学園生活
それからまたしばらくの月日が流れた。
勇者は先生と悪魔姉妹との四人の生活にすっかり慣れ親しんでいた。
狩りや依頼をこなして稼ぎつつ、三人と共に平和な時間を過ごしていた。
悪魔の姉妹も、もうすっかりこの生活に溶け込んでいた。
それはもうまるで一つの家族として…
「…妹みたいなものかなぁ」
ある時、自分のことをどのように見ているのかを悪魔の少女が尋ねてきた。
「妹…ですか…まぁ…そうですよね」
「僕たちはもう家族だからね」
「それは…その、嬉しいんです…けど。でも…」
悪魔の少女は複雑な表情をしていた。
「私は、その…あなたを兄…としては見てませんから」
「そう…まあ、うん。 …そんなに嫌だった?」
勇者は少し傷ついた。何か嫌われることをしてしまったのだろうか?
「あ、いえ! その。嫌いとかでは全然なくてですね! それは全然、全くないです。ただ、その、私は一人の男性として」
「なんのおはなし〜」
無邪気なもう一人の少女が背中に飛びついてきた。
「っと、ん〜、そうだね。僕たちは家族だよねって言う話かな」
「かぞく?」
「周りから見たら四人兄妹に思われているかもしれないね。先生と僕はそれほど違わないし、二人は僕たちの妹、まあ、君のお姉ちゃんは少し不満みたいだけど」
「え〜おねぇちゃん、どうして〜」
「それは! …その…」
「ん〜? かぞくうれしいよ〜?」
「…それはもちろん私もそうだけど」
いつの間にかその会話は有耶無耶になっていった。
変わらない平和な日々が続いていく。
ここでの生活が日常へと、当たり前のもののようになっていった。
たとえこの世界が偽りであっても。
…いや、それは正しくはない。
この世界を生きる者たちにとっては、ここが紛れもない本物の世界だったのだから。
三人にとっては…そうだった。
この世界で、今は自分だけが偽りなだけだった。
「…」
寝静まった夜に勇者は時折目を覚ました。
相変わらずどこか不自然な視線を感じる時があった。
あたりを見回すも、特に変化はない。
大部屋で布団を四つ並べて寝ていた。
眠っている他の三人が起きないよう、慎重に起き上がる。
扉を静かに開け、一人外へ出る。
外はまだ真っ暗だった。
草と土の香りに、虫の声。
生命の気配…ここは紛れもなく現実の世界だった。
静かに戻ると、先生が起きていた。
「眠れないんですか?」
「あ、いえ、少し目が冴えただけです」
「そうですか? …何か、心配事でも?」
先生は心配そうに覗き込んできた。
「…いえ、そういうのじゃないです。もう寝ます。先生も、本当に気にしないで大丈夫ですから」
曖昧に返事をする。
「…無理はしないでくださいね」
「…はい。おやすみなさい」
大人しく寝床に着く。先生はまだ、心配そうに見ていた。
その夜、昔の、先生の夢を見た。
僕たちを育ててくれた先生の夢を。
「…」
目が覚めた。辺りはまだ暗い。
三人は寝静まっていた。
…この世界が自分にとって偽りであることを、僕だけが知っている。
…それは初めからわかっていたことだ。
あの頃の先生が生き返ったわけじゃない。
この世界の先生は、幼い頃の僕たちのことを知りもしないだろう。
…僕が守りたかった、僕が幸せにしたかった先生は…もういない。
開けた窓から入る夜の香気が胸を締め付けた。
後日、先生から相談を受ける。
悪魔の少女が魔術師としての適性があると言う。
村に買い出しに行った際にたまたまいた出張ギルドの関係者から受けた簡易検査でわかったと言う。
いつの間にそんな検査をしたんだろう…。少し不思議だった。
なんでも当の本人がその力を伸ばしたい、学びたいと思っているのだと。
普段自分からそういった事を言わないので、それを叶えてあげたい、とも。
まあそれは確かに魔術師としての適性はあるだろう。
