強くて再世界(リ・ワールド)
意識が彼方へ飛ぶ。
自分の肉体だけが取り残される感覚、
体から抜けた意識が自分自身の肉体を見つめている。
それはまるで起きていながら夢を見ているかのようでもあり…
世界からは色が無くなり、全ての輪郭がぼやけていく。
肉体も意識も消えていく…色が全て失われていく。
歪んだ世界が反転した。
透明な輪郭がさまざまな形をとって生まれる。
世界は色を取り戻し、新たな世界が再構築された。
勇者もまた姿を取り戻すと、意識が遅れて還ってくる。
勇者はその世界で目を覚ます。
目の前には、かつての記憶の中で見た景色が広がっていた。
ああ、そうだ。間違いない。
ここは自分の生まれた世界…
記憶の鏡でも見た世界。 …自分の記憶の中にも確かにある世界だ。
「…」
深く呼吸をする。
鼻腔をくすぐる懐かしい匂い。
過去の記憶が鮮明に蘇る。
…確かに帰ってきた。あの頃の…過去の世界に。
ただ、姉さんが側にいない。
同時に消えたと思ったけど…
姉さんだけが取り残された? いや…姉さんの力はかすかに感じる…
自分の中にいる。
もしかしたら、ここに来るためにその力をだいぶ消耗したのかもしれない。
何しろ、時間と空間を超えたのだから。
…とりあえず今はゆっくりと休んでいてもらおう。
胸に手を当てて姉さんを労うと、再び景色へと意識を向けた。
「…見覚えがある…多分あっちだ…」
少し先に見えたものは…ああ、紛れもなくあの孤児院だった。
でも…記憶の中と比べても妙に新しかった。
自分のその記憶は2、3歳くらいだろうが…それでもその幼い頃に見た孤児院よりもだいぶ真新しい。
扉の奥からは人の気配がしている。
…。
勇者ははやる気持ちを抑えながらその扉を叩いた。
「はいはい、あら、旅の方ですか? そんなに慌てて、どうかしましたか? もしかして魔物にでも追われていたのですか? だったら大変、さあさあ、中へどうぞ。この広い家には私以外誰もいないのですが、ゆっくりとしていってくださいね」
「…はい」
…先生が若い。
どう見ても記憶の中の先生よりも…かなり。
今の自分と比べても、そこまで年の差はないのではないだろうか?
今の先生は二十歳くらいに見える…まだ10代後半と言われても信じるだろう…
「この辺りでは見ない顔ですね。旅人ですか?」
「ええ、まあ…そうですね。 …先生も若いですね」
「先生? ああ、私のことですか? ふふ、年の近いあなたに先生と呼ばれるなんてなんだかこそばゆいですね」
「あ、すみません。ええっと」
「構いませんよ。遠縁からこの孤児院を引き継いでまだ間もないのですけど…もしかしたら私もここで子供たちの世話をすることになるかもしれませんし…その時はその子達に先生と呼ばれるかもしれませんね」
「それなら、先生と呼ばさせてもらいます」
「はい、どうぞ。ちょっとした予行練習ですね。好きな場所へ腰掛けて待っていてくださいね」
勇者は若く元気な先生の笑顔を見てたまらずに顔を背けてしまったが、言われるままに中へ入ると、そこには懐かしい部屋の景色が広がっていた。
「どうぞ、飲み物です。気持ちが落ち着きますよ。 …それにしても、魔物だとしたら怖いですねぇ。何しろここから村までは少し距離がありますし。その道中に出会いでもしたらと思うと…」
「大丈夫です。魔物ではないですから…でも、この辺りには魔物が出るんですか?」
自分の記憶では魔物はそこまでいなかった気がするけど…
「ああいえ、ほとんどいません。ただ、森の中には少しいますね。だからあなたも夜は出歩かないほうがいいですよ。もうすぐ夕暮れですし、今日はここに泊まっていってくださいね」
「…はい。先生がそれで良ければ、そうさせてもらいます」
「ふふ、素直でとてもよろしい。 …どうです? 先生らしいでしょうか?」
先生は悪戯っぽく微笑んでいた。
「…ええ、とっても…」
勇者は先生のみせる笑顔にたまらずに目線を下へと向けた。
若くてもやっぱり先生は先生だ…気を抜くと涙が溢れてしまいそうだった。
「?」
「ああ、その、何でもないです。 …えっと…その、似ているんです。先生が…その、自分を育ててくれた人に…とっても…だからその…少し懐かしくて…」
