姫神子(ひめみこ)
勇者は水の国を訪れていた。
とても騒がしい。何故かみんな踊っているし、飲んでいるし、歌っている。
水の国の民は…とても愉快な民なのだろうか?
「ようこそ、水の国へ。一杯どうです? おや、あなた、このあたりでは見ない顔ですね。どこの国からいらっしゃったんです?」
もうだいぶ出来上がった民が陽気に声をかけてきた。
「飲み物は…遠慮しておこうかな。東の大陸から、その前は西の大陸にいて…今は、氷の国の近くにいるんだけど…西の大陸の勇者と名乗っているよ」
「おやまあ、勇者さんですか。 …なかなか複雑な事情がありそうですね? それとも勇者というだけあって放浪の旅人さんですかな? 人は皆人生の放浪者…どちらにしても、運がいいですよ。今、水の国はお祭りを開いているんです。先日、水神様の召喚が成功いたしましてね。とても立派な龍なのですが、どうにも元気がおありでない、それなもので、私ども水の国の民をあげて、お祭りを開いているのです。神様はお祭りがお好きでしょう? ご存知ない? はは、お祭りに勝るものはありませんしね。さあ、勇者さんも一緒に踊りませんか?」
手に持った酒を一気に飲み干すと踊り始めた。
「踊りも今は遠慮しておこうかな…お祭りか…それで、みんな賑やかなんだね」
「ええ、ええ、ふぅ、はぁ、そうです。歌って踊っているんです。それで、ご用件は?」
「その水神様に一度、会ってみたくて…かまわないかな?」
「わかりますわかります。もう見るだけでもご利益がありますからねきっと。参拝する者が後を立たないくらいですし。そうですね、時間がもう少し経てばそれも落ち着くので、その時にでも、あちらの宮へ向かってください」
「ありがとう、そうさせてもらうね」
その民はそれからもずっと踊りを続けていた。
少し陽気な祭りを見物した後、宮へと向かう。
そこの中心には見知った龍の姿があった。
ーああ、勇者さんじゃないですかー
「となると、ここの民たちの言う水神様というのは」
ーええ、私です。勇者さんを送り届けた後に、この地へ召喚されたみたいでして…ー
「そうだったんだ、それは…」
ー私はあくまでも水神様の使い、ですからね。少しばかり困っていたのです…かといって、これだけ祀っているこの国の民を思うと、無碍にはできませんし…ー
「何か自分にできることはある?」
ーそうですね、でしたら、本当の水神様をお連れして頂けると…民たちも喜ぶと思うのですよ。本来そのつもりだったのでしょうしー
「本当の水神様を?」
ーはい、私が使えている方なのですが、きっと海のどこかにはおられるはずです…今はお忙しいでしょうけど…それに関しても、できたら勇者さんに、手助けしていただけると…ー
「海か、どのあたりかはわかる?」
ーそれが常に移動しておられるので…今、現在どこかまでは…ー
「それだと…探すの自体結構時間がかかりそうだね」
ーそういえば…この大陸の中心にいる姫神子ならば、あるいはその場所を探り当てられるかもしれませんー
「姫神子? ああ、確か神託の…」
ーええ、そうです。その際、この玉をお持ちください。これは龍神の玉と言いまして、私の使える海龍の王姫、乙姫様から授かったものになります。これを頼りに、神託を受ければ、その位置がわかるやもしれませんー
「わかった。引き受けたよ。まず、姫神子の元へ…でも、位置がわかっても、海の中となると…」
ーこれをお使いください。私の鱗です。念の為複数枚お渡しいたします。これを持っていれば私の加護で水の中、海の中でも苦しくはなりません、それから、この法螺貝を。これを吹けば、海の中を運んでくれる私の友人が訪れることでしょうー
「何から何まで助かるよ。それじゃあ、君の使える…乙姫様をここへ連れてくればいいんだね?」
ー重ね重ねありがとうございます。この国の者たちは騒がしいですが、気のいい者たちばかりなので、私としても、何か力になりたくなりまして…乙姫様はお忙しくてこれないやもしれませんが…一度だけでも…なんとか…ー
「この国の人たちは君を元気にしたくてずっとお祭りを開いているみたいだからね」
ー…はい、騒がしいですが、それも今は少し心地よくすら感じます…本当に騒がしいんですけどね…ー
