禁忌の記憶 勇者の目覚め
その日、勇者は一人で龍宮城を訪れていた。
そのまま、記憶の水鏡の前に立つ。
…ずっと気になっていたことがあった。
自分が幼い頃の記憶…
どう言うわけか、自分が幼かった頃の記憶が欠けていた。
特に、時の魔導師に会う前が、抜け落ちている。
魔導師に会う前に、自分が過ごしていた場所…その時間…
微かに、孤児院にいたという、断片的な記憶が残っている。
でも、それも本当に、確かな記憶なのかどうかままならない。
何しろ、そこに誰がいて、誰と過ごしていたのかすら思い出せないのだから。
勇者は静かに水鏡を覗き込む。
時の魔導師と出会う前を思い出しながら…
その時の、自分の姿が映った。
あの頃の、幼い姿…やはり、どこかの施設のような場所にいた。
この場所が、孤児院だろうか?
映像が乱れる。
それからは不確かな景色の断片が微かに流れるだけだった。
森の中。
一人で、身近な棒切れを使って素振りをしている。
誰かかが呼びにくる…誰だろう?
すぐにまた、その映像は切り替わる。
次は何処かの室内だった。
明るい灯りのもとで、料理をしている…大人の女性。
その後ろ姿…
見ただけで、胸が締め付けられる。
映像は再び途切れた。
それからはしばらく、長く乱れた映像が続いた…
…荒れ果てた景色…どこだろう?
…外?
家があった場所には黒く崩れた木材の跡と、まだ燻っている黒煙…
自分の側に、手の中で…動かずにいるのは…
それは…誰なのだろうか?
…思い出せない…でも…ひどく、心がざわつく。
そして水鏡は黒く濁った。
何も見えなくなった。
その時の自分の意識が途絶えたのだろうか?
眠った? …ああ、確かそうだった。
初めの記憶、思い出せる最初の記憶は…
自分を見つけてくれた…時の魔導師の部屋で…目が覚めたんだ。
時の魔導師の部屋
「…ここは…」
目を覚ますと、知らない部屋にいた。
…ここは何処だろう?
あれ? 僕は…一体…
「起きたかい? 体はどう? どこも痛くはない?」
「あ、うん。何処も…痛くはないです」
目の前には知らない大人の女性がいた。
女性は優しい笑みを浮かべて近づいてくる。
「それなら良かった。それで、君の今後のことだけど…これからしばらくの間、私と一緒に暮らすことになるけど、君の方から、聞きたいことは何かあるかい?」
「…いえ、その…」
「どうかしたのかい? 遠慮なんてしなくてもいいよ? 君はまだ幼い子供なんだからね」
「あ、えっと…僕は、その…誰、なんですか?」
「…ふむ…体の方は眠っている間に調べさせてもらったけど…もう少しばかり調べさせてもらうね」
「はい…」
時の魔導師は何やら手短に呪文を唱えると、手から放たれた光が体を包んでいった。
「…なるほど。どうやら…うん」
この子の心を守るためか…あの場所で起きた時間を、丸ごと食べたのかな? いや、違うか…その身に閉じ込めたのかな? そして…中にいるのは…人間ではないね…これは…悪魔、か。
「…君は、自分の知り合いを覚えている?」
「…いいえ。 …何も、思い出せない…です」
「…君がいた場所、孤児院のことも?」
「僕は孤児院にいたんですか? …ああ、でも…そんな気は…します…でも、誰がいて、誰といたのかまでは…」
心が軋んだ。
「…そうかい。今は…まあ、余計な手出しはしないでおこうかな。それで、他に気になることは何かある?」
「…僕、強く、なりたいです。 強くならないといけない…誰よりも、強くなってそれで…。そう、約束したんです。 …誰よりも強い、勇者になるって」
誰としたのかは、思い出せないけれど。でも確かに。
この気持ちは。
この気持ちだけは本物だ。
「…勇者になる。それは簡単なことではないよ? まして、誰よりも強いとなると、なおのことね」
「…はい。それでも、ならなくちゃならないんです。僕は…僕は誰よりも…」
「君の気持ちは良くわかった。まあ、元々私は君を鍛えるつもりだったから、君のそれだけのやる気が見えてむしろ好都合だけどね。 …勇者の才をもつ者は、大体一万人に一人くらいになるかな、おおよそだけどね。それが多いのか少ないのかは、渦中の予言の子供達の数だけに絞ったとしても…決して少ない数ではないよ。 …ただ、当然、才あるからと言って誰でも全員必ずなれるわけじゃないからね。時と場所があればその機会があると言うだけで」