嘘は言っていない。ただ、似ていると言う以上ではあったのだが…
「…そうだったんですか。その人は今」
「…もういません。だからすごく懐かしくて」
今の先生はあの先生ではないと言うことは…わかっていた。
ただ…それでも、やっぱり本当に瓜二つで…
僕たちの過去の先生じゃないのだとしても…
どんなに若くても、先生は先生なんだから。
「…そうだったんですか。 …あなたが良かったら、気のすむまでここにいてもいいですからね?」
「それは…」
「遠慮しないで、ほら、ここは私一人しかいないでしょう? 男手があると私も助かりますし。あなたがまた旅に出る時まで、それまではね?」
「…ありがとうございます」
勇者の目からは一筋の涙が流れていた。
先生はそれを優しい眼差しで見守っていてくれた。
…ああ、力になりたい。
今の自分にできること、その全てで。
目の前にいる、先生の力になりたい。
あの頃にはできなかったことを…。
その後は先生の作った手料理を食べて、あてがわれた部屋で早めに休むことにした。
「おはようございます」
「あら、おはようございます。随分と早いですね? 朝食はもう少し待っていてくださいね」
「何か」
「はい?」
「何か、僕にできることはないですか? 何でも…本当に、何でも遠慮しないで言ってください。しばらくお世話になるつもりですし…その、今まで旅をしてきたので、たいていのことは一人でもできるつもりですから」
「まあそれは頼もしいですね。私とそう変わらないように見えるのですけど、そんなに長く旅をしてきたんですか?」
「…いろいろな世界を見てきました。 …その力を、役に立てさせて下さい」
「まあまあ…ここではゆっくりしていってくださいね? …なんだか、変ですけど、あなたは他人とは思えなくて…あらごめんなさい。まだ昨日今日会ったばかりなのに不思議ですね」
「…嬉しいです。本当に…本当に」
「そう?」
「はい、だからその…遠慮しないで何でも言って下さい」
また込み上げてくる涙を堪えながら勇者は真摯に尋ねた。
「そうですねぇ、それじゃあ…」
勇者は水汲みを終えると、薪を拵えるために近場の森へと向かう。
道中、危険だと思われた魔物はついでに狩っておいた。
薪を切りながら、勇者は今後のことを考えていた。
…やはり今は自分が生まれる前。
先生の容姿から考えて、それも結構前だと想像できる。
自分と姉さんがこの孤児院に来るのはまだそうとうに先の話になるだろう。
…しばらくは先生に危険が迫るようなことはないはず。
となると、今はどう動くのが正解なのか…
このまま先生を守りながらここで過ごす?
それでもいいか…でもいつまでこの世界にいられるのかわからない…。
僕の中で眠る姉さんの目が覚めるまでは詳しいことが何もわからない。
それでも今、とりあえずできることと言ったら…
勇者は手早く薪割りを終え、先生に少しの間出かけることを伝えた。
「どちらに出かけるのですか? ああごめんなさい、少し気になっただけですから。もう旅に出るのかと思って」
「いえ、本当に少し出かけるだけです。目的を果たしたらすぐにまた帰ってきます」
「…そうですか。それを聞いて安心しました。いつでも帰って来て下さいね?」
「…はい。いってきます」
「気をつけていってらっしゃい」
優しい笑顔で先生は見送ってくれた。
…何があっても絶対に、先生のことは守る。
それを最優先事項として固く胸に刻んだ。
考えられる懸念を払拭するには…
今、思いつくできる限りのことを。
確か、この世界の魔王はまだ生きている。
それを蘇らせようと傾国の魔術師はあのような残忍な行動をとったのだから。
それなら、まずやるべき事は…
勇者は雷を纏うと、爆速で暗闇の洞窟へと訪れた。
閉ざされた扉の前まで来る。
…当然封印を解くための勇者の剣は手元に無い。
その扉は硬く封印されたままだ。
ただ、それでも関係ないことだ。
ー雷魔法 極大ー
勇者の放つ極大の稲妻が落ちる。
それは扉を封印もろとも破壊した。
