魔王襲来
森の先に草原の広がりが見える。
魔女の家からどのくらいの距離を歩いたのだろう。
話しながらだと、そんなに時間も長くは感じない。
「案内は森を抜けるまで、もう少しだね。町へ向かうならこのまま道沿いを進むといいよ。まだまだ先だけど、道は繋がっているから」
「ありがとう、助かったよ」「楽しかったよ、元気でね」「名残惜しいですけれど、また」
もう間も無く、森を抜ける。
「…あ〜、でも、そう簡単にはいかないかも…」
エルフの様子が少し変だった。
「先ほどの力、貴様たちだな?」
上空に、誰かいる。
小型の竜に乗った、人? いや、見た目はともかく、気配は魔物に近い。
「…知り合い?」
エルフは曖昧な表情をしている。
「…まあ、全然知らないわけじゃないんだけどね、うん。 …魔王だよ」
「我はこの大陸を統べる魔王である」
腕組みをしながら声高々に宣言する。
見た目は人間の女性。服装は赤いドレスのようなものを羽織っている。
ただ、人間と違うのは頭にツノのようなものが見える。
もしかしたら、他にも違う場所があるのかもしれない。
「はじめは海だった。しかしこの地にはそこのエルフや、古代の竜がいた。気にはなったが、そこまででもなかった。 が、先の魔力。あれは捨て置けんのだ。捨て置くには巨大すぎる力なのでな。下々の反対を押し切って我自身が直接調査に、その原因を見に来たと言うわけだ」
上空から微動だにせず、しかし視線をそらすことも無く言い放つ。
「…魔王一人できたのかい?」
「側近を二人連れてきている。すぐに来るだろうよ。我はこちらを張っていてな。うむ、我の大当たりだったようだな!」
得意げに反り返る。
ただ、その視線はこちらをじっと見つめたままだ。
「…して、貴様。 …勇者だな?」
「…まあ、うん」
「いや、言わずともわかるぞ。その出で立ち。力の奔流。たまらぬ。見ているだけでもうたまらぬほどだぞ。我が来て正解だった。まさに! その力! ああ、一体どれほどの歳月が流れたのか。かつては勇者もいたと聞く、しかし先代、先先代のその前ですらその存在はなかったと聞いた。それが、今、まさに! この我の目の前に立っているではないか!!」
その瞳は妖しく爛々と輝きを増していた。
「勇者! 勇者よっ!! 久々だぞ!! 我をここまで昂ぶらせるものは!! 我は勇者を求め、勇者もまた魔王を求めている!! くはっ、ああ、そうだったのだ!! そうでなければならない!!!」
一人で悶えながら震えている。しかし相変わらず視線はこちらをじっと見つめたままで。
「…話を聞かないタイプじゃないですの?」
「なんかそんな感じだね。 …まあ、お前も似たようなものだと思うけど」
白と黒の姫たちがヒソヒソとそう話していると、
「ま、魔王様〜」
遅れて何者かが小型の竜にまたがってやって来た。
「おお、来たか、見ろ! 勇者だ、勇者がいたぞ! 我の言った通りだっただろう!!」
「ほんとですか〜? あれは仕事から逃れるための方便だったんじゃ…本当だ。あのエルフ、は見たことありますけど、ほかの三人の人間たちは初めて見ますね〜。そしてあの人間…力が溢れてますぅ……ちょっと、ううん、すごく美味しそうですぅ…」
黒いローブに包まれていて姿は見えないが、その瞳は怪しく輝いていた。
「魔王様! 本当にいたんですか! おお、アイツが。あの力の元ってわけか。ふぅん、確かに、ありゃ強ぇなぁ。ああ、今すぐにでも戦りてぇ」
同じく黒いローブをまとっていたが、顔立ちだけみれば妙齢な女性の人間そのもの。ただ、頭の上に犬のような耳がある。ローブの膨らみから見ておそらく尻尾もあるのだろう。獣人というものだろうか。
「お前たちは手を出すなよ。 我がやる! 知っての通り、メインディッシュは最初に食べるタイプなのでなっ!!」
赤いドレスの女は小竜から飛び降りながら叫んだ。
「…どうする? 逃げるというなら森に入ればある程度は撹乱できると思うけれど」
