悪魔の少女の日常
勇者たちはそれからも小さな村に立ち寄りながら順調に歩みを進めていった。
「この辺りの平原は魔物が結構出るから、一応周りに気をつけてね。今のところ見通しは悪くないけど、場所によっては森や茂みにうまく隠れた魔獣が急に出たりもするから」
そういう時は感じる視線が参考になるのだが、視線だけで何も起きない、なんてこともザラにある。
過度に過信せず、しかし注意は怠らずに…張り詰めすぎても精神を消耗させるだけ…何事もバランスが重要だった。
道中何度が魔物と遭遇するも、勇者によって難なく倒された。
あまりに早くて何をしているのかわからないことの方が多かった。
剣で斬っているのは間違いないだろうけど…
「…ここで待ってて。少し大きいのがいる」
「え? どこですか?」
私には何も見えない。
「あの森、あそこの茂み、その後ろに…見える?」
「あ!」
何かがこちらを伺っている。とても大きな獣だった。
どうして気づけなかったんだろう…
獣は上手に擬態していた。
「…こわい…」
妹はそれに気づいて怖くて震えている。
「もう見つかっているから、二人はここに」
「…はい」
「…」
パリッという乾いた音が聞こえたかと思うと、その姿はすでに無かった。
先ほどまで立っていた地面の土が抉れている。
森の茂みの奥から魔獣の大きな断末魔が聞こえてきた。
多分、もう終わったんだろう。
…とても大きくて強そうに見えたけど…
…私だけ、私と妹だったら、そのまま歩いて行って、普通にその魔獣の餌食となっていたことだろう。
そう思うと、少し身が震えた。
首を刎ねた剣を下ろして勇者は素材を集めていた。
「…珍しい魔獣だったよ」
勇者は二人の元へと戻ってくる。
手に持った袋の中には戦利品が入っているのだろう。
「この素材も高く売れるし。今日は運が良かったね」
「そうなんですか?」
あんな巨大で恐ろしい魔獣と出会えることは果たして本当に運の良いことなのだろうか。
少女はまだ少し震えていた妹と共にそう疑問に思った。
「せっかくだし次の町でギルドに少し寄ろう。さっきの魔獣、もしかしたら討伐依頼が出ていたかもしれないから」
勇者が頭を優しく撫でると妹はだいぶ落ち着いたようだった。
震えも止まり、安心した笑顔を見せている。
…妹は本当に勇者に懐いていた。
まあ…無理もないと思う。
町のギルドに立ち寄る。
やはり先ほどの魔獣の討伐依頼が出ていたようだった。
見えた限りでは、その危険度はかなり高く設定されていて、熟練した集団討伐推奨となってもいた。
「はい、確かに承りました。それから、今回の報奨金はどうされます?」
「いつもの口座にお願いします。それと、今までお願いしていた情報の件ですが、」
勇者は何やら受付の人と話し込んでいた。
「それと、これは定期情報料として受け取ってください」
「はい、かしこまりました。それでは継続いたします。いつもありがとうございます」
受付嬢は爽やかな笑顔だった。
見る限りどうやらギルドの人たちから随分と気に入られているようだった。
…お金の払いが良いからだろうか?
「随分と羽振が良いんですね?」
「ん? まあ、情報はどれだけあっても困らないから」
「でも、正しいものばかりでもないですよね? 誤情報だったら少し、もったいなくはないですか?」
「それはまあ。でも、情報の正否を判断するための知識もまた情報で得られることもあるから。嘘は嘘だとわかるためにも情報は必要だったりするしね…君たちに会えたのもこの情報あってこそだし。それに様々な知識があっても損をすることはないよ。ところ変わればまるで違うことなんていくらでもあるから」
「…それは…確かにそうですね」
情報、知識、常識。
確かに場所が変われば全く変わってきたりもする。
実際に、今私がいるこの地では、悪魔はあまり差別の対象にはなっていないようだった。
場所によって、こうも変わるものだったなんて、思いもしなかった。
自分のいた場所が世界の全てだと思っていたし、その世界から出られるとも思っていなかったから。
「あなたはどうして、私たちを買ったんですか?」
宿で妹が寝静まった後、そう尋ねてみた。
「…ん〜」
何か考えこんでいた。
「今までの様子からでも、奴隷が欲しいわけではないですよね?」
そもそも、それだったらもっと安く買えたことだろう。
「私たちである理由が何か、あったんですか?」
他の奴隷たちと違う、考えられるとすれば悪魔であることだが。
…それも、場所さえ違えば他でも良かっただろう。
「あ〜、そうだね。 …説明は…ちょっと難しいな」
勇者は考える。
君がいずれ傾国の魔術師となって世界を混乱に陥れるかもしれないから。
…そう正直に言ったところで、果たしてそれを信じられるかというと…。
無理だろう。
それに、なぜそれを知っているのか、ということにもなる。
実は未来から来て…いや、別世界の未来から来て…
それもとても信じられないだろうな。
何か誤魔化していると思われるかもしれないけど…どう言うのがいいんだろう…どう説明したものか…
