記憶の水鏡
勇者は鬼たちから借りた布きれを手に、風の国のエルフの元を訪れていた。
「君の方から訪れてくれるとはこちらとしても都合が良かった。ちょうど、私からも話があるんだよ」
「君の中のエルフの話?」
「察しがいいね。その通り。まあ悪い話じゃないから、まずは君の話を先に聞こうかな。聞かせてくれるかい?」
「それじゃあ、早速。この布を再生できないかな? 君の魔法か、あるいはエルフの秘術で」
二切れの布を見せる。
「…この布の切れ端を再生ね。復元魔法でも使えばあるいは…ただ、それにしたって、素材の元があれば安定して復元できると思うよ、調べたかい?」
「いや、でも、この布はただの布のわけはないよね?」
「そうだね。調べて見ようか。 …こっちの比較的白い布の方は…使われている素材は、調べてもよくわからないね。もう一つの黄色い方、ああ、これは雷獣の毛皮からとったものだね」
「雷獣?」
「今、いたかなぁ…どうだろう…今はもうこの北の大陸にはいなかったと思うね。西、東も聞かないなぁ…絶滅、はしていないと思うけど…ああ、もしかしたら、南の大陸にならいるかもしれないよ」
「南の大陸か…そういえばまだ行ったことなかったよ、どんなところかな?」
「ええっと、原生林が広がる獣たちの楽園という話だね。まあ、実際私も行ったことはないけど。昔のまま、遠い昔のまま、森も木も、生き物たちも、そのままで残っている、とのことだね。人間たちはほとんどいないようだねぇ、いるとしても、少数だろうね。妖精や精霊の方が多いんだろう」
「う〜ん、どうしようかな。その雷獣って、闇雲に探して見つかるかな?」
「南の大陸のほぼ全てが森だからね。いくら君でもその中から限られた種類を探すのは大変だと思うよ」
「白い布の方は、このままだと再生はできそうにない?」
「うん…ましてや未知の布だしねぇ、雷獣の方はあれだよ、森のエキスパートに任せるといい」
「森のエキスパート?」
「目の前にいるだろう? 私はかつての森のエルフでもあるのだからね」
「南の大陸に、君も一緒に来てくれると言うことでいい?」
「うん、君のやろうとしていることは私たちにとっても興味深い、有意義なものだからね。特に風のエルフたちにとって、もしその風神の加護を受けられたら、それはきっと喜ばしいだろう。私も風神の代理から離れられることだし」
「ありがとう。助かるよ、でも、ここから離れてもいいの?」
「何、知識を実践してみるいい機会だとも思えるからね、それに勝るものはないさ。それじゃあ、南の大陸へ向かおうか。と、言っても今回はそう森の深くまでは入らないよ、雷獣の毛皮を手に入れたらそれでいいんだから。ちょっとした冒険かな」
ああ懐かしい。少しくらいはまた、こうやって懐かしむくらい、良いだろう?
エルフは久しぶりに森の空気を吸いたくなっていた。
勇者とともになら、それはまた、この上なく良い気分転換にもなる。
「それもそうだね、じゃあ、行こう」
「その道すがら、君に私の伝えたかった話をするよ」
風のエルフと共に、南の大陸へ。
「それで、だ。君の知古のエルフの方の話をしようか」
「西の森のエルフのことだよね?」
「そうそう。あれから私も本腰で色々調べたんだよ。それでわかったことはね、彼女は確かに私の生まれ変わり、それも、魂の生まれ変わりと言っても差し支えないくらいの存在だね」
「見た目は確かに瞳の色くらいしか区別がつかないけど」
「うん、体の特徴的にもそうなんだけどね。そればっかりでもない、と言うことさ」
「へぇ…まあ瓜二つなのは間違い無いけど…」
「それから、ええっと、今の私は、再現、再生、復元、そのあらゆる秘術によってその彼女を依代として今このようにして立っているわけだけどね? 今の状態でも、魔力の反転、いわゆるアンチディスペルを使用すれば、一時的にせよ彼女に戻れることもわかったよ」
「元に戻れた?」
「うん、その魔法が効いている間は、ね。その時は今度は逆に私がその彼女の中で入れ替わる感じになったね」
「その中で眠る訳ではない?」
「うん。そうだね、その間、君の言うエルフとも少し話をしたんだ。いやぁ驚いたね。彼女は私の記憶に触れていたんだね。橙の花にして残した私の記憶に」
「ああ、確か洞窟での…」
「そうそれだ。その一部に触れ、その時点ですでに私と半同化していたようなものだったんだよ。だからここまで私の再現が上手くいったんだと思えるよ」
「その時、昔の冒険を見たと言っていたよ。当時の勇者と、君との。その時の勇者は、自分だったみたいだけど…覚えていないんだよね、その時のことは…」
「…うん、それは聞いた。 …でも、人違いではないよ。決して。紛れもなく君自身だよ。あの時、私と長い間二人で冒険したのも…あの、虚無と呼ばれた相手と生命をかけて戦ったのも」
「虚無?」