見上げると洞窟内から空が見えた。洞窟内には陽の光が差し込んでいた。
勇者は消え去った扉の奥へ入ると、魔王の封印されている壺を見つける。
やはりそれは禍々しい瘴気を放っていた。
魔王はこの中で今もまだ生きている。
その復活の時を待っているのだった。
勇者はそれに向けて再び極大の稲妻を呼んだ。
幾度も、幾度も。
魔王の壺は跡形も無く消え去った。 …中にいた魔王もろともに。
これでこの世界で魔王が復活することはもう無い。
「…とりあえずはこれで」
勇者は目的の一つを果たし、少しだけ晴れ晴れした気持ちで孤児院へと戻った。
暗闇の洞窟があった場所は、底の見えない巨大な穴ができていた。
その後、かつての暗闇の洞窟は底無しの穴と呼ばれるようになったらしい。
後は…
ひとまずは思いつく限りの身近にいる危険な魔物を全て狩ることにした。
…本当はあの王のいる国に行こうかとも思ったが…今はまだ何もしていないのだと思い直し、
先生の待つ孤児院へと戻ることにした。
「おかえりなさい。帰りが遅くて少し心配しました」
「心配をかけてしまってごめんなさい」
「いえ、そんなに謝らなくてもいいですから。出かけることはちゃんと聞いていましたし。ただ、本当に帰ってくるのか…少しだけ心配になったもので…だってあなたは旅人なんですものね?」
「…はい。いずれはまた旅に出ると思います。でも、それまでは先生と一緒に…できる限りここにいたいです」
「…それなら、戻って来た時はただいま、ですね。ここが今のあなたにとって、帰る場所なんですから」
「そうですね。 …えっと…ただいま」
少しだけ気恥ずかしくなりながら。
昔は特に何の気持ちも抱かずに言っていたと言うのに…
「はい、お帰りなさい。そうそう、夕飯は食べますか? それとも、もう食べて来ましたか?」
「いただきます。ちょうどお腹が空いてました」
勇者はお腹をさすりながら晴々した笑顔で答えた。
「ふふ、そうですか。それなら一緒に食べましょうか」
「はい、手伝います」
勇者は先生と一緒に夕飯を食べた。
先生は遅くまで食べずに待っていてくれたのだろうか?
今日はジャガイモのスープが絶品だった。
これからも先生の手料理が食べられると思うと胸が弾んだ。
「ごちそうさまでした」
「はい、ああ、片付けは私がやりますよ」
「いえ、手伝います。それと、とても美味しかったです」
「ふふ、そう言ってもらえると、作った甲斐がありますね」
「先生の料理は、いつも、いつでも美味しいです」
「あらまあ、そんなに気に入ってもらえたんですか? それにそんなに褒められると少し気恥ずかしいですね」
先生は少し頬を赤らめて小さく笑った。
もっともっと、言っておけば良かったんだ。
先生のご飯がおいしかったこと。
先生の作るご飯が大好きだったことを。
寝室に入り、勇者は次の行動を考えながら目を閉じた。
魔王はもういない。
とはいえ、それで争い事が完全に無くなるわけではないだろう…
傾国の魔術師はまだどこかにいる。
ただ…おそらくはまだ傾国の魔術師にはなっていないのではないだろうか。
ただの悪魔の一人として…この世界のどこかに…あの占い師の少女と姉妹だった。
先生の年から考えても…悪魔だとしても…二人はまだ小さいはず…
もしかすると今はまだ奴隷として…
翌朝、少し離れた街へと向かう。
冒険者ギルドに登録をするためだった。
まずは資金の確保が必要だ。
ギルドに貼られた魔物の中でも比較的賞金額が高いものを厳選して狩っていく。
今となって難易度は深く考えなくてもいい。
少し離れた場所でも…十分な時間がある。
まる一日魔物を狩ることもあれば、日を跨ぐ時もあった。
もちろん日を跨ぐ予定の時は先生にその旨をちゃんと伝えることを忘れずに。
一緒に食事を取れないのは僕自身とても残念だったが、
まずは何より目的のための資金を確保しなくては。
先生も帰りが遅い時は心配な様子が顔に出ていたけど…。
「こう見えて結構冒険慣れしているんです。だから大丈夫。先生のほうこそ、遠くに出かける時は声をかけて下さい。僕が一緒について行きますから」
「そうですか? それなら街へ行く用事ができた時はお願いしますね」