「形はどうあれ、民たちのお祈りが力になっているのかな? それじゃあ、行ってくるね」
ーどうか、お気をつけて。乙姫様をよろしくお願い致しますー
龍から借りた玉を手に、まずは姫神子の元へ。
北の大陸 中央 姫神子の教会
その広い教会の中には、姫神子と世話係の巫女が数名いるだけだった。
「姫神子様、それでは、本日のお支度を」
姫神子は睡眠から覚醒してもその目を開くことはあまりない。
「はい、お願いします」
姫神子はまず初めに覆いで目を隠される。周りを見ることができないように。
それはこの世界の他の人間たちを見ないよう、姫神子が生まれた時からずっとそうだった。
何でも、神の神託を受けるにあたり、
この世界の人間たちをみないこと、
それが歴代の姫神子の習わしであったと言うのだ。
「準備が整いました。それでは、礼拝堂へ参りましょう」
「はい、お願いします」
姫神子は礼拝堂へ着くと跪いてお祈りを始めた。
早朝から、夜遅くまで、ずっとお祈りを続ける。
それが生まれてからの姫神子の日常であった。
そして時折神託によって啓示を受け、それを巫女たちに伝え、大陸へと伝える…
それが姫神子としての役割でもあった。
「…今日は…特別な来訪者が訪れる…とのことです…」
「もしかすると、以前の神託で啓示された、例の大いなる災厄と何か関係があるのでしょうか?」
「それはまだ…わかりません。ただ…この世界の分水嶺になりうる程の存在で…かなり、重要な人物が訪れるようですので…私たちも、心して迎えましょう…」
「そこまでの…はい…わかりました」
勇者は姫神子の教会を前にしていた。
教会の周りは深い堀になっていて、繋がっているのは一つの細く長い橋のみ。
行き来はこの橋から、空からでも行けば関係ないのだろうが、
一般的な往来は橋のみのようだった。
外界から隔絶された教会のように見えた。出ることも、入ることもそう簡単ではないだろう。
勇者は橋を渡り、教会の門をたたく。
「…どうぞ、お入りください」
出迎えたのは一人の巫女。
「ここにいる姫神子に用事があるんだけど、今大丈夫かな?」
「はい、ご存知です。奥で姫神子様がお待ちです」
「…」
どうやら自分が来ることを知っていたらしい。気を利かせた龍が? それとも、水の国の民の誰か? それとも…神託というものだろうか。
「お待ちしておりました」
「君が、姫神子…どうして来ることを知っていたのか、聞いてもいいかな?」
目を覆いで隠す以外は、簡素な礼服の身なりをした年の若い女性だった。巫女たちとそう変わらないだろう。
あの目隠しの様子だと…見えていない?
「はい、そう、神託を受けました」
「…なるほど。それなら、何も言う必要がなかったりする?」
「…いいえ、私が受けた啓示は、あなたが訪れる、と言うことだけでしたので、あなたがここを訪れた理由、私の元へ来た理由まではわかりません。まずはあなた自身のことを、それからご用件を、どうぞご遠慮なく」
そう言いながらも、姫神子は内心驚きを隠せないでいた。
自身の前にいる人物から、神を、それも複数、感じられたからであった。
「自分は西の大陸から来た勇者。それからここに来たのは…」
勇者は懐から龍神の玉を取り出した。
「ああ…なんと言う…あなたの、勇者様の手から…神にも等しい力が感じられます。それは一体…」
「これは水の国にいる龍から借りた、龍神の玉。それで、この持ち主である、水神の…乙姫様の居場所を知りたいんだけど、わかりそうかな? 海のどこかを動いているみたいだけど」
「…そちらを、少しお借りしてもよろしいですか?」
「うん、もちろん」
勇者は玉を姫神子へ手渡す。
「なんという、神々しい力でしょうか…ええ、そうですね。これだけのお力があるのなら…きっと可能だと思います。急ぎますか?」
「そうだね…できたら早いほうが、その使いの龍も喜ぶと思う」
「わかりました。では、すぐに」
姫神子は玉を手に跪いてお祈りを始めた。
「………この北の大陸からは離れていますが…確かに…ええ、確かに、動いていますね…。その位置は、わかりますが、今その場所を話しても、たどり着く頃には動いているものと思われますね…」
「やっぱりそうなるのか…」
少し懸念していた通りだった。
「どうしても、そのお方に会うことが必要なのでしょうか?」