「この辺りで本格的に魔術を学ぶなら…町にある専門的な学び舎ですか?」
「はい、あそこでしたら、きっと」
「でもそうなると、ここからは遠くなりますし、通うのは無理でしょうね。まあ、学ぶ間は向こうで暮らしてもらうとして」
「あと、心配事があるんです」
先生は深刻で真面目な表情をしている。
「何ですか?」
「とっても可愛いから、それが心配で…」
「はい?」
「だから、とっても可愛いでしょう? だから周りが絶対に放っておかないと思うんです。優しい人たちばかりなら良いんですけど…それもわからないでしょう?」
「…まあ、はい。生徒がどれくらいいて、どんな人たちがいるのかまではわかりませんね。だいたい、年齢の幅も上下かなりあるでしょうし」
「そうなんですよ。年上の男性に騙されないか心配です…何も年上ばかりでもないでしょうけど…」
「いやまあ…確かに可愛いとは思いますけど」
「なので、一緒に通ってはどうでしょう?」
「? 僕がですか?」
「はい。あそこの学び舎は年齢に厳しい制限を設けてはいませんし。魔術を学ぶ意思さえあれば誰でも大丈夫でしょう? お金は必要でしょうけれど…」
「学費はまあどうとでもなりますけど。僕も行くんですか?」
「ダメでしょうか? それなら安心して送れるのですけど」
「…ダメということはないですし、まあ僕なら別に通いでも問題ないので構わないんですけど…肝心の本人は…」
「…私も先生の案に賛成です」
いつの間にか先生の後ろにいた悪魔の少女は真面目な顔でそう言った。
「魔術を学びたいんだよね?」
「はい。魔術を学んで、みんなの役に立てたいです」
「向こうで暮らすのも構わない?」
「それも…はい。大丈夫です」
「確かに家事は問題ないか。そもそも向こうの宿舎に入れば全部する必要もないか…。それならこれから町に行って手続きを進めてくるよ。あそこはギルドとも繋がりがあるから大丈夫だと思う」
「あ、あの」
「ん?」
「あなたも一緒に通うんです、よね?」
「…そうだったね。まあ、そうしようか」
確かに少しの間は見張っていた方がいいかもしれない。
まさかそのまま傾国の魔術師になりました、とはならないと思うけど…。
町へ一走り。
ギルドからの紹介状も添えて入学の手続きは滞りなく済んだ。
入学するのは二名。
勇者と、悪魔の少女。
クラス分けの中途試験はシンプルだった。
今使える魔術を見せるか、あるいは望む魔術を言うか、その二点だけ。
悪魔の少女は今使える魔術が無かったため、身体強化を望んでそのクラスへと編入した。
勇者もとりあえずは同じクラスを望んで編入した。
強化の魔術。
その名の通り、肉体そのものを魔術で強化するものだ。
これによって筋力は見た目以上の力を持つ。
魔法使いでも一端の戦士になれる。
しかしそれなら戦士を強化した方が良いのは当然だった。
強化した後、魔術によって無理やり強化させられた体はひどい筋肉痛にもなる。
筋肉ではなく、耐性を強化することもできる。
元々わずかに持っている耐性を強化したり、あるいは苦手な属性に耐性をつけたり。
その用途は様々だが、まあ肉体を強化する、と言う点では同じだろう。
要は魔力で細胞を活性化させたり、助長したり、強くしたり、魔力を属性へ変えてそれを細胞に付与して強化したり…その基本となるのは魔力。
そして魔力というのは…
それからも講義は続いていく。
昼休み。
勇者と少女は弁当を手に屋上へ。
まさか今になって学び舎の屋上で昼食を取ることになるとは思ってもいなかった。
「強化魔術って言っても色々あるんだね。肉体強化とか属性強化とかは馴染み深いけど」
「精神的な作用を持つ強化の方が私は得意かもしれないです」
「あ〜、うん。なるほどね」
大丈夫かな? だいぶ傾国寄りになってないかな?