エルフはたずねる。あの三人から逃げ切るのは難しいかもしれないが、森の中であれば、それも可能だった。
「…いや、いいよ。魔王と戦うつもりはなかったけど、これも何かの縁だろうし。話し合う為にも、まずはわかりやすく…向こうが望んだやり方で。 …二人は一緒にいて、少し下がっていて欲しい」
「うん、気をつけてね」「気をつけてくださいまし」
「…ほう、一人か。 いい! いいな! 我は大勢が相手でも一向に構わんぞ! 我魔王故な。いつでも加勢してもらっても構わん!」
初めて視線を後ろへ逸らす。二人の姫を見ていた。
「自分だけでいいよ。そのかわり、できればそっちにも邪魔はしてほしくないな」
お互いに、やるなら、一対一で。暗にそう伝えた。
「…いいだろう。おい! お前たち! 降りてこい!!」
「はい〜」
「はっ」
「お前たちも今はただの観衆だ。戦うでないぞ? さあ、あっちに行ってせいぜい見て楽しむがいい。我と勇者の戦いをな!!」
「うわ、こっちに来た」
「どうも〜、魔王様側近の一人、教育係もしています〜。よろしくお願いしますね」
「俺も同じく。魔王様側近の一人、見ての通り獣人だ。好きなものは戦い、後は強いやつは種族問わず好きだぜ。よろしくな!」
にこやかに挨拶をする二人。
「ボクは黒姫、こっちは白姫。まあひとまずは、お互いに何もしない」
「…御機嫌ようですわ」
「私は紹介するまでもないだろうね、知らない仲でもないし」
それを警戒する三人の姿。
「さて、それじゃあ始めるとしようか! 先ほどから体が疼いて仕方がない!! もうこれ以上の我慢は体に悪いのでな!!!」
魔王の拳が淡く光ると同時に距離を詰めて来る。
あっという間に眼前に現れ、その拳は勇者へと、
「!」
勇者はそれを剣の柄で受ける。
と、同時に後方へ飛ばされる。ただの打撃ではない。
拳に込められた魔力によってその威力、衝撃は何倍にもなっている。
「はっ! 器用なものだ!」
「…武器はない?」
「我にとっての獲物はこの拳!! もとよりこれが十全!!!」
「そう、か!」
互いに相譲れぬ攻防の応酬。
魔王の拳を、勇者は剣で捌く。
その度に鈍い音と衝撃があたりを震わせていた。
「はははっ!! ああ! 楽しいなぁ!! ああ、これが!!! これが我が望んでいたものだ!!! 望んでいたものだったのだ!!!!」
「それは、何よりだ、ね」
速さと力が増していく。
より速く、より強く、魔王の昂りとともにその魔力も高まっていく。
「うわぁ、魔王様、楽しそうですぅ」
「そりゃそうだろうよ、あれだけ暴れられりゃあな。ここ数十年はまともに戦ってないんだぜ。そんな暇もなかったしな」
「でもあの人間もやりますねぇ…あの様子だとやっぱり本当に勇者なんでしょうねぇ…あぁ、美味しそう…」
「おい、よだれ出てるぞ。勇者か。俺も会ったことねぇからなぁ。先代に仕えていた時も、その前も勇者なんて会ったためしがねぇ。なあエルフ、そういえばお前はどうなんだよ? 会ったことあるのか?」
「普通に話しかけてくるね。 まあ…無いねぇ。少なくとも私の記憶には無い。でも、言い伝えではかつてはいた、と、そう聞いたことはあるよ。それも遥か昔のおとぎ話のようなもので、ね」
「まあ、その辺はこっちもかわんねぇな。伝説だの何だのと、今となっちゃ確かめようもねぇ」
「なんか普通に話し始めてるぞ」
「…わたくしたちがおかしいんでしょうか?」
「勇者! 勇者!! くくく、あはは、ああ、勇者!!!」
魔王の魔力が気持ちの昂りと比例するかのように更に高まっていく。
「この力、ああ、そうだ。覚えている。この力を、我は、覚えているぞ!! 我は、まだ、まだまだ。これ以上!! ああ!! この感覚だ!!」
黒い魔力を帯びる。
「これが、我の力。魔王の力の一端である!! 我の!! 受けてみるがいい!!!」
闇魔法 雷冥
ードゴァァアァアアー
轟音とともに黒い稲妻が落ちる。
「!!」
わずかに残る体の痺れ。
すぐさま回復魔法を施し体制を立て直す。