「もちろんです。遠慮しないでいつでも言ってください」
他の予定を全て取り消してでも一緒に行きます。
しばらくは魔物を狩り、それをギルドに持っていく。
素材を売り、資金を貯める。
資金の一部を情報に長けた者に渡しながら、各地から情報を集めていく。
短期間で数多くの魔物を狩ったこともあって、冒険者としての名も売れてきたようだ。
まあ特に難度は無視して金額優先していたから。
その中には普通ならとても一人では挑めないような魔物もいたのかもしれない。
昔の自分だったらそうだろうけど。
今苦戦するということは特に無かった。
「わぁ…ドラゴンじゃないですか…ええ、確かにギルドとしては討伐依頼は受け付けてましたけど…それはここじゃなくてもっと大きな街とかの…いえ、お疲れ様でした。報奨金をどうぞ。それから、依頼されていた件ですが、情報が少しだけあります、今聞かれていきますか?」
「うん、聞かせて」
「それでは奥へどうぞ。別室にてお聞かせしますね」
ギルドの奥へと案内される。
その中に情報に長けた身なりをした人物が立って待っていた。
ギルドから紹介された人物から情報を集める。
その時の情報料は惜しまずに支払う。
もちろんギルドの受付嬢にも惜しまない。
それによって自分に対する優先度が次第に上がっていくのを強く感じた。
自分の拠点とした街はそこまで大きくはないものの、各地のギルド同士は繋がりが強いのもあって、
時が経つにつれて手に入る情報の質も量も増えていった。
受付嬢もギルド長も真っ先に情報を回してくれるようにもなっていた。
それでも何回も情報の空振りを経験したものだったが…それでも決して諦めずに、地道に情報を集め、魔物を狩り資金を貯め続けた。
…そしてある時ついに有力な情報をつかんだ。
「ああ、君の依頼。奴隷商人だがね、それも悪魔の女の子を売っている人物だったね? ようやくリストが手に入ったよ」
「…結構多いんだね」
ざっと目を通す。
「まあね、この街ではそれこそ奴隷ってのはそこまで大した商売になっていないが、街によってはね。大きな街ではそれが主要になっているところもあるぐらいだ。それこそオークション形式で」
「そう言ったものが近々開かれる予定は?」
「…まあ、なんだ」
「はい、今回の情報料として受け取って」
先ほど得た賞金を惜しみなく手渡す。
「…こんなにか。いや、毎度のことながら、俺が言うのもなんなんだが…君からの情報料は高すぎるぞ」
「惜しむ以上に今は情報が欲しいからね。それで余るようなら次の手間にでも使ってよ」
「…君にはかなわんね。まあ、それでさっきの話の続きだ。奴隷のオークションが近々、某港の町で開かれる予定だ。 …そこで何でも悪魔の姉妹が売りに出されるらしいな。妹の方はまだ相当に幼いみたいだが…まあ物好きな連中はどこにでもいる。 …買い手はすぐにつくだろう」
「港町か…ここからは少し遠いけど、まあ問題ないか」
資金も…まあ多分問題ない。
「行くのか?」
「そのために今まで情報を集めていたんだからね。まあ、思い違いの可能性もあるけど。その時はまた頼むことになるかな」
「…こちらとしてはその方が金になるんだがな。まあ、お得意さんであるのには違わない。いつでも言ってくれ」
「助かるよ。それじゃ」
勇者はまず孤児院へと帰ることにした。
「お帰りなさい。ご飯できてますよ」
「ただいま。ご飯を食べ終えたらなんですけど、今度少し港町に行こうと思います。数日帰れないかもしれませんが、用件さえ済んだらすぐに戻って来ますので。先生にもし出かける予定があるのなら、今のうちに教えてもらえると」
「う〜ん、今のところ私の方には予定はありませんね。大丈夫です。それにしても、港町までですか…ここからだと、結構遠くになりますね。お弁当、作りましょうか?」
「ありがとうございます、もちろん頂きます」
「ふふ、その前に、まずはご飯にしましょうか? すぐに用意しますね」
「僕も手伝います」
食事を終え、先生からの手作りお弁当を持って港町へと向かった。
奴隷商人が開くというオークションに参加するために。