「?」
「いや、なんでもない。得意な分野を伸ばすのは大切だよね」
「それと耐性魔術をもっと学びたいです。 …特に雷の…」
「耐性かぁ…あんまり意識したことなかったけど。大事だよね」
「得意な魔法や不得意な魔法は何ですか?」
「得意か…とりあえず火と氷と雷は扱えるけど、不得意というか、どうにも風はイメージし難いんだよね」
「やっぱりイメージが大事なんでしょうか」
「それもその人それぞれじゃないかな? ここにいる間に自分の形を見つけられたらいいね」
昼食を終え、再び講義に向かう。
講義を終えると、少女は宿舎へ。
勇者は孤児院へと戻った。
「どうでした?」
「問題なさそうです。真面目に講義を受けていましたし、あとは友達でもできたら良いですけどね。まあ、初日ですし、焦ることもないでしょうけど」
「そうですか。安心しました」
「おねぇちゃんいいな〜。わたしもいきたいな」
「もう少し大きくなったらね。姉妹ですし、この子にも適性はありそうですね」
「そうですね〜、でも魔術師というよりは、占い師が向いているかもしれませんね」
「うらないし?」
「まあ、自由に、自分がなりたい職に就いたほうがいいですけどね」
夜が明ける前、勇者は鍛錬と魔獣を狩に出かける。
朝食は先生たちと、そして先生の作った二人分のお弁当を持って学び舎へ。
午前中は講義を受け、昼は少女と共に。昼休憩の合間、ギルドへ立ち寄る。
午後の講義を終えると、少女は宿舎へ、勇者は孤児院へ戻る。
その間にまた魔獣を狩る。
夕食は先生たちと共にとる。
食後の運動にまた魔物を狩に出かける。
あまり遅くならないうちに戻ってきて眠る。
そしてまたしばらくの時が過ぎていく。
昼食を学び舎の屋上で取っていた時。
「遠慮しないで友達と一緒に食べても構わないよ?」
今でも昼食は二人だけで取っていた。
悪魔の少女には同じくらいの年の友達が何人かできている。
宿舎で共同生活をしていて仲良くなったのだという。
「遠慮とかじゃないです、私はここで食べてたいんです」
「そう? まあ景色はいいし、今は風も気持ちいいしね」
「そういう訳でもないんですけど…まあ、そうですね」
「そうそう、身体強化の魔術の調子はどう?」
「まずまず、でしょうか。少しずつ上達してはいますけど、体の強化って難しいですね」
「まあそうだよね。結局強化しても元の体の強さが大事だったりもするし。基本は体の強さだよね」
「それだとあなたはそんなに必要なさそうですけどね。今でも十分じゃないですか?」
「う〜ん、それがそうでもないんだよね。今以上の威力を出そうとした時、僕の場合は内側から出力するんだけど、そのポテンシャルを引き出しきれないのはやっぱり体が耐えられないからであって、それを強化することで補うことになるから」
「そんなに無理して出力しなくてもいいんじゃないですか?」
「それはまあ、普通ならそうだけど。たまに普通じゃない相手とかいるから」
「たとえばドラゴンとかですか?」
「上級種になったらそうだろうね、この辺りでは見たことないけど」
「この世界のどこかにはそういった種もいるんでしょうか?」
「どうだろう。いない、とも言い切れないけど。少なくとも今のところは聞いたこともないよ。でも、そう言った強大な存在を相手にする時に、今の限界を越えなきゃいけない時があるよね」
「今のあなたが限界を超えなくちゃ勝てない相手なんて、想像したくないですけど」
「まあ、そうだね。でも最近はずっと何か…」
「何です?」
「…いや、なんでもない。時間もなくなるし、食べよう」
…最近、誰かに見られている感覚がある…
どこを探しても見つからないけど…気のせい…だったらいいけど。
どうにも気配だけがあって見つからないんだよなぁ…
その学び舎では少し噂になっていた。
編入してきた新入生のこと。
なんでもその男女両方ともかなりの美男美女だ、と。
どうやら兄妹らしい、とか。
二人とも身体強化の授業を受けている、とか。
妹は宿舎で暮らしていて、兄の方は多分町で暮らしているのでは、とか。
ただ、兄の暮らす場所は誰にもわからなかった。
たまにギルドに寄っているらしい。
冒険者としては一線級で、ギルド関係者を親にもつ生徒からは噂になっていた。
後を追っても一人で帰ってあっという間に姿が見えなくなるらしい。
妹の方は料理も上手で宿舎でも料理の手伝いをしているらしい。
お昼は屋上で二人っきりで食べている。
中に入りたいけど誰も入れないような雰囲気が出ている、それは主に妹の方からの圧だった。
二人の噂は羽をつけて瞬く間に広がっていった。