「…黒い雷光か」
「くくっ、これでも耐えるか!! そうでなくては、そうでなくてはなぁ!!」
再び黒い魔力を纏う。先ほどよりも威力は更に上。
「…それなら」
魔力を手に集中、魔王の黒い魔力めがけて…
雷魔法 強
ーゴゴォアアアッドゴォアアア!!!ー
白と黒、互いの雷光が入り混じり交差する。
「…くく、あはは、あははははは」
「…あつっ」
互いにその身から煙が出ていた。
「痛み、久しい感覚だった。ああ、こうでなくては!!! 戦いとは、こうでなくては!!! 楽しくなって来たぞ!!!」
魔王の気力は些かも衰えない。
「…まあ、確かに」
確かに、楽しくなって来た、かもしれない。
自然と勇者もまた僅かに微笑んでいた。
「笑ってませんこと?」
「笑ってるな、ちょっと羨ましいぞ」
「それは戦っていることがですの? それともあの魔王に対してですの?」
「…どっちも、かな」
白姫は戸惑い、黒姫は複雑な表情をしていた。
勇者と魔王の攻防は更に続く。
それはまるで最後の戦いであるかのような、
そんな気配さえ感じさせるほどの熱量を帯びていた。
「わたくしたち、これから最初の町へ向かうんですよね?」
「うん、そうだな。楽しみだぞ」
「なんで魔王と戦っているんでしょう?」
「…なんでだろうな」
「…しかも最後の戦いかのような様相なのですけれども」
「…なんでだろうな?」
戦いは更に続く。
魔王が攻め、勇者がいなす。
勇者が攻め、魔王が応える。
その応酬がどれだけ続いただろうか。
それでも互いに止まる気配はない。
「…これならどうかな」
ー氷魔法 中ー
「むっ!」
魔王の足元を氷が覆う。
その冷気は膝下までを凍らせる。
「ふふん、面白いことをしてくれるな!」
気合一閃、足元の氷もろとも砕け散る。
「…」
勇者はそれを見て考える、
(効果は薄い、か。でも、全く効かないというわけでもない…)
「ふふん、それで終わりか?」
「…いや、まだまだこれからだ、よ」
「そうでなくては、なぁ!!」
お互いの力が再びぶつかり合う。
「なあ、これきりが無いんじゃねぇか? 魔王様にしろ、あっちの勇者にしろ、全然疲れる様子が見えないんだが」
「…そうですねぇ、ちょっと困りますね〜。私たち、休憩時間に出て来ただけですしぃ。魔王様だってまだまだ仕事が残っているんですから〜」
「そうだよな。あんまり遅くなると俺たちがとばっちりを喰らいそうだしな。魔王様が楽しそうにしているのはいいが、それはそれとして、な」
「う〜ん、でも、今の状態の魔王様だと、絶対に説得なんて聞かなそうですよ〜」
「…だろうな。まあようやく日頃のストレスを発散させられてるんだろうぜ。 …その格好の相手が見つかったんだからな。まあどの道俺には今の魔王様を止めることなんてできねぇけどな」
「…私だって無理です〜。せめてもうちょっと落ち着いてもらえたら…」
更に幾度かの攻防が過ぎた頃。
「…ふぅ。だいぶスッキリ、いや、勇者よ。流石に疲れてきたんじゃないか?」
「…どうだろうね」
「まだまだ平気、というわけか」
「それはそちらも同じだろう? それとも疲れたのかな?」
「ふん、我に向かって、ぬかしよる」
疲労が僅かに見える、というのはあながち間違いではないだろう。
無尽蔵と思える体力でもやはり限りというものはある。
「…そろそろ試し時か」
「むっ」
魔王は勇者の気配が変わったことを察する。
何かをするつもりだと、そう本能が警笛を鳴らしていた。
雷魔法 単体 大
ーゴォォォォォオオオオオオオー
それは一筋というにはあまりに大きな一本の稲妻だった。
「ぐっ、かはっ。ぐぅ」
「…」
紛れもなく効いていた。
「この、ぐらいでは、我は…」
動きが止まればそれでいい。
すぐさま追撃を放つ。
氷魔法 単体 大
ーヒュォォォオオオー
「なっ!」
足元をつたわる氷は瞬く間に全身を覆う。
そしてそれは巨大な一個の塊となる。
真ん中に魔王の姿を残して。
「…少なくとも、しばらくは無理だろうね」