「…それでも、僕は勇者になります」
「もう少ししたら私の妹もここに来る。 …勇者になるための特訓は、それからにしようか。それに、そのためにもまずは体づくりだよ。さっきも言ったけど、君はまだ幼い。ある程度その肉体が成長するまでは、基本的な剣の基礎、それからバランスの良い食生活。まあその辺は私たちに任せて欲しい。君は一生懸命に日々を過ごせばいいよ。私たちの特訓は甘くないけど、それでもいいかい?」
「はい。お願いします!」
時の魔導師と、妹の空間の魔導師。
二人の魔導師による勇者の育成が始まった。
「はい隙だらけ、脇をもっと締める」
容赦のない一撃が脇腹を叩く。
「っ…はい!」
「そのフェイクはバレバレだよ。もっと力と、それから目線もちゃんと意識して」
「ったた…」
「素振りは中々に様になってきたね。それじゃあもう少しだけ続けてて」
「は、はい」
時の魔導師はその場を離れる。
入れ替わるように妹の空間の魔導師が姿を現した。
「お姉ちゃんは厳しすぎだよね〜。まあ、誰よりも強くなるって言ったんでしょ? だったらそれも仕方ないかな〜。それじゃあ次は私だね。落とし穴を開けていくから、落ちないように移動して〜。早く早く〜。間に合わなくなっても知らないぞ〜。あ、落ちたら最初からやり直しね〜」
体力作りのための走り込みもただの走り込みにはならず、穴に落ちないように常に気を張らなければならない。
予想、予測、そういった動作を交えながらできるだけ早く目的地を目指す。
魔導師は一足早くゴールで待っていた。
「はぁ、はぁ…」
「いいね、前よりずっといい。動きを予測する力も、だいぶ良くなって来てるよ〜」
空間の魔導師は満足そうに笑っていた。
「だから〜、帰りはもっと良くなるよね? 少し休んだら、始めるからね。それじゃあ、期待してるぞ〜」
魔導師姉妹による適度な運動と、バランスの取れた食生活(自称)の日々が続いた。
「お姉ちゃん。そろそろ?」
「そうだねぇ。肉体的にはもう、一人で冒険してもいいかな。剣の腕も、まあ同年代ならもう負けることはないし、完全な剣聖クラスの相手でもなければ、引けを取らないところまではきたしね」
「あ〜、でも、このままのんびり過ごすのもアリなんじゃない? だって結構楽しいよ? 三人の暮らし〜」
「それはまあ、そういう選択もなくはないけど。でもねぇ、本人は勇者になるって言ってるんだから」
「ひたむきすぎるくらいだよね〜。そこがまた可愛いんだけど。でも、それってほんとに本人の意思なのかな〜?」
「悪魔の件? ま、直接の害はないよ。そのおかげで耐性もあるし。冒険には一役かうだろうしね」
「あの子は知ってるの?」
「多分知らないかな…気づいてもいないんじゃないかな。いずれ、向かい合う時が来るかもしれないけど、その時はその時」
「…大丈夫かなぁ。育ての親の一人としては、ちょっと心配だな〜」
「それはまあ私もそうだよ。でも、これから先、さまざまな苦難と向き合っていくことにもなるんだから、私たちが手を出すのも、今はとりあえずここまで」
「そうだね。あとは、ちゃ〜んと、勇者になってから、だね」
「そう言うこと。さてそれじゃあ、愛しい私たちの子を、冒険へと出そうじゃないか」
「「いざ、目眩く冒険の世界へ!」」
少年は魔導師たちにお礼と、別れを告げる。
「お世話になりました」
今までいた場所は何処だったのか?
それは二人に聞いても秘密の場所、としか教えてくれなかった。
緑はあるし、川もある。
時間の流れも当然あったし、昼も夜もあった。
ただ、何か、どこか別世界のような、そんな雰囲気がしていた。
空気感とでも言えばいいのだろうか?
二人の魔導師が創り出した世界だったのか、
それとも何処か別の世界へ移動していたのか。
結局それはわからなかったけど。
でもそこは、十年近くを過ごした、自分にとっては紛れもなく故郷と呼べるものだった。
その故郷に別れを告げ、再び元の世界へと帰ってくる。
今は心悪しき魔術師が、世界を支配している世界へと…
「…ただいま」
に、なるのかな。
…僕のいた世界。そして僕が、勇者を目指す世界。
少年は一人、餞別としての僅かな金子を手に、最初の村へと向かった。