絶世の美女なんて噂にもなっていた。
そしてそれは自然と当の二人の耳にも届いた。
「噂になってるみたいだね」
「あんまり気にしなくてもいいと思いますけど」
「そう? まあ、絶世の美女って言われても全然悪いことではないか、悪口でもないし。ただ、ここにも人が増えたね。 …見てるしね。なんだかだいぶ視線が増えたね。君目当ての」
「…私だけじゃないと思いますけど」
少女は知っていた。
宿舎の友達を含め、勇者の人気を知っていた。
お兄さんを紹介して欲しいと言われたことも少なくはなかった。
便宜上兄としていたので、友人たちの間では勇者をしぶしぶ兄と呼んでいた。
兄は冒険者として働いてもいて忙しいんです、と。よく断っていた。
兄妹の学費を稼ぎながら学んでいる、と、勝手に解釈して蕩けていた。
そう聞いてきた人たちも含めて、今もその視線を感じている。
…まあ、気にしても仕方がないことだろうけど…
少女は少し兄に近づいて昼食をとった。
「何かいつもより近くない?」
「ないですね。人が多いですから仕方ないです。食べましょう」
「まあ…食べようか」
別に誰も二人の近くまではきていなかった。
授業が終わって孤児院へと戻る途中。
魔物をひと狩りした後。
少し空いた時間に勇者は授業で習った身体強化を体にかけてみる。
今までもある程度は扱えていた、が。
基礎から学んだことを一から試してみよう。
肉体そのものを硬化させてみる。
便利ではある…が、やはり動きづらくもなる。
体そのものが硬くなって、防御力は上がるだろうけど…
それでもうまく部分的な硬化ができたらもっと活用できるかな…今は魔力のコントロールが難しいけど。
やっぱり頑丈さを強化させるには…この肉体そのものも鍛えなくてならない。
今まで通りの素振りや基礎運動で、その根本を地道に鍛えていく、それがやはり間違いないだろう。
近道でも遠回りでもなく、着実な方法だ。
それをあらためて理解できた。
…極大以上の威力を放つには、今よりもさらに強い体が必要だろうから。
…それにしても、いまだに時たまある纏わりつく視線は何なんだろう…
学び舎だと視線が多すぎて紛れてしまうけど…
誰かつけている…わけでもないし。
詳しく調べようとすると無くなってしまうし…。
「最近、何か変わった事とかありましたか?」
「変わったこと、ですか? うぅん、特には何も…無いと思いますけど」
「…そうですか。それならいいんですけど」
「学び舎で何かあったんですか?」
「ああいえ、全く。最近だと絶世の美女という噂が広まったくらいですか」
「ああ、やっぱり。あんなに可愛いのですものね…大丈夫なんでしょうか?」
「今のところ変な輩は出てきていませんけど」
「…心配ですね。それに、あれからずっと宿舎にいますし、たまには一緒に食事をしたいですね」
「わたしも〜」
「一日くらいなら、どこかで帰ってきましょうか」
「それでしたら、村で豊穣祭がある日はどうでしょう? その日は私たちも孤児院から向かいますし。その方が町からここへ来るよりはだいぶ近いですよね」
「いいですね。そうしましょうか。村の豊穣祭まではまだ数日ありますし、日程を調整しておきます」
「わ〜、おまつりだぁ〜。たのしみ〜」
「御めかししていきましょうか?」
「わ〜いわ〜い」
翌日の昼。
「村の豊穣祭ですか?」
「そうそう、みんなで一緒に。その日はみんなで村の宿に泊まってね。先生も君の妹もすごく会いたがっていたし。どうかな?」
「もちろん行きます。私も先生と妹に会いたかったですし。あなたは毎日会っているんでしょうけど…」
少し頬を膨らませて羨ましそうな表情を見せる。
「はは、そうだ、せっかくのお祭りだから後でそのための服でも買いに行く?」
「…いいんですか?」
「この町なら色々あるだろうし、そうそう、それなら先生と君の妹の服も、良いものがあったら一緒に買おう。選ぶのは全部任せるけど」
「いつにします? 私はいつでも良いですけど」
「そうだねぇ、明日となると急だから…明後日以降、授業を午前だけにしてもらって、午後は町へ買い物に行くことにしよう」
「わかりました。私もそう宿舎に伝えておきます」
「宿舎にも?」
「…その日は帰りが遅くなるかもしれないので」
「買い物に、そんなに時間かかる?」
「…かかります」
少女は真剣な表情をしていた。
それだけの覚悟を持って買い物に挑むのだろうか。
まあそれぐらい本気でみんなの服を選ぶ、ということなのかもしれない。
その熱意に水を差してもいけないので、それ以上は何も言わなかった。