その様子を見て勇者はそう呟いていた。
それを外野一同は驚愕とともに見ていた。
「魔王様〜!!」「魔王様!!!」
二人の従者は急いで魔王の元へと向かう。
「あ〜、これは、ダメですね〜。しばらくは溶けそうにないです。魔王様が内側から頑張ったとしても、時間かかりそうですね〜」
「なんつーでけぇ氷の塊だよ。こりゃ骨が折れるぞ。流石に俺たちだけじゃ無理だなぁ」
「…戻ると約束してくれるなら、解けないこともないけど、どうする?」
「…あ〜、はい。お願いします〜。実は魔王様、仕事がまだ山積みで残っているんですよ〜。だから、はい。できたらお願いしたいな〜…あ、もしかしてあなた様が変わって魔王になると言うのでしたら、話は全然変わって来ますよ〜?」
「おぉい、何勧誘してるんだよ。彼は勇者であっても、ボクの騎士なんだからね!」
遅れてきた黒姫たちも会話にまざる。
「えぇ〜、だって〜。魔王様を倒せるほどの強者なら、私たち魔族だって喜んで従うと思うんですよ〜。私は喜んで従います〜けど〜?」
何やら雰囲気が最初の頃と変わっていた。
「…まあ、確かに俺たち魔族にとっちゃ力が正義なところあるからな。その選択肢はないこともないぜ。俺も歓迎はする。俺も魔王様みたいにお前と戦ってみてぇし。 あ、でも魔王になったら少し控えないといけねぇのか、う〜ん、難しいな。俺のつがいになっちゃくれねぇか? 魔王様の伴侶でもいいぜ!」
「こっちはこっちで勝手に何か言っていますわね。さすが畜生ですわ」
「どうです〜? あなた様が魔王になって下さるなら、手取り足取り私が教えて差し上げますよ〜。私の全身全霊、この全てを使って」
フードを取り、妖しい笑みを浮かべた紅潮した顔を見せて迫っていた。
「黙れ夢魔、サキュバスとしての本性を出してきたね。これだから魔族は油断も隙も無いんだよ」
エルフは見下した表情で言い放つ。
「いや、魔王になる気はないよ。だから魔王を連れ帰ってほしい」
キリがないのでそう説得をした。
「…わかりました〜」
「まあ、それがいいだろうな。城でも魔王様を待っていることだしな」
氷に手をつけ、魔力を反転させる。
イメージ的には、火の魔法を使う時のような感じだ。
ヒビがはいり、あっという間に巨大な氷塊は砕けて溶けた。
「…んぅ…ん? あれ? 我は一体…何だか長い夢を見ていたような…すごいいい夢を…」
「お目覚めですか〜、魔王様」
「ん? あ、ああ。 …そうか、我は…負けたのだな」
「惜しい戦い、だったかはわかりませんが、魔王様の勇姿、俺たちはしっかり目に焼き付けましたぜ!」
「…そうか、うむ」
そのまま放って置かれていた可能性があったことは黙っていよう。
「…ふむ、勇者よ、それなら、続き」
「魔王様〜もう戻らないといけませんよ〜」
「魔王様、流石にこれ以上は、ひとまず城に戻るべきですぜ?」
「…うむ。 …わかった。うむ…そうだな。 …とても気は乗らないが。仕事を放ってきたのもまた事実である故な」
チラと、勇者を見る。
「…勇者よ。我は、その…とても楽しかった。お前は、だから、その…だな」
「ああ、楽しかった。いつかまた、会おう」
「!! そうだな!! 今日は我が急ぎすぎていた故な!! 今度は我の城にて!! やはり魔王城にて勇者と魔王が相見えるという構図が映えるだろう!! 約束だぞ!!! 絶対だからな!!! 我、待っているからな!!!」
「わかった、約束する」
そう言うと魔王たちは城へと帰っていった。
決して面倒くさくなったからではない。
「行くんですの? 魔王城に」
「まあいずれは、行くことにはなると思うよ、どこかしらの道中とかでもね」
「ボクは全然急ぐ必要、無いと思うな」
「はは、前途多難な冒険の始まりになったね。それもまた、君らしい、と言えるのかな? それじゃあ、本当に見送りはここまでにするよ、これ以上は流石の私も名残惜しくなりそうだからね。 …達者で、ね」
エルフと別れ、最初の町を目指す冒険が、ようやく始まりを告げた。