「理由は…」
「理由は?」
「思いつかない」
「はい?」
「…うん。あの時あの場所にいて、君たちを見て、放って置けなくなった。じゃダメかな?」
「それだけであんなに大金をですか?」
「あ〜…うん」
…考えてみれば1000万って結構な額だったか…昔だったらとても払えないだろう。
でも今となってはそこまで驚く金額でもない。
「そう。今まで一緒にいたからわかると思うけど、お金は…今のところそんなには困っていないんだよ。たとえば今でも普通に過ごす分には何も心配することはないし」
「でもだからって…」
悪魔の少女の疑問はまだ拭えていないようだった。
「まあそんな中で競売に参加したら身寄りのない悪魔の姉妹が二人売りに出されていて、なんだかその片方がひどく悪辣な商人に買われそうになっていたから、いてもたってもいられなくなった。放って置けなくなったんだよね。それとそれなら妹と一緒の方が良いだろうと、まあそういう流れで…君を購入しようとしたあの商人の笑顔、なんかすごく邪悪だったよね?」
「…それはまあ…確かに」
確かにあの商人に買われていたら今頃…
多分自分の想像通りに、いや、それ以上に酷い扱いを受けていたのかもしれない。
そうなったら私は…どうなっていたのだろうか…
「なんだか酷い目に遭わされそうだったから、それも忍びなくてね。だからまあ、身の安全は保証するよ。これからは普通に、先生の孤児院で姉妹二人で暮らしていって欲しいと思ってる。先生の手伝いとかしながら…それと、できたら先生の事を守ってもらいたい。もちろん僕自身も全力で先生を守るけど」
…僕がいなくなった後でも、先生を守ってくれる存在が必要だったから。
「…今の私では比べ物にならないくらい弱いですけど」
「それでもね。先生は本当に、ただの普通の人間だから」
だから普通に死んでしまうし、死んだら戻ってこない。
「君たちが大きくなったら、その時は先生のことを守って欲しいと思っている」
「…悪魔である私たちに、人間の護衛を頼むんですか?」
「それは関係ないよ」
実際、先生は僕と姉さんとで変わらない愛情を持って育ててくれたのだから。
「…その先生はどのくらい大切な存在なんですか?」
「どのくらいって…家族かな。今ここにいる僕にとって、家族は姉さんと先生だけだけど」
「…家族…」
「でもこれからは、その家族に君たちも加わる予定だから。孤児院の家族として、これから一緒に暮らしていこう」
「…私たちもその中に入れてもらえるんですか?」
「もちろん」
「悪魔でも?」
「平気平気、だいたい僕の姉さんも悪魔なんだから何も問題ないよ」
「そのあなたのお姉さんはどこに?」
「あ〜、今は休んでいるのか出てこれないんだよ。僕の中にいるんだけど」
「あなたの中ですか?」
「そうそう、嘘じゃないからね」
勇者は悪魔の少女の手を取って自身の胸に当てる。
「わかるかな? まあ、わからないかもしれないけど…どう?」
「…本当…何か…私たちに近い何かを感じます…」
悪魔の気配とでも呼べば良いのだろうか。
「今は出てこれないみたいだけど、出てきたら紹介するよ」
「…なんだか…不思議な感じが……」
重ねた手が熱を帯びていく。
ハッとして手を離すと胸の鼓動が少し高鳴っていた。
「今日はそろそろ休もうか。明日からもまた歩かないとだからね」
「はい、わかりました」
眠りにつく勇者を横に、悪魔の少女は熱を帯びた手と胸を抑えてしばらく眠れなかった。
こんな風に旅に出るなんて思ってもいなかった。
ずっとどこかの町の中で過ごすものだと思っていたから。
どこかの町で、商人か誰かに買われて過ごすものだとばかり思っていた。
ただの奴隷か、商品か、きっとどちらであっても大差はないと思うけど。
寝息を立ててスヤスヤと眠る妹を見た。
今日は勇者のベットに入っている。ここ数日で、本当に懐いたみたい。
……妹とも、あの時別々に別れていたら、それきり会うこともなかったかもしれない。
歩き続ける今の旅は、確かに体は少し疲れるけど、
それでも全然、胸は苦しくなかった。
それどころか少し、楽しくもなっていた。
知らない村や町を訪れて、知らない人たちと接することが、少しだけ楽しくなっていた。
でもそれはきっと、この人のお陰なんだろうな…
私たち姉妹を買った理由は結局よくわからないままで、何かを隠しているみたいだったけど…
でも、それでも…
私は…この人と一緒なら、これからも妹と楽しく過ごしていけるような気がしていた。
「おやすみなさい…それから…ありがとうございます」
眠っている勇者に向かってそう声をかけた。
明日はどんな一日になるだろうか…明日訪れる村はどんなところだろうか。
目を閉じてまだ見ぬ未来に思いを馳せる。
少し楽しい気分のまま眠りについた。
そして夜が明ける。
それからも小さな村に立ち寄ったり、町で休んだりしながらも、ようやく目的地の孤児院へとたどり着いた。
旅の道中はこれといって何事もなく…とは言え、