「うん、そうだね…君と一緒に行けば、その都度、位置がわかるかな?」
「!! 姫神子様をここから連れ出すと? それは…」
周りの巫女は俄に騒ぎ立つも、
「そうですね…ええ、それならば確かに」
姫神子は静かに言った。
「姫神子様?! ですが…」
「私としましても、勇者様のお力に、なりたく思います。まして今や、神のお使いと言っても差し支えないのですし…ですので、私をお連れになって頂いても構いません…ただ、ご覧のように、私は歩くことも一人ではままならない身ゆえ、勇者様にご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが…」
「それは大丈夫。それなら、そうしてもらおうかな。今すぐ行ける?」
「はい、構いません。それで、良いですね?」
姫神子は世話の巫女たちへ声をかけた。
「姫神子様…かしこまりました…どうか、ご無事でお戻りになられますよう…」
勇者は姫神子を背負うと、まず法螺貝を吹くために海へと向かった。
姫神子は勇者の背に揺られて、初めて外へ、外界へと出た。
「結構揺れると思うけど、平気?」
「大丈夫です…申し訳ございません」
「いや、謝ることはないよ。むしろ、こっちの方が無理をさせている気がするから。普段、外へは出たりしない?」
「…はい、何分、この覆いを自身で取ることは許されない身ですので」
「それってずっと?」
「そうですね、生まれた時より、今現在まで…外せるのは眠る時くらい、でしょうか。その時も世話の巫女にお任せするのですが…」
「どう言う理由なの? 聞いても良いならだけど、言えないなら言わなくてもいいよ」
「言えないことではないです、ただ、そういうしきたりでしたので…何でも、この世界の人間を見ないこと…それが私たち神託の姫神子の習わしだったのです。ずっと、昔から」
「…この世界の人間、か…」
「はい。私もそうですが、そのことに対して、理由や訳は求めていませんでしたね。それが当たり前だったのでしょうから」
「…景色や…人間じゃなかったら見てもいい?」
勇者は黄姫のことを思い出していた。黄姫もまた、前は似たような境遇だったから…。
「それは…そうかもしれませんが…」
「今、ちょうど海が見えてきたから、見てみない?」
「…ですが…」
「ああ、そうか、自分で外してはいけないんだったね。少し待って、今おろすから」
「あ」
姫神子の後ろに周り、目隠しをしたから少し上へあげた。
「どうぞ、眩しいかもしれないけど」
「…っ…」
姫神子は目を開いた。
眩いばかりの光が目に飛び込んでくる。
思わず目を細めた。
そしてまた、少しずつ目を開く。
「…ああ…あれが…海、なのですね。 …なんて、神々しく…そして…美しいのでしょうか…」
「ここまでくると、潮の香りもするね」
「…そうですね…これが…海の香りなのですね…ああ、なんという…」
命の香りだろう。
…姫神子は海の青さを初めてみた。
空の青さと溶ける程の海の青さ…そのどちらも青く、そのどちらも同じく美しかった。
「そう言えば、考えてみたけど、自分はこの世界の出身じゃないから、仮に間違って見たとしても…良いのかもしれないね」
勇者はふと、そう言った。
「そうなのですか? 勇者様はこの世界の人間ではないのですか?」
道理で…その身に複数の神を…それだけの加護を与えられている人…この世界の人間とは、とても思えなかった。
「うん、朧げな記憶とは言っても、それは確かなことだと思う。だから、見ても大丈夫だよきっと。神様も怒らないと思う…たぶん」
勇者はそう言って屈託なく笑った。
姫神子は勇者の笑い声に釣られて振り返った。
姫神子は勇者を見た。
「…っ」
初めて、人間を見た。
自分の姿でさえ、まともに見てはいなかったのに。
姫神子は勇者を見て、何故か顔が熱く、赤くなっていった。
「…あぅ…」
今までずっと守ってきた決まりを破ったからかもしれない、悪いことをしてしまったと、そう思ったからなのかもしれない…
「もしこれで神様が怒ったら、一緒に謝ろうか?」
勇者はまた笑顔でそう言った。
「………はい…」
姫神子は俯きながら小さな声でそう言った。
青い空の下で、爽やかな優しい風が撫でた。
それはまるで、今の二人を祝福しているかのようだった。