「次の豊穣祭は何年後になるかしら…その時もまたみんなで来たいですね」
「きたいきたい!!」
先生の言葉に喜んですぐに反応する幼い妹とは反対に。
「…」
勇者は少しの間言葉を返せないでいた。数年後の約束。 …それを確約することができなかったから。
「…私も、またみんなと来たいです。もちろん、またみんなと一緒に」
傾国の悪魔は静かに答えた。
「その頃までには学び舎も卒業してまた一緒に暮らせていますよね? ああでも、今度はあなたが学び舎に入っているかもしれませんね」
先生は幼い妹の頭を優しく撫でていた。
「…」
勇者は一人、返事を返せないでいた。
途中すれ違った中にまた黒山羊の悪魔の姿を見た気がした。
振り向いて確認するとその姿はどこにも見当たらなかった。
あの召喚の事を思い出していたからかもしれない。
あたりは暗く、夜へと変わっていった。
小屋に戻ると食事が用意されていた。
丁度良い歩きの後の空腹感から、四人はあっという間に料理を平らげた。
祈りを終えたあとはもう、眠るだけだった。
狭いとはいえ、四人が眠るだけの空間は十分にあった。
それぞれそこまでくっつける必要もないだろう。
しかし、
「…たまには布団をひとまとめにして眠りませんか? 孤児院では、そうやって眠っていましたよね?」
少女は四つの布団をくっつけて一つの大きな布団にしていた。
ここまでくっつけて眠ったことは無いはずだった。
これだと誰がどこに眠っていいものかわからない。
ただの大きな一枚の敷布団だ。
「それは良いですね」
「わーい、みんないっしょ!」
先生も幼い少女も乗り気だった。
「…いいんですか?」
勇者は一人疑問を口にした。
「ふふ、何だか特別な感じがして楽しいですね」
「…先生たちがそれで良いなら」
雑魚寝というには、それぞれがずっと近い。
すぐそばには先生と悪魔の姉妹二人。なぜ自分を中心にして周りを囲むのだろうか…
…確かに、お祭りの夜の、普段とは異なった特別な感じはするかもしれない。
ただ、どうにもあまりに無防備すぎる気がしていた…
今日しかない日を、今しかない日を…
それをとても大切に感じてもいた。
外では灯火の光がゆらゆらとただ静かに揺れていた。
魔物や魔獣の訪れる心配は無い、
はずだった。
ー ウォオオォオオオ〜ン ー
獣の遠吠えが響いた。