「あれは私たちにとって、いや、この世界にとってのあまりにも大きな敵だったよ。私は君に力を託して死んでしまったから、君がどのようにして相打ちに持ち込んだのかまではわからないけどね」
「…」
二人は森の入り口へと差し掛かる。
「さて、ギルドで借りたこの瓶に入っている雷獣の欠片の匂いを魔法で増幅して…同じ匂いの元を探り当てればいいね。ただでさえ森のエルフは鼻が効くんだよ、それをさらに魔法で強化すると…うん、この通り、微かしか残っていないニオイとは言っても、探り当てることができるのさ。目当ての魔獣を追跡する常套手段の一つだね。 …まあ、今の君は知らないか。見つけさえすれば狩るのは今の君なら容易いと思うから、よろしくね」
「すごいね…君が一緒に来てくれて助かるよ」
「ふふ、私にとっては、こう言うのはとても懐かしい。森のエルフとしても、かつての自分としても…」
エルフは楽しそうだった。
雷獣を見つけ、難なく狩る、エルフは器用にその毛皮を剥いでいく。
「こっちの素材はこれで問題ないね」
「白い方は素材自体がわからないからねぇ、再現や再生より、時間を戻すとか、そっち系の方がいいのかもしれないね、私には使えないけど」
「…ああ、そう言えば水神の乙姫ができるかもしれない、帰りに少しよってみよう、良いかな?」
「もちろん良いけど、水の神の居場所がわかるのかい?」
「うん、前に会った時、加護を受けたんだ」
腕を捲って跡を見せる。噛み跡が残っていた。
「それ以来、なんとなく場所がわかるんだよね。考えてみれば不思議だけど、まあ、相手は神様だしね」
「へぇ、それは便利だね」
…でもそれ、マーキングか何かなんじゃないかな?
君がわかると言うことは、おそらく相手もそうなのだろうし。
龍宮城
「おお、勇者。わえに用事か? むむ、この前とは別の女子を連れとるな」
「初めまして、私は風の国の神の代理をしていてね、一応、風神と名乗っているよ。それで、彼、勇者の話を聞くと、時間を操れる術を持っていると聞いたんだけどね」
「あまり期待されても困るがな、で、何をすればいいのだ?」
「この布を再生したくて、時を戻して劣化する前に戻せたりは…できそう?」
「ふむふむ、そういった類か、詳しく言わなかったがの、わえは人間を老いさせたり、あるいは若返らせたりする方が得意なのだが…」
「ああ、そっち系統の…それだと、こういった物質は…無理そうかな? それと、他には何かあるかい?」
「そう言ったモノに試したことはないな。 …あとは、過去の記憶を読んだりはできるが…」
「記憶、か。それは、少し興味があるね、勇者の忘れている記憶も、もしかしたら思い出せるかもしれない」
「ふぅむ…とりあえずついてまいれ」
龍宮内の離れには小さな室があった。
その中には大きな鏡だけが置いてある。その鏡面は水のように流れ動いていた。
「これは記憶の水鏡と言う。その名の通り見たものの記憶を見ることができる鏡だな。前に立って覗き込んでみれば良い。ああ、二人の記憶であれば、一緒の方がその時を思い出しやすいぞ。念じてみよ」
勇者とエルフは二人同時に鏡を覗き込んだ。
エルフは念じる。自身と、勇者とのかつての冒険の記憶を。
水鏡は反響する。
エルフの当時の記憶から、その時の勇者の記憶へと交わり、重なって流れていった。
二人をかつての世界へと戻した。
…そして勇者は知る。
かつて、この地へ一人で降り立った時のこと。
エルフと二人で冒険をしたこと。
虚無との戦い。
…己が消える、その顛末まで。
「…ああ、そうだった。未来を託して…虚無と相打ちになったんだ…それで、その後、空の町で目が覚めて…」
「うん、私も…見えたよ。君の、あれからも長い間ずっと戦っていた姿…本当に、頑張ったね」
本当に…。
「…自分が消えた後、どう世界が再生していったのかまではわからない、けど…。今、こうして世界があると言うことは…なんとかなったということだよね」
「私もそう思うよ。君は十分、自分の役目を果たしたんだよ。その生命をかけて」
「…でも、自分がまだここにいると言うことは…まだ、何かあるんだろうね」
「それは…そう、かもしれないけど…でも、君がこれ以上、無理をする必要はないんじゃないかな、もう、この世界を救ったって言えると思うけど」
「…驚いたの、勇者はかつての勇者でもあったのか…通りで、それほどの力を持っている訳だな」
二人の話を聞いて乙姫もまた驚きを隠せなかった。
「さて、それじゃあひとまず…せっかく取ってきた雷獣の毛皮を使って、このもう一つの布を復元して見ようか」
勇者の記憶が戻ったことで、お互いの距離感が変化したことを感じる。
妙に気恥ずかしくもなってきたエルフはとりあえずそう提案した。
「そうだね、せっかくだから」
「面白そうだの、わえも見たいぞ」
エルフは復元魔法を唱える。
黄色い布切れは雷獣の毛皮を吸収してみるみる再構築されていった。
そして、
「虎縞柄の…パンツだの」
乙姫はそれを見てそう言った。