いにしえの魔法陣
南の大陸へと、はじめ勇者は一人で向かおうとしていたのだが、
「う〜ん、なんか少し暑いぞ。緑あふれる大地って、もっと涼しいかなって思っていたけど、こんなものなのか?」
パタパタと胸元を仰ぐ黒姫。
「それに随分と蒸してもいますわね。すでにもう汗が止まらなのですけれど…」
軽く息切れをしながら日傘をさす白姫。
「はは、普段運動しないからそうなるんだぞ。それにその様子だと、白姫はすぐバテそうだな。まだ入り口も入り口。森に入ってすらいないのにな」
「…」
南の大地に降り立った勇者の後ろには黒姫と白姫の姿があった。
「…本当に二人ともついてくるの?」
まあ、本当はもう聞いても今更なんだけど…
「うん? いいでしょ、たまには一緒に冒険しても。それに最近はあんまり動けなかったからね。宿は繁盛して人手の心配もいらなくなったしね。う〜ん、ふぅ。それに、魔獣や魔物がいる森…いい運動にもなりそうだからね」
「白姫も同じ?」
「…私は黒姫さんのような戦闘狂ではありません。ただ、私はあなたがまたいざ消えそうになった時の保険要員のつもりでしたのですけれども…まさかこのようなサバイバルな地に赴くとは思いもしませんでしたわ。ちょっとした森林浴ではなかったのですわね…」
いや、話をちゃんと聞いていたらそうは思わないだろう。
「…それなら、白姫は今から戻る? エルフ経由で、竜に迎えを頼んでもいいけど」
「いいえ、あなたたちがどのくらいの期間この地に留まるのかわかりませんし、その間に消えられでもしたら寝覚めが悪いので、やっぱりこのまま着いていきますわ。この地は随分と魔物も魔獣も多いようですけれど、それはあなたが当然、守って下さるのでしょう?」
「それはまあ…当然そうするけど」
「白姫はなんでそんなに偉そうに言えるんだ? それに、たまには自分で少しは戦ってみたらいいんじゃないか? …白姫だって全く戦えないわけじゃないよね?」
「それはまあ…でも、私は姫ですし…見たままにか弱いので」
「ボクも姫だし」
いがみ合いながらも二人は勇者の後ろについて歩を進める。
『一応だけど、私もここから見てはいるよ。何かあったら教えるから』
光の球からエルフの声が聞こえていた。
「まあ、確かに人間はか弱いですからね。二人とも戻った方がいいのでは? 私がいるから何も問題ないでしょう」
勇者の肩に乗った土神が自信ありげにそう言った。
…そのサイズでも?
二人はそう思ったが、とりあえず言わないでおくことにした。
南の大陸。
そこは原生林の広がる大地。
遥か昔、太古の森が残っていた。
未開の地…妖精と精霊、魔物や魔獣たちの楽園。
見たこともないような、いにしえの生き物たちも多く潜んでいるだろう…
深く入るにつれ、木々も巨大化していく、
森の木々の、その緑の日傘が日差しを防いでくれるとは言っても、
今がまだ昼間だからか、照りつけるその日差しを防ぐのにも限界があった。
それに加えて、ジメジメと空気は重く、
鬱蒼としげる大地は生臭いような、土の、緑の匂いを醸し出していた。
「なんだか生臭いですわ」
「…大地の匂いだろ」
「緑の中ってもっとこう、爽やかな香りのイメージなんですけれども」
「これが現実の匂いなんだよ。土の匂いだって、土臭いだろ?」
「失礼ですね、誰が土臭いですか?」
「いや、土神のことを言ったわけじゃないよきっと」
勇者はそうフォローした。
「…汗が止まりませんわ。そろそろ休憩にいたしません?」
「そうだね、丁度いい水場がある、そこで少し休もうか」
勇者は水場の近くに焚き火をおこす。
黒姫はその間に軽い食事を用意していた。
道中魔物や魔獣と幾度が出会ったものの、苦戦するということは全くなかった。
「戦闘の心配は無いといってもいいのですけれど、それ以外の問題が多いですわね」
整った場所へと腰掛ける。
「無理せず戻ってもいいんじゃ無いかな? あれから消えるような気配もないし、僕はもう大丈夫だと思うけどね」
飲み物を準備しながら勇者は白姫へそう声をかけた。
「…」
無言で滴る汗を拭きながら白姫は勇者の少し近くへ腰掛けた。
「…それにしても、何かあったのでしょう? 小さな変化、と言いますか、あなたが自分を僕と呼ぶようになったのも最近の事ですし」
「そうそう、ボクも気づいてた。ボクとお揃いだから嬉しいよ! いいよね! お揃い」
黒姫も勇者の近くへと腰掛けた。
「そういえばそうかも…まあ、いろいろと思い出したことがあって。その影響かな?」
「へぇ、何を思い出せたんですの?」
「ボクも聴きたいな」
「…ええっと、そうだね。何て言えばいいのかな」
「…大切な人たちを思い出したんですよ」
初めからずっと勇者の肩に腰掛けていた土神は二人にそう言った。
「大切な、人?」
「…もしかして恋人ですか?」
「えっ?!」
白姫の予想に黒姫は驚いている。
「あ〜…恋人ではない…かな。家族…うん。家族だね」
勇者は二人に、幼馴染の悪魔の女の子と、自分を育ててくれた先生の話をする。
