最初の悪魔
勇者の内部にて。
氷姫は絶望していた。
外に出られなくなったばかりか、勇者との会話すらままならなくなっていたからだ。
「…もうお終いです。何もかも…」
氷姫は途方に暮れていた。
ただその場に跪き、祈りを捧げていた。
「神が何に祈ってんだよ? いや、別に消えたわけじゃねぇし、今だけだろ? まあ勇者がどこに行ったとか、何をしているのかはわからねぇけど」
火神はさっきからずっと絶望している氷姫の事を多少は気遣っているようだった。
その様が鬱陶しいだけだったのかもしれないが。
「私も外にいたままだったら危なかったですね。まあ、弾かれて大陸に残されていただけかもしれませんけど」
人間サイズにまで力を戻した土神もその場にいた。
「オマエ、いつの間にかサラッといるけど、その大きさ、だいぶ回復したのか?」
「まあ、ほどほどには回復しましたね。前ほどの大きさになるにはもう少しかかるでしょうけど」
「じゃあなんでずっとあの小さいサイズでアイツの肩にくっついてやがったんだ?」
「…よくわかりませんね。そんなことより、私たちのこれからを考えましょうか」
「コイツ…。まあいい。そうだな、アタシもこのまま何もできないのは退屈でしょうがねぇ…かといって、アイツと何も通信できねぇんじゃなぁ。加護はちゃんと働いているみたいだが、それだけじゃ正直ツマンネェ…」
「…うう、こんなことなら私も力を蓄えないでもっと外に出て勇者様と親睦を深めるべきでした…ああ、なんという…不覚、無常…この世には神も仏もいないのですね…」
「神はオマエだろうが」
「…あの世界とは別の大陸に転送されたからなのか、何か特殊な事情があるのかわかりませんね。ただ、実際にこうして何もできないわけですし。 …そうですねぇ、ここからでも何かできることとなると…うぅん…」
「…あ、そういえば…確か、勇者様にはお姉さんがいらっしゃるとか?」
「自称姉らしいですけどね。まあ、そのことを思い出してから、少し様子が変わりましたし、一人称を僕と呼ぶようにもなりましたしね」
「そんな勇者様も可愛らしくてとてもよろしいですね」
「いやそれはどうでもいい、で、その勇者の姉だったか? ソイツは確か勇者の中…つまりアタシたちと同じココにいるんだよな?」
「そうらしいですね。なんらかの加護を与えているとも思いますし。 …ただ、私たちのように神ではないですよ? 悪魔らしいですからね」
「悪魔か。まあなんだ、より一層面白そうだな。ちょっと探ってみるか」
火神は周囲に魔力の波を張った。
…うぅん…あんまりわかんねぇ…でもまあ…確かに、いくつかの神の気配とは異なった何かがある。
「…随分と深いところにいるな」
「おそらく一番初めに加護を与えた存在でしょうからね。それからずっと一緒にいたのでしょうし」
「それはなんとも羨ましい限りですね。私も勇者様の一番になりたいものです」
「…行けなくもない、か?」
他の神々のように扉があるわけではない。
おおよその場所は把握したが…
「あまり乱暴な移動はやめたほうが良いんじゃないです?」
「…まあ、そりゃそうだが…」
「いくら内部といえど、勇者様への狼藉は許しませんよ?」
「いや、いくらアタシでもさすがにしねぇよ」
「…悪魔のところへ行きたいのですか?」
突如後ろからか細い声が聞こえた。
三柱の神が振り返ると、そこには見たことのない女性の姿があった。
病んでいるような顔色をした、美しいがなんとも覇気の無い姿をしたか細い…
「…誰だ?」
「…すみません。柘榴のお礼を…と思いまして。とても美味しかったものですから…」
「ああ、となると、もう一柱の氷の神か」
「…はい。私が扱うのは冥界の氷ですので、被ってはいません…多分…ふふ…だから別に…捨てられたわけじゃないですよね…ふふふ」
その笑顔には過分な病み(闇)が入っていた。
その目元は暗く深く、しかし儚い美しさをまとってもいた。
「…それで、悪魔の場所に行けるのか?」
「…案内だけで良いのでしたら。 …私も古い方ですし…それなのに…忘れて…ああ、いえ、何でも。道くらいは…ふふ。何も問題ありません。 …いきますか?」
「折角だ。頼むぜ」
「それではどうぞこちらに…」
冥界の氷神の後ろについて悪魔の元へと向かう。
案内を終えると役目を終えたとばかりにすぐに消えていった。
悪魔は静かに眠っていた。
体には荊のようなものが巻きついている。
その体型は幼いままだが、しかし、その内部に感じられる力は…決して小さくはない。