魔物は普通に何度も出ていたのだが、それでも特に何事も起こることはなかった。
ずっと何かを警戒していたみたいだったけれど、魔獣に遅れをとることは全くなかった。
孤児院は小綺麗な木造りの家屋で、どこか安心するような景観をしていた。
中から出迎えてくれた女性は、私が想像をしていた以上に若かった。
妹ともどもに暖かく出迎えてくれた。
最初は少しだけ人見知りを発動した妹だったけど、気づけば秒で懐いていた。
…その穏やかな人柄に惹かれたのだろう。
先生と呼ばれるのも頷ける気がした。
自然と私たちも先生と呼ぶことになった。
見た目の歳の割に、どこか落ち着いて安心させてくれるおおらかな雰囲気がそうさせたのだろうか。
私たちを身寄りのない姉妹として何の疑念もなく受け入れてくれた。
この見た目で悪魔であることはすぐにわかったことだろう。
それでも全く、その表情は優しいままで何も変わらなかった。
私たちは先生の家族になった。
「これからよろしくね?」
「うんっ!」
妹は頭を撫でられてご機嫌だった。
「…ありがとうございます」
…惹かれている理由が少しわかった気もした。
それと、心配していた贈り物の指輪も、とても喜んで受け取っていた。
少し照れているようにも見えたけど…その感情まではよく読み取れなかった。
…もし断られたら、私が受け取っていたけど…その様子を見た限り、そんな心配は全くいらなかったみたい。
それから私たちは先生のお手伝いを兼ねて孤児院で暮らすことになった。
妹はまだ幼いので、できることは限られている。
私はその分できるだけ先生の手伝いをしようと思う。
私もそんなにできることは多くないけど…それでもできる限りのことをしたい。
あと、護衛もできるようにもならないと。
これもできることは大分限られそうだったけど…
お世話になるのだから…精一杯、頑張ろうと思う。
それからまたしばらくの時が過ぎた。
最近の勇者さんは朝早くによく出かけていた。
お昼と夕方の食事の時間にはちゃんと顔を出していたが、たまにすごい泥だらけの時もあった。
衣服に血が大量についていた時は心配になった。
勇者さんが自分でその服を洗っていた時に尋ねてみたが、本人の血ではなかったようで安心した。
昼食後の少し空いた時間に、気になって声をかけることにした。
「朝早くから、どこに行ってるんです? この間はすごい泥だらけでしたけど…」
「早朝は鍛錬と、それと狩りかな。魔物や魔獣を狩りに行ってるよ。それから場合によっては町へ行ってギルドにも行っているかな。ここ数日はその繰り返しだけど」
「ギルドのある町って…ここから結構遠くないですか?」
それだけでも一日近くかかるのではないだろうか。
「移動は別にまあ、走っていけば割とすぐだし」
? あれだけの距離を? 歩いた時にはあんなに時間がかかったのに。
「随分と…速いんですね。それならもっとはやくここにつけたんですか?」
「自分一人だったらね。でも、ピリッとするからある程度の耐電性が無いと、一緒には行けないと思う」
「そうだったんですね」
耐電性か…それだと私には多分無いかなぁ…
「それだと一緒には行けないんですね」
「まあ、本格的にダメージを負うわけじゃ無いから、一緒に行けないこともないだろうけど。ピリッとするのを我慢できるのならね」
「それって、どのくらいのピリッ、ですか?」
「そうだね…手、良い?」
「はい、どうぞ」
差し出された手を掴む。
「っ!」
ピリッとした。
「まあ、これぐらい…かな。移動するから断続的に受けることになるけど」
「っ。でも、このくらいなら…妹は…ちょっと厳しいかも…。あの、そのうちでいいですけど、私も一緒に連れて行ってもらえますか?」
「いいよ。買い物? 先生と買い出しに行く村にもお店はあるけど、確かに品揃えは限られているし、そもそもそんなに多くはないからね」
「でもあそこの村の食材は新鮮で豊富ですね。まあ、ここの畑にも新鮮な野菜がありますし、お肉はあなたが狩って持ってきてくれるので、買う必要がないのですけど」
「自給自足って大事だよね。畑仕事は、少しは慣れた?」
「はい、最初は何をどうしていいのか戸惑いましたけど、土弄りも楽しいです。収穫は妹も喜んで手伝ってますし」
「はは、それは良かった。それと、何かあったらいつでも言ってよ? さっきの買い物の話もそうだけど、今のところ基本的に狩りやギルドの依頼ぐらいしかやることないから。依頼って言っても討伐依頼がほとんどだし。まあずっと基本魔物狩ってるだけだからね」
「…気をつけてくださいね」
「ありがとう。それじゃあ、また後で」
昼食を終えた勇者はまた一狩りに出かけて行った。
洗濯を終え、乾いた衣服を取り込んでいく。
私が洗濯物を畳んでいる間、妹は先生に読み書きを教わっていた。
かたや小難しい顔をしながら、かたやそれを優しい笑顔で眺めながら。
夕暮れがかる穏やかで優しい日差しと時間の中で、手を止めてしばらく二人を見つめていた。
開けた窓からは風が入ってくる。
時間はゆっくりと、静かに流れていった。