「幼馴染がいたんだね。しかも君のお姉ちゃんなの?」
「まあ、姉(自称)なんだけど…本当のところはわからないんだ。僕も彼女も、赤ん坊の頃に先生に拾われて育てられたから」
「…それで、その二人は」
「…先生はもういない、かな」
勇者は焚き火を見つめながら言った。
「…その自称お姉ちゃんは、今もここにいる…と思う」
勇者は自分の胸に手を当てた。
「胸の中にいるってこと?」
「そうだね。そのままの意味でいいよ」
「あれですね。火神や氷姫のように本当に中に入っているんですよ。加護を与えているのも、似たようなものですし。ただ、彼女たちのように自由に出たりはできないみたいですけど」
肩の土神がそう補足をする。
「…それじゃあ、今も生きているの?」
「どうだろうね。思い出した記憶の中では、あの時彼女は…まあ、うん。でも、僕の中にいるのも確かだし。だから完全には死んではいないのかもしれない」
だからこそ…
「…そうだね」
黒姫は静かに隣に寄り添っていた。
「…蚊がいますわここ、ちょっとなんとかしてくださいまし」
白姫はしばらく蚊と戯れていた。
休憩も終わり、さらに森深くへと進んでいく。
魔物や魔獣に苦戦するということは全くない、順調そのものだった。
ただ白姫がひとりこの環境に苦戦しているだけだった。
「暑すぎますわ…嘘でしょ、この川を渡るんですの?」
「何ですあの大きな花…おぇ…くっせぇ、いえ、臭いですわ」
「私の衣装が泥だらけなんですけれど…いってぇ…いつの間にか靴の中に虫が入っていますわ…」
「えぇ、この魔獣本当に食べられるんですの? …まあ、エルフさんがそう言うのなら…あら、意外と美味ェですわね」
「足が痛くなってきたのですけれども…少しの間背負ってくださいます? ねえ? いいでしょう? ほんの少し、少しですから」
…三人はとりあえず順調に森の奥へと進んでいった。
夕闇が紅く森を染め始めた頃、少し開けた場所へと出た。
「…朽ちているけど、なんだか…人工物みたいだね」
「確かに。何か色々描いてある…エルフ、この文字わかる?」
『あ〜、古代文字だね、解読には時間がかかるよ』
エルフに読めないとなると、相当昔の遺跡だろう。
「…何かいますね、魔物や魔獣じゃありません」
土神がそっと警戒を知らせる。
「何だろう、生き物? いや、ただの光?」
「わぁ、ニンゲンだ。ニンゲンだ」
「本当だ。久しぶりだ。こっちにきて、こっちにきてよ」
光が形を作っていく。
人間でも魔獣でも無い。
「きゃっきゃ。こっちにおいで。こっちにおいでよぉ」
さまざまな形の光は無邪気に誘う。
楽しそうに、嬉しそうに。
「…どうするんだ?」
黒姫は警戒しながら勇者に聞く。
「…妖精か精霊だと思う。悪意は感じないけど」
「善意も特に感じませんわ。 …ただ無邪気なだけなのでしょうけど。私たちの善悪で推しはからない方がよろしいかと」
白姫は警戒の色を解かない。
「…もしかしたら…例の生命樹の場所を知っているかもしれない。聞いてみるよ」
勇者は妖精たちへと近づいていく。
「ニンゲン! 本当にニンゲンだぁ!! 嬉しい、帰れる。ウレシイなぁ!」
喜んで勇者の周りへと光たちが集まってきた。
「君たちは」
勇者が何か尋ねる前に、
「ねぇねぇ、この下、下を見てよ!」
妖精たちは光で下を示した。
「? 下?」
勇者は地面を見た。
草が生い茂っていてよくはわからないが、大地に何か記されている。
「…何だろう? これも…文字? …」
「…さわ…ああ! ねぇねぇ、読んで! 読んでみて!!」
妖精はそう囃し立てる。
「…文字がよく読めない。何て書いてあるんだ?」
見えたとしても読めない文字かもしれないが…
勇者は地面の草を手で払う。
…やはり読めない文字だ。
固い大地には文字がびっしりと描かれている。
それは直線ではなく、まるでそれ自体がさらに何かを描いているかのように伸びていて…
「どこまで続いているんだろう…この遺跡…全体?」
「読んで! 読んで!! もっと見てみて! 近くで!!」
妖精たちがそう囃し立てる。
文字をよく読むために大地に触れると…
「やった!! やったぁ!! 帰れる!!」
妖精たちの喜びと共に、文字が光り始める。
それは大地に描かれた巨大な魔法陣だった。
それは太古の魔法、いにしえの転移魔法。
勇者たちは姿を消した。
先ほどまで喜んでいた妖精たちも一緒に。
『…消えた? 全員? …一体どこへ』
エルフはその様子をただ見ていた。
魔法陣が発動したところまでは確認した。
あれはきっと転移魔法。
しかし、どこへ飛ばされたんだ?
南の大陸の別の場所?
それとも…
エルフの疑問は尽きなかったが…
それから少し後に乙姫がエルフの元へ訪れる。
「勇者の気配が消えたんじゃが、何か知らぬか?」
「…勇者は南の大陸に行ったけど」
「いや、そこまではわえも知っとる。別にどこにいてもわかるのでな? ただ、それがわからならくなったので気になっての…」
エルフは乙姫の言葉を静かに聞いていた。