「…ただの悪魔じゃねぇな。むしろ、外見と関係なく成長している。程度の水準はアタシたち神と比べても遜色ないどころか、推し量れねぇ部分もあるな」
「でも、その割には随分とおとなしいですね」
「…この状態で…ずっと寝てるのか?」
「もしかしたらお腹いっぱいになって寝ているのでは?」
「…そんなことあるか?」
「だってずっと食べ続けているわけですしね?」
「…起こしてみるか?」
「…うぅん、まあ、どうでしょうね」
「それにしても、確かに勇者様にどことなく似ておりますね」
「…そうか? アイツの髪は黒いけど、この悪魔の髪は白髪だぞ?」
「見た目の話では無いですし。雰囲気というか、気配の話です」
「何なんだよ。アイツが悪魔とどこか似てるか? むしろ対極じゃねぇか?」
「たった一人のために健気に働いているところなど、でしょうか? …まあ、それはどちらかというと私のことでしたね」
「ほざいてろ…まあいい、起こすぜ」
火神は悪魔に反応を促すため、音を出したり、軽く触れてみるも、
…反応はない。
「…ダメだな。起きるのかコレ?」
「…物理じゃダメだとなると、ああ、そうです。勇者様の話をいたしましょう」
悪魔はわずかに反応した。
ように見えた。
「今動きましたよね?」
「…」
悪魔は瞳をとじて動かない。
「それでは、まず勇者様の素晴らしい点を私から…」
氷姫の勇者に対する惚気話が始まった。
真実かどうかは問題ではない。大切なのはそこに想いがあるかどうかだった。
「…何? さっきから黙って聞いていれば。私の方が全然詳しいけど?」
悪魔が目を開ける、その目は紅の瞳をしていた。
「…白髪にウサギのような赤い目。やっぱりアイツには似てねぇだろ」
「ふぅん、見たところ貴方たち、神よね? …私を起こしたりして。何のつもり?」
「いや、まあ、正直ただの暇つぶしだったんだけどな」
「勇者様のお姉さまに挨拶したく馳せ参上いたしました、勇者様の氷姫と申します。どうぞ末長くよろしくお願いいたしますね」
「…何、それ? 私の弟は誰にもやらないけど?」
「…うわぁ、さすが悪魔ですね。独占欲強そう」
「で、挨拶の他に何か用事でもあるの?」
「その茨、自分では解けないのか?」
「…関係ある? 別に解く必要ないし。最近ずっと寝ていて、久しぶりに起きたら目の前に神とか…嫌になるわね。ふぁあ…用事がないなら帰ってもらっていいわよ? それじゃあ、折角目も覚めたし、私は弟の為に働かないと」
「何かの封印を食べた影響だなそれ? いいぜ、何ならアタシが燃やしてやるよ」
「へぇ…」
「その代わりと言っちゃ何だが、オマエもアタシたちと一緒に来ないか?」
「…神と一緒に? 悪魔の私が?」
「そんなの良いだろ別に。アイツに加護を与えている者同士、仲良くしようぜ?」
「本当の狙いは?」
「その方が面白そうだから」
「正直ね。 …少しだけ気に入ったわ。いいわよ」
火神はその炎で荊の封印を解いた。
「…結構強い封印だな。でも、どう考えてもオマエに解けないって程じゃないだろ?」
「私の力は全て、大切な弟の為に使いたいの。私にかけられた封印なんかに使う気はないのよ」
「…何という素晴らしい愛…悪魔といえど、侮れませんね」
氷姫は悪魔の勇者に対する深い愛情を察した。
「この場所から動くのは初めてね。 …ああ、早く弟の力になりたいわ」
体をほぐし終わる悪魔の瞳は爛々と輝いていた。
「折角だから、言っておくけど。私は弟のためにならないことには興味が無いから。それと、必要ないものは全部、全部食べちゃうからね? それがたとえ、何であっても」
悪魔は微笑む。
「…それがオマエの技能か?」
「技能? ああ、能力の話? まあそうね。その中の一つと言ってもいいかもね」
「どのくらいあるんです?」
「さあ? たぶん72個くらい?」
まだ使えないものもあるけど、と、そう付け加えながら、冗談めかしてそう言った。
悪魔は体から無数の線を放った。
線は空間を透過して広がっていった。
「…今、何したんだ?」
「ああ、別に気にしないで。貴方たちには何も影響ないから。弟が今何をしているのか視えるように…視覚と聴覚にちょっと繋げただけよ」
悪魔は片目を閉じる。
「…ふぅん、誰? まぁた、知らない子…まあいいわ。 これだと顔が見れなくて残念だけど…ふふ、それじゃあお姉ちゃん、ますます頑張っちゃうね? 大切な大切な弟の為に…」
悪魔は片手を頬にあてながらうっとりと微笑んでいた。
「…本当に起こしてよかったんです?」
土神は悪魔の様子を見て思わずそう口にしていた。




